YouTuberカジサック氏こと、お笑い芸人・キングコングの梶原雄太氏が、イベントで共演した評論家の宇野常寛氏に対して、運動神経が良くない点を執拗に揶揄し、宇野氏が怒ってイベント会場から帰った件が波紋を呼んでいます。
宇野氏は自身のTwitterで「こういうヤツがいるからイジメってなくならない」「テレビ的なイジメ芸の縮小再生産」等と梶原氏を批判しましたが、プロレスラーがその力と技で一般人を傷付ければ一発アウトなように、お笑い芸人がそれ以外の職業の人を相手に言葉の暴力で傷付ければ当然アウトでしょう。
イジリ発言によって自分の人権や尊厳が侵害されても、日本社会は同調圧力が強く、「空気」を壊さないために笑ってやり過ごすことが求められる中で、しっかりとNOを叩きつけた宇野氏の判断は大変素晴らしいものだと思います。イジリというイジメで悩んでいる人たちにも「怒っていいんだ!」という勇気を与えることができたかもしれません。
お笑い芸人にも求められる「製造物責任」
この騒動に対して、お笑い芸人の側からも、梶原氏を擁護する姿勢はあまり見られませんでした。たとえば、イジリとイジメの線引きについてウーマンラッシュアワーの村本大輔氏は「犠牲を強いられている当事者が決める」と持論を展開。ノンスタイルの井上裕介氏も「お互いを尊敬しあえるかが大切」「信頼関係こそ笑いの原点だと思う」と見解を述べています。梶原氏はそれを見誤って一線を超えたから問題になったという指摘なのだと思います。
また、梶原氏の相方・西野亮廣氏も自身のブログで『「バラエティーはイジメを助長している」と叫ばれているだけに、テレビの作り手はイジリとイジメの境界線をハッキリさせて、「イジメには絶対に参加しない」という意思を表明しておく必要があると僕は考えます』と述べていました。
これらの発言を見て、私はふと日本のAVが招く社会問題を思い出しました。まともな倫理規制が全くない日本のAVは、同意なき性行為や女性を性欲解消のモノとしか思っていないようなプレイが当たり前に描写されているため、それを視た男性の身勝手で暴力的な性行為を助長しているとずっと言われ続けてきました。
ですが、近年ようやくAV男優が「製造物責任」を有する立場として「AVはファンタジー。僕たちはプロで、見えないところで様々な努力や工夫をしている。素人が安易に真似しないでほしい」という旨の説明責任を果たす人が現れるようになりました。ごく一部の人に過ぎないですし、そもそも業界を維持存続するための側面もあるため、手放しで称賛はしないですが、何も言及しなかった過去よりは0.01くらいは改善が進んだと言えるでしょう。
それと同様に、お笑いに関しても、芸人のイジリ芸が日本社会全体の様々なイジメを誘発しているという批判(TVのお笑いのスキームを模倣してイジメをすることを私は「#お笑イジメ」と呼んでいます)はずっとありましたが、今回お笑い芸人が「製造物責任」を有する立場として自分たちの芸について説明責任を果たしたことは、多少なりとも意義があると思います。
ちなみに、今回は被害者がTV等でも活躍する宇野氏という著名な評論家である一方、加害者が梶原氏という若手お笑い芸人であるという点は見逃してはいけません。昨年2018年に共演した一般人にハラスメント行為をしたとして極楽とんぼの加藤浩次氏が批判を受けましたが、加害者が売れっ子や大御所であるこのケースでは、業界内から自浄の声を聞くことはできませんでした。
イジリ自体が面白くないと感じる人が増えている
さて、イベント主催側も宇野氏に謝罪したことで今回の騒動は収束しそうですが、イジメとイジリの間に線引きをして「逸脱した梶原氏はアウト」でおしまいという結論は、個人的にはしっくり来ません。
確かにお笑い界の中に自ら身を置いている彼等や彼等のファンにとっては、そのようなジャッジで正解なのかもしれないですが、たとえイジリ芸をやっている者同士の間に信頼関係があったとしても、そもそもイジリ芸を見ること自体が苦痛であるという人も少なくないのではないでしょうか?
