有村藍里さんから笑顔を奪った人たちの心こそ手術すべきだと思う
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タレントの有村藍里さんが骨から輪郭を整える輪郭矯正の美容整形手術を受けたことを2019年3月3日に自身のブログで報告し、同日にはその様子が「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ系)で放送され、大きな話題になりました。

美容整形手術に対する偏見がいまだに根強い社会であるにもかかわらず、現役のタレントさんが手術を受けたことを公言することは非常に珍しいこともあり、多くの人が関心を寄せたようです。
番組放送後のインターネットやメディアの反応では、「可愛くなった!」「笑顔が素敵」「本当の有村藍里を取り戻した」という称賛の声が並んでいました。

ですが、それに対して、私はとても気持ち悪く感じてしまいました。別に美容整形手術に関しては、肯定も否定もするつもりはありません。ですが、通常の手術と同様に、手術を受けて成功した人が「良かったね」で済まして良い問題なのでしょうか?


美容外科は殴られた心を手術するという側面もある


まず、世間では有村藍里さん自身にスポットが当たっていますが、この番組は執刀した美容外科医でRegno Clinic SBC 銀座院の院長である山口憲昭医師にスポットが当てられており、彼が「自分の見た目に悩む人たちの最後の砦」として活躍する姿に密着した内容となっていました。

山口医師は、「美容外科医=お金儲けのためにしている」という周囲の偏見に対して、「お医者さんの根源は困っている人を助けるという大前提の部分でいうと僕は今めっちゃ医者やってるなって思うんですよね」と述べており、活躍する個人に密着するドキュメンタリー番組としては特に悪いものではなかったように思います。

有村さんが自分の顔について過度に悩むという不健康な状態に陥ってしまったのは、細菌やウイルスが原因ではなく、心もとない「人間の悪意」が原因です。悪意ある人に顔面を殴られて大けがを負えば外科手術を受けることになりますが、それと同様に悪意ある人に顔に関する誹謗中傷を受けたことで大きく傷ついた心をケアするための一つの方法として、美容外科手術が存在しているのだと思います。

有村さんの“病原”は誹謗中傷をした人間の悪意


問題は手術の是非ではなく、誹謗中傷する側です。有村さんは、有名女優として活躍する有村架純さんの姉とのことですが、それまでは姉妹関係を隠して芸能活動をしていたものの、3年ほど前に某スポーツ新聞によって無断で関係を暴露されてしまい、それ以降常に妹と比較され、顔に対する誹謗中傷が増え、心を痛めることが増えて行ったとのことです。

翌日4日の「めざましテレビ」(フジテレビ系)では、「“有村架純の姉”“口元が残念”そんなコンプレックスから解き放たれたようにも見える藍里さん」というナレーションとともに報道されていましたが、彼女の場合は悩み続けたコンプレックスから解放されたというよりも、「手術を受けることで誹謗中傷やそれにより植え付けられてしまった強迫観念から逃れた」という表現のほうが現実を正しく表していると思います。

つまり、今回の“病原”は誹謗中傷をした人間の悪意であり、そちらのほうが注目するべき社会問題だと思うのです。有村さんが美容外科手術を受けることで「病原」からの決別は図れたのかもしれませんが、本来大々的に手術(更生)を受けるべきは、むしろ彼女に対して誹謗中傷をした人なのではないでしょうか?


誹謗中傷やルッキズムをスルーするメディアに違和感


ところが、現実は何も変わっていません。有村さんを誹謗中傷した人たちは、もしかしたら今日もまた、別の誰かの外見に対して誹謗中傷することで、心に深い傷を負わせているかもしれないのです。本来、日本の刑法にも「侮辱罪」が存在するはずですが、それも全く機能していません。

そもそも、直接相手に対して誹謗中傷せずとも、美醜の基準を勝手に設けて序列化したり、その基準に基づいて他人をジャッジしたり、“フツウ”とは違うものを嘲笑の対象にしたり、そのような社会に蔓延する「ルッキズム(外見に関する差別主義)」が、人々の容姿に関する様々なコンプレックスを生み出す大きな要因となっています。
つまり、この社会の大半の人が、その「加害構造の一役を担っている」のです。

それにもかかわらず、世間の反応やメディアの報道を見ると、誹謗中傷をする加害者やルッキズムにはほとんど触れていないことに、非常に強い違和感を覚えるのです。中には、いまだに美容外科手術に対して、「反対」や「印象が良くない」と述べる人がいますが、それは、明らかな「victim blaming(被害者叩き)」であり、容姿に関する様々な悩みを生み出している加害者の一人と言えるでしょう。


“日本的病”が幾重にも重なって生じた問題


それにしても、なぜ被害者ばかりに目を向けて、加害者やルッキズムから目を背けるのでしょうか? 以前の記事「なぜ、フェミニズムが絡むと頭が悪くなる男性が多いのか?」では、「加害をした男性側の問題なのに女性側の問題と捉える現象」について紹介しましたが、この整形女性叩きもおそらくこれに類似しており、容姿ジャッジという加害行為が見えなくなっているのではないかと思います。

なお、有村さんが頑張ったことを称賛すること自体は悪いことではないですが、全体としてそれが過度に持ち上げられることも問題です。障害者の頑張った様子が「感動ポルノ」にされることもそうですが、「頑張って結果を出した人は称賛に値する」という言説が行き過ぎると自己責任論になり、それを裏返せば「頑張っていない人は罵倒されても仕方ない」という意味になります。これはむしろ様々な差別を温存するものです。

また、芸能の世界に限ったことではないですが、他人を「一個人」として見るよりも、二世や兄弟姉妹等、必要以上に血縁に注目する儒教的視点やムラ社会視点も非常に問題でしょう。有村藍里さんのことを「有村架純さんのお姉さん」と紹介するメディアも、たとえ血縁関係があっても人格は完全に別という自他境界を理解しているとは思えない日本社会の問題を如実に表しているように感じました。

誹謗中傷をした人だけの責任ではない


最後になりますが、今回の「ザ・ノンフィクション」が山口憲昭医師を「自分の見た目に悩む人たちの最後の砦」として紹介したことは良かったと思っています。というのも、彼はあくまで「最後の砦」であり、自分の見た目に悩む人たちに対して私たちがやらなければならないことはたくさんあるからです。

「誹謗中傷をするのは最低です」「そういうのを人前で話すのはセクハラです」「自分がジャッジされて気持ち良いですか?自分がされて嫌なことは自分もしないのがコミュニケーションのマナーです」としっかり発言して、誹謗中傷という“病原”を徹底的に抑え込む“公衆衛生”が、私たちすべての人間に求められているのだと思います。

そして何よりも悩みの原因になることを自分がやってはいけません。
直接的に誹謗中傷をするのは当然のこと、美醜の基準を勝手に設けて序列化したり、その基準に基づいて他人をジャッジしたり、“フツウ”とは違うものを嘲笑の対象にしたり、そのような「ルッキズム(外見に関する差別主義)」に対して決別することで、少しでも悩みを抱える人が少ない環境にして行きませんか?
(勝部元気)
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