
日本のお坊さんをテーマにした映画が、あいちトリエンナーレの映像プログラムを皮切りに、今秋、日本とフランスで順次全国公開される。全国曹洞宗青年会が企画し、富田克也監督が製作した映画『典座 -TENZO-』だ。
物語は2人の実際の僧侶が主演を務め、フィクションとノンフィクションを織り交ぜながら進んでいく。1人は山梨の寺で両親と妻、重度の食物アレルギーを抱える3歳の息子と共に暮らす智賢(ちけん)。電話相談、精進料理教室、ヨガ座禅といった地域活動を意欲的に行なっている僧侶である。
もう1人は福島に住む僧侶・隆行(りゅうぎょう)。東日本大震災の津波で寺が流された本堂再建を諦めきれずも、今は僧侶ではなく、がれき撤去の土木作業員として、仮設住宅でひとり暮らしをしながら働いている。それら両者の心の葛藤を軸に、仏教が現代の日本社会に対してどうあるべきか、曹洞宗を日本に伝えた道元が遺した「典座教訓」、および青山俊董老師との語りを軸に問いかけていく。

仏教と映画、そしてカンヌ国際映画祭を通して感じたことを、監督の富田克也さん、智賢役の河口智賢さん、隆行役の倉島隆行さんにうかがった。

きっかけはレッドカーペットの合成写真を使ったプレゼン
――どのような経緯で今回の映画を撮ることになったのでしょうか。
富田 全国曹洞宗青年会からご依頼をいただいて撮りました。じつは智賢(河口)と私は従兄弟同士で、つまり母方の実家が、智賢が副住職を務めている耕雲院です。そのためお寺というものは、私にとって馴染みのあるものでした。
河口 私は5月まで全国曹洞宗青年会の副会長を務めていまして、その在任中に同会長である倉島から突然言われました。倉島がカンヌ国際映画祭のレッドカーペットを合成させた写真を見せて、青年会で映画企画のプレゼンをしたんです。初めこの人は何を言っているんだと思いました(笑)。
倉島 最初は今回の完成作のようなものをイメージしていたわけではないです。曹洞宗のプロモーションビデオのような10〜15分の短編を想定していました。それが徐々に変わって今の形になりました。

富田 じつは私は子供の頃、お坊さんになりたいと思っていた時期があったんです。しかし私は跡取りの家系にないため、だんだんと忘れていきました。ただ、自分で意識しているかどうかは分からないですが、映画を作っていくこと、物事を考えるときなど、つまり自分の中のどこかに必ず仏教からの影響があると思います。そのようなこともあり今回の映画のオファーは、私にとって願ってもないことでした。
あらためて考えてみたら曹洞宗という宗派は伝統仏教の中で信者数では全国2位、お寺の数では全国1位というとても大きな宗教団体じゃないですか。お寺が身近な存在だったからと気軽に返事をしたけれど、よくよく考えたら大変なものを引き受けたのかもしれない……と後で気付きまして(笑)。そういうことは、あまり考えないようにしました。
僧侶として生きることへの葛藤と「3.11」
――今回の映画では「3.11」というものが、1つのターニングポイントとして描かれています。

河口 日本の仏教僧というものは、世間では「葬式仏教」などと言われ、お経を上げることが仕事というようなイメージが付いています。かつては私自身も、僧侶として生きていくことにとても葛藤がありました。そのような中で、本質的なことをより考える機会となったのが東日本大震災でした。
実際に被災地を訪れて仮設住宅周りをして、被災者の方とお茶を飲みながら彼らのお話を聞くという傾聴活動をしました。最初は皆さん壁があるんですけれど、心を開いてくださる方が少しずつ増えてきました。お経を上げるだけじゃない、私たちが寄り添ってできることがあるんだと思ったんです。
富田 映画を撮り始める前に、まず青年会の人たちとの付き合いが始まって、だんだん彼らのことが分かってきた。よくよく考えたら、智賢とも、子供のころはよく遊んだけど、今はそれほど会う機会もなくなっていました。それに、智賢が一時期坊さんになることを非常に嫌がっていた時期があるのも知っていました。
でも、智賢をはじめ、青年会の皆はとにかくアツかった。そこで、「何でそんなに一生懸命やっているの?」と問いかけました。そしたら彼らは「きっかけは3.11だった」と言うんです。そして「一般の人々から自分たちが求められている気がする」とも言いました。
河口 作中でも登場する「いのちの電話」という、匿名で電話できて曹洞宗の僧侶が悩みを聞いてくれるホットラインがあります。東日本大震災の少し前に始めたのですが、それも震災を機に役割の大切さを再認識したものの1つです。