たとえば、同意なき性行為や女性を性欲解消のモノとしか思っていないようなプレイが散見される日本のAVを見せられて、仮にAV男優とAV女優の信頼関係が裏であったとしても、「そもそもそんな映像見たくないないよ!」という人は多々いるように、いくらお笑い芸人同士の間に信頼関係があってイジリ芸が成立していたとしても、暴力的なイジリ行為自体を見たくもない人は多々いるように思うのです。
実際、脳科学者の茂木健一郎氏が、日本のお笑い文化の「いじり」について好きか嫌いかを問うアンケートを自身のTwitterで行ったところ、「好き」と答えた人は17%に対して、「嫌い」と答えた人は3倍以上の55%になったとのことです。もちろんTwitterのアンケートは正確な調査ツールではないですが、やはりイジリ芸自体が嫌いだというのは一定数いることは間違いないことが分かります。
嫌なことされて「おいしい」のはヤクザ的構造
では、なぜ彼等はイジリ芸を嫌いと感じるのでしょうか? 爆笑問題の太田光氏は、今回の騒動の件について、「俺はそもそも、いじりといじめなんてね違わないよって思ってて。『お笑いはイジメだ』って思ってるから。いじめこそお笑いの本質だと思ってるから」と述べたようですが、これが「嫌い」の理由だと思います。
つまり、イジリ芸というのは、結局「疑似イジメ」であり、疑似だとしても外見上はやっていることはイジメと全く同じです。きっとイジる側とイジられる側にどれだけ信頼関係があるかを知り得ないAIも、イジリ芸は全て「イジメ」とジャッジするのではないでしょうか。だから「見るのも嫌だ!」と拒絶する人がいるのも当然でしょう。
また、お笑い芸人や一部のバラエティー番組の世界では、上の人からイジられることを「おいしい」と表現しますが、それを聞くと指詰めが存在するようなヤクザの世界とそっくりなように感じます。
イジリ芸批判に対して、一部のお笑い芸人が「本人はおいしいと思ってやっているから良いんだ!」という反論をすることや、イジリを受けた被害者であるはずのアイドルが「おいしいと思っています!」と権力者をフォローすることがよくありますが、批判の本質は日本のバラエティー界隈に存在するヤクザ的構造そのものであることを理解してほしいと思います。
そして、ヤクザ的競争環境ではイジられて「おいしい」ことがあったとしても、一般人の世界ではほとんど「おいしい」ことはありません。イジリとイジメの境界線なんて一般人には存在せず、イジメもイジリも被害者にとっては搾取や尊厳を傷付ける行為に変わりありません。だから一般人は絶対にイジリはやってはいけないですし、お笑い芸人もそれくらい危険なことを人前でしているという自覚を持ってほしいと思います。
イジリを面白いと感じるのに必要な3つの条件
最後に、前述の茂木氏のアンケートを見ても分かるように、これまで当たり前に行われて来た日本の「イジリ芸」に対して、「嫌い」という感情を持つ人が増えつつあるように思うのですが、それはなぜでしょうか? この現象を考える上で注目してほしいのが、「イジリを面白いと感じるための素地」です。それには、以下3つの条件が必要だと私は思っています。
(1)ピラミッド構造のもと上下関係が明確
(2)閉鎖的な「ムラ社会」の中でその構造が崩れにくい
(3)上記2つにより、大多数の傍観者に「自分はイジリの対象とならず、加害者と一緒になって笑っていられる」という安心感がある
つまり、これまでは自分の所属する閉鎖的かつピラミッド型のコミュニティー(学校や職場)の中でこの3つの条件が成立し、TVの中のイジリが「お笑イジメ」として人々の日常生活で再生産される仕組みがありました。要するに、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」と同じ一種の群集心理によって、権力者による弱者へのお笑イジメが支えられて来たわけです。
なぜ、イジリ芸は面白くなくなったのか?
ところが、近年はこの条件が崩れていると思います。インターネットの登場により人間関係がフラット化したことや、学校や職場の人間関係以外にも複数のコミュニティーに所属する人が増えたこと、イジリの対象になった時にコミュニティーそのものからの離脱するハードルが下がったこと等により、ピラミッド構造とムラ社会構造が弱まり始めた結果、傍観者が安心して笑っていられる環境が減少しているように思うのです。
日本社会でもようやく人権や尊厳という概念が理解されて来たため等、他にも理由は様々あると思いますが、この「同調圧力が効きにくくなったことで傍観者に群集心理が働きにくくなった」という社会環境の変化も、日本の「イジリ芸」に対して「嫌い」「面白くない」という感情を素直に表現できる人が増えていることに繋がっているように感じています。
逆に閉鎖的なコミュニティーの中で限定的かつ固定的な人付き合いしかしていない人ほど、TVのイジリ芸を面白いと感じている人の割合が高いという印象を受けるのですが、あなたの周りはどうでしょうか?
お笑い芸人も「真似しないで」と言ってほしい
今回は、日本のお笑いが抱えるイジリ芸の問題について触れましたが、その他にも日本のお笑い界には、女性の容姿に対するルッキズム(差別的な外見至上主義)等もまだまだ多く残っているように感じます。それらもやはり「嫌い」「面白くない」と感じる人は、男性でも少しずつ増えて来ていることでしょう。
「イジリ芸は全面的に放送禁止にすべきだ!」というのは不可能なように思いますが、様々なチャンネルの様々な番組に当たり前にそれらが蔓延っている現状はかなり異常だと思うので、イジリ芸を「嫌い」「面白くない」と感じる人々が見られるバラエティー番組や、健全な子供の育成に反しない人権や尊厳が守られたバラエティー番組ももっと増えてほしいと思います。
そして、性教育では子供たちに「AVはファンタジーだから決して真似してはいけない」と伝えることが必要と言われていますが、それと同様に「お笑いはファンタジーだから、日常コミュニケーションにおいて決して真似してはいけない」と大人が伝える必要があり、当事者たるお笑い芸人も、より一層ぜひ社会的責任を果たすためにそのメッセージをしっかりと発信してほしいと心から思います。
(勝部元気)