仲良きことは美しきかな。
そう、仲良くしている二人を見ているのが好きなんだ。

2018年を振り返って思うことは、この1年で自分の琴線に触れた小説は仲良しの小説ばかりだった、ということだ。
たとえば1月に出た王谷晶の『完璧じゃない、あたしたち』。それと、5月に出た三浦しをん『ののはな通信』。この2冊は女性同士の深い結びつきを主題にした作品だった。王谷のそれは短篇集で、三浦作品は学生時代から中年期に至る手紙のやりとりで綴られた書簡小説である。そういえば「SFマガジン」が百合特集を組んだら注文が殺到して、発売前に増刷するという事態になったらしい。
百合小説の定義とか、よくわからない。ただ仲良しの二人を描いた小説が好きなんだ。
そういう意味で年末近くに出た2冊、米澤穂信『本と鍵の季節』と雪舟えま『緑と楯 ハイスクール・デイズ』もたいへん好きな作品である。2冊とも、男子高校生が仲良くする小説だ。
2018年、仲良し小説に揺さぶられた。百合の定義とかわからない。ただ仲良しの2人を描いた小説が好きだ

2018年、仲良し小説に揺さぶられた。百合の定義とかわからない。ただ仲良しの2人を描いた小説が好きだ

2018年、仲良し小説に揺さぶられた。百合の定義とかわからない。ただ仲良しの2人を描いた小説が好きだ

2018年、仲良し小説に揺さぶられた。百合の定義とかわからない。ただ仲良しの2人を描いた小説が好きだ

図書室で退屈かつ平凡な日常を過ごす2人


米澤の『本と鍵の季節』は、図書委員の2人を主人公にした連作短篇集である。〈僕〉こと堀川次郎と松倉詩門はともに高校2年生で、いつも図書室にいる。違いは、堀川は平凡な外見で、どちらかといえばお人好しと見られる方なのに対し、松倉は背が高いし美男子だし、人を信じない性格の皮肉屋だということだ。
その彼らがさまざまな謎に遭遇して、というのが毎回のパターンである。
ミステリーとしてのお薦めは4番目の「ない本」だ。
その日2人に相談をしてきたのは、3年の長谷川という先輩だった。その依頼は深刻なものだった。長谷川のクラスの香田という生徒が自殺した。死の4日前、長谷川は放課後の教室で本を読んでいる香田に出会った。
そのとき彼は、何事かを書いた便箋のような紙を本に挟んで閉じたのだという。もしかするとそれは遺書だったのではないか。そんな考えが頭にとりついて離れなくなった長谷川は、本を探し出すことを決意したのだという。堀川たちに相談を持ち掛けたのは、香田が読んでいたのが図書室の蔵書のようだったからだ。
字ばかりの本はあまり読まない、という長谷川先輩が、香田の貸出記録を教えてくれればいいじゃないか、と迫るのに対して2人が、たとえ故人といえども個人情報を明かすことはできない、と「図書館の自由に関する宣言」を楯に断る展開がまず、おもしろい。ビブリオ・ミステリーとしても完成度が高く、謎についての手がかりが本尽くしになっているのも美点である。
私はこれを初出の「小説すばる」誌で読んだ。間違いなく2018年を代表するミステリー短篇の1つだと思う。

「俺sugeee」を諫めてくれる親友


この話は、謎を堀川が解いたあと、松倉のこんな言葉で終わる。
「どうも俺は人を信じるのが苦手だ。心からの言葉でも、狙いはなんだと疑っちまう。その点、お前は偉い。先輩の話をまともに聞いたんだな。
尊敬する……これは、言葉通りに受け取ってくれ(中略)だけど……いまのはちょっと、まずかったな」
お人好しの堀川と信じない松倉。その違いが謎解きの結果に現れたのだ。しかし、謎を解いてめでたしめでたしで終わるわけでもない。松倉の台詞の後半にあるように、堀川が知性を発揮し、頭脳の鋭さを示したことも、結果としては気まずさをもたらしたのだ。
米澤穂信作品が読者に支持される理由の1つが、この高慢さへの戒めにある。謎を解いて「俺sugeee」と鼻高々。
でもそれって、ちょっと恥ずかしいことなんじゃないの。他人の秘密を暴いて得意になっているのって、人としてちょっとどうなの。そんな風に米澤作品の登場人物は語り掛けてくるのである。〈古典部〉シリーズのように主人公の自意識内にそんな思いが内包されている場合もあれば、コンビを組んでいる相手からそれを指摘される〈小市民〉連作もある。『本と鍵の季節』は後者なわけだ。能力をひけらかしてしまう堀川に、ちょっとちょっと、とたしなめてくれる松倉。いいコンビじゃないか。
そう思って読んでいるうちに、第五話の「昔話を聞かせておくれよ」に突入する。最後の「友よ知るなかれ」はこの話の後日談だから、2つで1つのエピソードなのだ。これは堀川と松倉、2人のうち1人に関わる問題についての話だ。謎を解いたことにより2人は、関係が決定的に変わってしまうかもしれない局面を迎えるのである。これまでのように、日がな一日図書室で暇な時間を過ごしているわけにはいかなくなるかもしれない。
そんなときに思わず口をついて出たのが、
「もう少し、ただの図書委員でいてくれないか」
という一言だった。
平凡な日常は、過去のものになってみて初めてその大切さがわかるものだ。退屈さを共有した間柄だからこそ、通じ合うものがあるのかもしれない。そんな関係を程よい距離感で描いたのが『本と鍵の季節』という小説なのである。