僧侶のキャバクラ通い描写で当初は宗派内部から反発も

――大きな組織、さらには宗教団体の映画となると、なかなか思うように表現できない部分がある気はするのですが、すべては順調に進みましたか?
富田 一般社会は、誰しもお坊さんが聖人君子ではないということを、すでに知っているわけです。しかしお坊さん側からしたら綺麗なものを作ってほしいでしょう。でももうそんなものでごまかせる時代じゃない。まずはすべてさらけ出した上で「お坊さんも変わっていかなければいけないんだ」という内容にする必要があった。
初め私たちは多少の意地悪な気持ちもあって(笑)。
最終的には、曹洞宗もそれを認めてくれ、やらせてくれた。さすが、開かれた宗教団体だと、ありがたく思っています。
倉島 初めての映画の内覧会を山梨で開きまして、その時の内容は私が持っていた曹洞宗のイメージを超越した生々しい作品でした。その後、少しずつ追加撮影をして完成にこぎつけました。
富田 内容はどんどん変化していきました。私たち製作者側の気持ちが変わっていったというのも大きいです。

倉島 完成後にも苦情は来ました。僧侶がお酒を飲むシーンやタバコを吸うシーンがあるのですが、「お酒を飲むのはやめなさい」「タバコを吸うのはやめなさい」「綺麗なものを映しなさい」と全国からご指摘がありました。
河口 『典座 -TENZO-』は今までの宗教界にないパターンの映画です。宗教映画というのは布教をメーンとした「良い部分」を見せる映画作りだったと思うのですが、『典座 -TENZO-』は宗教者の内側をさらけ出しています。僧侶の中には、そういった部分を見せたくないという人もおられますが、その部分の表現なしでは、実生活での仏教の良さというのは伝わらないと思います。
仏教界も変わらなくてはいけない
――映画を完成、そしてカンヌ国際映画祭を終えてどうでしたか?

河口 カンヌというのは夢の舞台で、とにかく緊張したというのがまずありました。そしてカンヌでの公式上映の2日目に、嬉しかったことがありました。
その先生は課外授業で毎年生徒をカンヌ映画祭に連れてきているそうなのですが、今年はその課外授業に『典座 -TENZO-』を選んでくれました。そして上映後の退出の際に「すごく良かった」という感想も私たちに伝えてくれた。映画業界の方に評価をいただくことも、もちろん大変ありがたいのですが、海外の普通の高校生にも喜んでもらえたというのが、すごく励みになりました。
富田 今こそ、私たち日本人は変わらなければいけないと思います。加えて、仏教界も変わらなくてはいけないという、お坊さんたちの思いがこの映画には込められています。かつて日本は世界第2位の経済大国と言われ、仏教は葬式仏教と揶揄され続けてきた。しかし今の日本は転落の一途をたどっています。もう以前とは決定的に違う。さらに2011年に起きた東日本大震災による津波の被害、そして原発事故によって、日本は東日本が全滅するのではないかというほどの恐怖を味わったのです。人々が変わり始めている、だから僧侶も変わり始めている。非常に分かりやすい話です。それを素直に作ればいいのだという確信がありました。
河口 私たち僧侶って、日本にいる時の方が、僧侶としての世間からの見られ方や、いろいろな壁があったりして、身構えているのかなと思います。悩んでいる僧侶もたくさんいます。今回は映画という機会をいただいて、新しい世界に一歩踏み出せたというのが、自分たちにとってありがたかった。今回のことをきっかけに、これからの仏教のあり方などの土台作りを、自分の中でしっかりしていきたいです。

『典座 -TENZO-』は、現代アートの祭典「あいちトリエンナーレ2019」の映像プログラムとして8月9日と9月17日に上映予定。その後、日本ではアップリンク吉祥寺・渋谷ほかで10月4日から順次全国公開される。
(加藤亨延)