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才能、として求められているものの一部は発見なのだ、と改めて思った。
誰も読んだことがない小説、だけど誰かに書いてもらいたかった小説。
それを期待して本を開く読者に、『時空旅行者の砂時計』の著者、方丈貴恵は確かに応えたのだ。
『時空旅行者の砂時計』、第29回鮎川哲也賞の受賞作である。
こんな設定のミステリーは読んだことがない
『時空旅行者の砂時計』は、加茂冬馬の絶望から始まる。
冬馬の妻である伶奈が、急性間質性肺炎のために明日を知れぬ状態に陥ったからだ。今にも最愛の人の命が尽きようというときに、スマートフォンに謎の着信があった。その声の主は、冬馬がかつてオカルト系のライターをしていたこと、伶奈とは「呪われた竜泉家」の取材をしていて知り合ったことを言い当てる。かつて竜泉家の人々がいちどきに殺されるという事件があった。そこから生き残った者と子孫、配偶者までがなぜか、35歳になる前に次々と死んでいったのである。声の主は、呪いは実在すると断言する。運命の連鎖を断ち切るには、竜泉家殺人事件が起きた1960年に戻り、謎を解かなければならないのだと。わずかな望みにもすがりたい冬馬は、マイスター・ホラと名乗る声に従い、過去を遡る時空の旅へと出る。
なんらかの条件によって関係者が鎖された環境に閉じ込められ、連続殺人が起きるという状況のミステリーを〈孤島〉もしくは〈雪の山荘〉ものと呼ぶ。それに時間旅行というSF要素を絡めたのが『時空旅行者の砂時計』という作品の肝だ。冬馬を1960年に連れていくのが〈奇跡の砂時計〉という道具なのである。未読の方の興を削ぐといけないので書かないが、この時間旅行の設定は主人公を変わった物語の舞台に誘うだけではなく、彼が行う推理そのものにも関係する。抽象的に言うならば、縦、横、高さという三次元の要素だけではなく、時間も含めた四次元の推理を求められる小説なのである。ここに方丈の「発見」の価値がある。なるほど、その方向性があったのか、と感心させられる。
特殊設定のミステリーというものがある。主人公が事件関係者に乗り移りながら同じ一日を何度もやり直す、スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』などの作例が海外にもあるが、特に日本国内で発達したサブジャンルだと言っていい。山口雅也が1989年に発表した『生ける屍の死』は、死者が甦ることが常態化した世界での犯人当てを扱った小説だが、こうした「小説の中は成立している、超自然現象や物理法則に反した事態」を謎解きのための前提条件として採用した作品が、すなわち特殊設定のミステリーだ。
『七回死んだ男』や『人格転移の殺人』などの初期作品群がある西澤保彦は、このジャンルの第一人者と目されていた時期がある。
また、1987年に発表された『十角館の殺人』に始まる綾辻行人の連作長篇は「奇妙な仕掛けが施された館」が必ず殺人劇の舞台になるという共通項を持っていて、これを特殊設定と見做すこともできる。1980年代末からの日本ミステリーにおいて、特殊設定ものは一つの潮流であったわけだ。前回、鮎川哲也賞を受賞した『屍人荘の殺人』と今回の『時空旅行者の砂時計』で、さらに系譜に連なる作品が増えたわけである。
ルールは守るから楽しいのだ
そんな自分ルール、ずるいよなあ、と特殊設定ミステリーを読みなれない人は思うかもしれない。何でもありなのかよ、と。それは誤解で、特殊であるがゆえにルールは遵守されるのである。逆に作者を縛るものが増えていると言ったほうがいい。謎解きの愛好者は縛られるのが好きなのだ。厳格にルールが運用されるのが好きな人向きのジャンルである。閣議決定でそれはいいことにしました、とか絶対言わない人。
もう少しつっこんで書くと、『時空旅行者の砂時計』の長所は、四次元の論理を駆使しつつ、日常感覚から逸脱しない範囲でそれを行うという節度がある点だ。『「クロック城」殺人事件』などの北山猛邦初期作品をお読みになっている方は、あれを思い浮かべていただければいいと思う。短所は、キャラクターで読ませる要素が薄い点である。2018年に生きる主人公と、1960年の人である竜泉家のひとびとがまったく同じ感覚で話をしているのはおかしく、半世紀のずれがどのような意識のずれを生じさせるか、と考えていくところからが小説の楽しみというものだろう。しかしデビュー作に多くを求めすぎるのは野暮というものだ。これから上手くなればいい。
どんなに点の辛い読者でも、この小説の新しさだけは否定できないはずである。こういう趣向は読んだことがなかった。まさかそうくるとは思わなかった。そんな呟きを漏らさせた時点で作者の勝ちなのである。次はどういう手でくるのか。また思わぬ方向から球が投げられるのか。それとも意表を衝いて正攻法か。ぜひ予想を裏切って期待には応えてもらいたい。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)
※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