もうどうにも止まらない。「好き」が暴走する


『本と鍵の季節』と雪舟えま『緑と楯』の違いは、後者が明確に恋愛小説として書かれていることだ。しかも突っ走る。好きという気持ちがとまらずに銀河の彼方まで行ってしまう。それが『緑と楯』である。
勉強はできるが人付き合いが苦手な兼古緑は、王子様のような美形で周囲の者からちやほやされる荻原楯を苦手に思い、敬遠してきた。高校2年で同じクラスになってから、ずっと。しかしある日、水ぼうそうで長期病欠中の縦の家に行って、休んでいる間の授業について教えてやってもらいたい、と担任教師から頼まれてしまうのである。クラス委員長の立場ゆえ、断れない。渋々荻原家を訪ねた緑はそこで、あろうことか苦手でたまらなかったはずの楯に恋をしてしまうのである。もう一発で。
兼子緑と荻原楯は作者の雪舟が長年書き続けてきたキャラクターで、過去にも彼らが登場する作品がある。『緑と楯/楯と緑』という電子書籍作品集も先行で出ているのだが(現在は『緑と楯 社会人篇』に改題)、本書はその一部と、昨年雪舟が「小説すばる」誌に発表した短篇「りゅりゅりゅ流星群」と「君に触れなば流星群」、短めの長篇『緑と楯』を合わせて再構成した内容になっている。ちなみに「りゅりゅりゅ流星群」は、私が2017年に読んで最もおもしろかった恋愛小説短篇だ。日本文藝家協会編のアンソロジー『短篇ベストコレクション 現代の小説2018』にも収録した。
緑が楯に恋してしまう瞬間のことは本書でも詳しく書かれているのだが、実際に読んでどきどきしてもらいたいので、さっと流すように書いてある「りゅりゅりゅ流星群」バージョンの文章で引用しておこう。

──病みあがりの彼とふたりきりになったこの部屋で、ふしぎなことが起こった。おれの前で眠ってしまった彼にどうしてか体が引き寄せられ、その顔に残る水ぼうそうのかさぶたの痕になぜか触れたくなってしまい、息を詰めてひとつ、ふたつと赤いかさぶたに触れていった。眠り姫のような彼が目を覚ましたとき、そこにはすっかり彼に心を奪われている自分がいた。

これが長篇バージョンではもっと細かく書いてあるからお楽しみに。「どうしてか体が引き寄せられ」「なぜか触れたくなってしまい」じゃねえよ、緑。

すさまじいばかりの緑のデレようを愛でるのだ


以降、とんでもなく楯に惹かれてしまい、前述したように彼が王子様なものだから常に周囲は人垣状態で、近づこうにも近づけないものだから嫉妬に狂う緑の恋情が綿々と綴られていく。それを愛でるのだ。愛でるのだ。
「りゅりゅりゅ流星群」のときに私が心を射抜かれた文章が、幸い改変されずに残っていた。引用する。バイクで一人帰る緑に、館が愛用のカイロを貸してくれる。ブレザーの胸ポケットに滑り込ませてくるのだ。人目を気にしてにやけるのを必死にこらえる緑。

「心臓が守られるみてえ」
「心臓はそんなに左じゃないよ」と彼は笑って、おれの胸の真ん中あたりを優しくノックするようにふれた。
「わ、わかってるけど」
不意のボディータッチにときめきが激しすぎて、そう強がるのがせいいっぱいだった。殺す気か。おれを殺す気か荻原。

引用しだすときりがないので自重するが、この調子でどんどんくるので覚悟しておいてもらいたい。ある人を好きだと思う感情をここまで正面切って書かれるのが読書の快感になるとは。まっすぐであること、てらいがないことの気持ちよさが本書の魅力である。好きだ、って一万回書いたところで小説にはならないかもしれない。だけど表現を替え、角度を変え、単なる反復に見えないように書けばそれは成立するのである。雪舟の作家としての膂力がその点に発揮されている。緑と楯は運命の恋人であるということを読者に納得させる。その一点だけに作者の狙いは絞られているのだ。
緑の両親は不和であり、そのために愛に飢えているという一面もある。自分の家族に対する愛が足りないから、家族が愛し合えないのではないか、と気に病んだこともあるという。痛ましい限りである。そんな、愛されることを誰よりも求めていた緑は、精いっぱい楯を愛することで、愛し返される喜びを知るようになる。愛されるためには愛するんだ。緑を通じて読者もそんな単純な真理に気づいていく。
ちなみに、この作品の時代設定は20155年の近未来である。短篇「りゅりゅりゅ流星群」初出時にはその設定はなかったので、長篇に組み込まれる際に加筆されている。近未来設定の意図ははっきりわからないが、一つには今あるいろいろな問題がクリアになった世界ということがあるのかもしれない。読まれた方なら誰でも気づくはずだが、本書の中では一度も「男同士の恋愛」が特殊視されることはなく、異性間のそれと同様に当たり前のこととして書かれている。そうした意識の変革が行われた世界だから近未来なのかも、とも思ったりした。だからこの原稿でも、あえて別のジャンルではなく、ごく普通の「恋愛小説」として本書を紹介している。
作者の雪舟えまは歌人でもあり、2018年には九州の出版社書肆侃侃房から歌集『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』を上梓している。この中には雪舟が、緑と楯に出会い、愛の物語に目覚めていく過程を詠った作品がたくさん収録されている。最後にいくつかご紹介しよう。仲良きことは美しきかな。美しきかな。

甘い気がこごって王子たちになる どうか僕らの愛を描いて

君たちがどんなに素敵かを語りそのまま成仏しそうになった

おれたちははーはー姫の脳に降りハートを熱し肚まで落ちた

この星で愛を知りたい僕たちをあなたに招き入れてください

(杉江松恋)