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今回紹介するのはネットフリックスのオリジナルドキュメンタリー『物ブツ交換』である。短い作品だが、なんとも言えない閉塞感や異国情緒、独特の諦観を味わえるなんだか不思議なドキュメンタリーだ。
ジョージアの田舎に行商に行くおっさん、その決済の手段はジャガイモ!
おれは現在、『デス・ストランディング』というゲームをやっている。話題作なのでプレイしている人も多いと思うが、基本的には「地点Aから地点Bまで荷物を運ぶ」というのを繰り返すという、そこだけ聞いたら何が面白いのかよくわからないゲームだ。諸事情あってバラバラに分断され地下で暮らす人々のところへプレイヤーが荷物を担いでいって届け、配送したい荷物を集荷してまた別の目的地へトボトボと歩いていくのを繰り返す……。文明が崩壊しかけているので周囲の風景は巨大な自然に囲まれており、さらにゲームを進めていくと三輪バイクやトラックなどの乗り物にも乗れるようになる。徒歩での「おつかい」が機動力や周囲の状況によって「物流」に変化するのを体感できるのは、『デス・ストランディング』の醍醐味だろう。
前置きが長くなったが、『物ブツ交換』はなんだかこの『デス・ストランディング』のことを思い出すような映画だ。舞台となるのは西アジアのジョージア。カメラが張り付くのは、見るからにヨーロッパとアジアの中間あたりの人っぽい、ムクムク太った中年のおっさんである。彼は街でおもちゃや古着、生活必需品や化粧品などを仕入れ、自分のバンに積んで田舎へと車を走らせる。行商へ行くのだ。
バンがとある村に到着すると、おっさんはバンの後ろのドアを開いて店を広げる。そこにバラバラと寄ってくる村人たち。衣料品や靴を求める女性や、おもちゃに目を輝かせる子供、冗談混じりで冷やかしにくるおっさんたちなど、村人は行商のおっさんの持ってきた品物を買い求める。
品物の値段を聞かれて、行商のおっさんは「ジャガイモ15キロだ」と即座に答える。そして実際に持ち込まれる大量のイモ。フックに引っ掛けるタイプの秤でイモの重さを計測し、おっさんはイモと引き換えに商品を渡す。ジョージアの田舎では、貨幣の代わりとしてイモが使われているのだ。おそらくおっさんはジョージアの農民がイモで代金を払うのを前提に、イモ決済の方を割高にしているのだろう。そうじゃなければ、現金の代わりにイモが出てくるような場所までわざわざ出向く意味がない。そしてそうと知ってか知らずか、村人たちはイモで自分たちの村にない商品を買うのである。
ド田舎の物流と決済、そして景色だけが雄大であり続ける……
合間合間に、ジョージアの田舎の風景が挟み込まれる。マジで遮蔽物がなにもなく、どこまでも地面が続く中で村人が一緒に行うイモ掘り。200年以上建て替えられてないのでは……という石造りの家の前を子供達が走り回り、道路では少年が牛を引っ張って歩く。まるで19世紀の絵画のような風景の中、カピカピに干からびたおっさんがボケ~ッとタバコを吸ったりしている。
村の老人は「昔は教育を受けるのが夢だった。でもそれは無理だったし、今は天候に恵まれて作物が沢山取れるのが夢だ」と遠い目でボソボソと答える。なんせ定期的に荷物を積んだバンがやってきてイモと引き換えに商品を置いていくし、村の人たちもこの村の外には外の世界があるのは知っているのだ。でも色々事情があって、やっぱり村の外に出るのは難しい。作物のことくらいしか考えることがない。映像はだだっ広いのに、独特の閉塞感がある。そんなところに、行商のおっさんは街でしか手に入らない商品を積んで走っていくのである。
この「物流」と「決済」をむき出しで見せられる感じ、これはかなり『デス・ストランディング』をプレイしている時の感覚に近い。『デス・ストランディング』では荷物を届けたらイモがもらえるというわけではないが、しかし分断された田舎にプレイヤーが様々な品物を届けるというのは同じである。ただ貨幣経済をベースとした『物ブツ交換』のイモ決済は、ゲームよりもずっと厳しくキツそうではあるけれど。
なんだかアコギな商売をしているようにも見える行商のおっさんだが、しかしイモをはじめとした農産物しか手元にない(そしてイモは腐る程ある)農民たちにとっては、外からわざわざ来てくれる生活の担い手であり、数少ない娯楽でもある。
雄大で、でもなんとなく閉塞感のあるジョージアの田舎を走り回った行商のおっさんは、映画の最後に都会へと再び戻ってくる。そこでのシーンがこの映画のオチになっているのだが、これは是非とも自分で見て確かめてほしい。短い作品ということもあって正直もうちょっとこのおっさんの商売を見ていたいと思ったものの、「ぼんやりと全てを諦めつつ、それでも細々と物流と決済が続く」という異国の映像を長時間見ていると現世に帰ってこられなくなりそうな気がする。そういう意味では、20分ちょっとという短さは程よいのかもな、と思った。

(文と作図/しげる タイトルデザイン/まつもとりえこ)