クリント・イーストウッドの最新作である『運び屋』のストーリーは、実話を元にしている。実際の事件は80代でシナロア・カルテルのドラッグ運送を請け負ったレオ・シャープという老人が起こしたものだった。
シャープは第二次大戦でイタリア戦線に従軍した元兵士であり園芸家。2009年からカルテルの運び屋となり、合計1400ポンド以上のドラッグを運んだという。この事件の大筋をなぞりつつ翻案したのが、『運び屋』だ。
イーストウッド最新作「運び屋」シワシワカサカサ静かで熱い。チラリと覗く朝鮮戦争へのこだわり

破産&絶縁! 後がない90歳、カルテルの運び屋になる


主人公はまもなく90歳になろうとする老人、アール・ストーン。しばらく前までは地元では名の知れた園芸家であり、デイリリーの栽培で身を立てた男である。しかし花と種のネット販売の波に乗り切れず事業に失敗。しかも仕事にかまけて家庭を蔑ろにしてきたため、孫娘以外の親族全員からほぼ絶縁されているという孤独な老人である。

自分の農園を差し押さえられてしまったアールはやむなく家族の元を訪ねるが、そこで孫娘の結婚を知る。しかし結婚式に行こうにも先立つものがない。そんな中で娘の知り合いの男から持ちかけられたのが、アールの住むイリノイからメキシコ国境までを往復し、ある「荷物」を運べば大金を受け取れるという仕事だった。園芸の仕事で長距離の運転に慣れており、さらに逮捕歴も違反歴もないアールは、なんなく仕事をこなす。

新しく始めた仕事のおかげで羽振りが良くなり、孫娘の結婚式にも出席。差し押さえられた自宅も取り戻し、さらに地元の退役軍人会館の修繕までやってのける。
しかし、アールが運んでいたのはカルテルがメキシコから運び込んだドラッグだった。後ろ暗い事情を薄々知りながら仕事を辞められないアール。そしてアールのおかげで跳ね上がったドラッグの流通量を無視できない麻薬取締局の捜査官たちは、カルテルの内通者を使った捜査に乗り出す。

監督主演作品は2008年の『グラン・トリノ』以来……。当時既にしわくちゃだったイーストウッドはさらにしわくちゃになり、完全にカピカピの爺さんになっている。この映画の冒頭は2005年から始まり、しばらくして本編の時間軸である2012年に移る。そのためシワシワのイーストウッドが出てきたと思ったら、7年後にまたしても全く同じシワシワのイーストウッドが出てきたのには笑ってしまった。イーストウッドにしかできないシワシワ芸である。

このように『運び屋』は、全編イーストウッドの老人力に底支えされている。若い頃から私生活ではあちこちに愛人と子供を作りまくり(そして全員の面倒を見て)、家庭らしい家庭を持っているのかいないのか果てしなくわからない存在だったイーストウッド。そんな彼がしわくちゃになって「やっぱ家族が大事だわ」と思いつつ、これまでに積み重ねてきた度胸と経験を頼みに、人生最大に危ない橋を渡る。

普通の人に「家族を大事にしろ」とか言われても「はあそうですか」みたいなリアクションになっちゃうが、イーストウッドが言い出すと重みが違う。
なんせ実際にあちこちで子供を作りまくった老人が、監督主演作品で絞り出している言葉である。ここに至ってアール・ストーンとクリント・イーストウッドの境界線は曖昧になり、まるで別の世界線のイーストウッド本人を見ているような気分になってくる。ずるい。ずるいぞイーストウッド。こんなの禁じ手じゃないですか!

一貫している朝鮮戦争従軍兵士へのリスペクト


もうひとつ注目したい点が、アールが朝鮮戦争への従軍経験を持つ老人だという点である。アメリカ兵にとって朝鮮戦争は厳しい戦争だった。群れをなして襲いかかってくる中国兵たちを追い返し、朝鮮半島の厳しい冬に耐えることを要求され、しかも第二次大戦やベトナム戦争と違ってさほど国内での注目度は高くない。

デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・コールデスト・ウインター』によれば、「第二次世界大戦のように人々を特異な目的に一致団結させる大国民戦争とはならなかったし、一世代後のベトナム戦争のように国民を二分し、絶えず悩ますことにもならなかった」のが朝鮮戦争である。熾烈な戦いだったと同時に、ほとんどのアメリカ人にとっては忘れられた戦争なのだ。

実際に起こったレオ・シャープの事件では、シャープは第二次大戦のイタリア戦線に従軍した兵士だった。しかし、『運び屋』ではアールは朝鮮戦争に行ったという設定に変更されている。イーストウッドと朝鮮戦争ということでいうと、1986年の『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』の主人公トム・ハイウェイは朝鮮戦争で戦った海兵隊員という設定だったし、『グラン・トリノ』のウォルト・コワルスキーも朝鮮戦争でのトラウマを抱えた老人だった。
両方とも、年代的には第二次大戦に置き換えてもそこまで不自然ではない設定だ。どうもイーストウッドは朝鮮戦争にこだわりを抱えているようである。

『運び屋』のアールも、自らの従軍経験にこだわりを持っているようだった。マメに退役軍人会館に顔を出し、地元に同じ退役した兵士の顔見知りもいる。しかしアールの行った戦争は、忘れられた戦いである朝鮮戦争だ。その情報だけでも、人々にとってはどうでもいい戦争で大変な目に遭い、国に帰ってきてからデイリリーの栽培で身を立て、仕事に打ち込んできた老人の人生が浮かび上がってくる。なんせアールは極寒の朝鮮半島で彭徳懐率いる中国兵の大群と渡り合った男である。メキシコ系のチンピラ数人が凄んだ程度では全然ビビらなかったのも納得だ。必要以上に仕事にのめり込んで家庭を蔑ろにしたのも、戦争の経験が影響したのかもしれない。

恐らくイーストウッドの根底には、国民の大半が忘れたような戦争に赴き、戻ってきてからは黙々と仕事に打ち込んだ人々への深いリスペクトがある。だからこそ『ハートブレイク・リッジ』のような作品で、彼らの経験にもう一度光を当てようとしたのだろう。もう最近はリスペクトの度合いが深すぎて、ほとんどイーストウッド本人と実際の元兵士との見分けがつかないところまで到達してしまっている。
その最新の出力物が、『運び屋』というわけである。

88歳にしていまだに「やっぱさあ……朝鮮戦争なんだよ……!」と静かに語りかけてくるイーストウッド。その語り口は静かだが、意外なほど熱い。この歳でこの熱さをキープしているというあたり、やっぱりこの人はどえらい男なのだなあ……と改めて思う。
(しげる)

【作品データ】
「運び屋」公式サイト
監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー ローレンス・フィッシュバーン アンディ・ガルシア ほか
3月8日より全国ロードショー

STORY
90歳近い老人アールは、事業に失敗し家族からも絶縁状態に追い込まれる。ある日男から伝えられた「車を運転しているだけで大金を得られる」という仕事に手を出したアールは、運び屋としてカルテルの密売ルートに組み込まれていく
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