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なんと言うのかな。この小説の繊細さに、たぶん一目惚れしたんだ。
清水裕貴のデビュー作、「森のかげから」である。今回刊行された初の著作、『ここは夜の水のほとり』に収録されるにあたり、元の「手さぐりの呼吸」という題名が現行に改められた。「手さぐりの呼吸」は、二〇一八年に第17回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を獲得したときの題名だ。受賞作として「小説新潮」2018年5月号にこの短篇が掲載されたときに読んでいた者として、ちょっとだけ我がまま言わせてもらっていいだろうか。「手さぐりの呼吸」という題名、好きだったので改題は少し残念だ。
小説のいちばん好きなところは敢えて書きたくない
初読時にびっくりした記憶がある。『ここは夜の水のほとり』が本になったときにもある理由で驚いたので、私は清水に二度びっくりさせられたことになる。二度目に驚いた訳は、あとで書く。
「女による女のためのR-18文学賞」という名称からもわかるとおり、この賞は女性性の現在を、性に関わる事柄から描き出すことを目的としている。性に関わる、というと官能小説をなんとなく想像してしまう。もちろん性行為の描写が含まれても構わないが、そこばかりに着目していては作品の表面しか見えてこない。たとえば、性行為にまつわることはなぜ男性と女性で非対称な形でしか語られないのか、というような問いを伴わなければ意味がないのだ。そうした賞の性格に、「手さぐりの呼吸」ほど誠実に応えた作品はなかったのではないだろうか。その抜きんでた品質の高さに私は驚いたのである。
どんなに驚いたかを知っていただくため、当時のメモをそのまま書き写すことをお許し願いたい。こう書いている。
「セクシュアリティが入念に隠されているのが本篇随一の企みではあるけれど、それはトリックのためのトリックではない。あえて〈あなた〉という二人称を用いたのも、二人のセクシュアリティを相対化して見るためではなかったか。文章は抑制が効いた見事なもので、唐突に驚くような表現が出てくるのも計算され尽くしていて良い」
これだけを書いてもなんのことだかあまりよくわからないだろうと思う。作品の設定を説明すると、主要な登場人物は三人である。そのうちの二人、〈あなた〉と〈私〉は美大生で、「大学一年生の春から卒業までの四年間」「玉川上水のほとりに建つ古い一軒家」でルームメイトとして一緒に暮らしていた。
〈私〉は地元に帰り、高校の美術教師になったはずなのだが、なぜか卒業から三年経った現在でも、その家で暮らす〈あなた〉を至近距離から観察している。この小説の主語はほぼ〈あなた〉であって、〈私〉はそれに寄り添っているのである。この視点の不思議は小説の中盤で唐突に種明かしされる。上に書いた「唐突に驚くような表現」はそれに絡んだものなのだが、ネタばらしは野暮なのでここでは明かさない。私と同じように驚いてもらいたい。本当にびっくりした。「森のかげから」という現行の題名もそこから来ているのだと思う。
主要な登場人物は三人いると書いた。あれはちょっと嘘だ。実は四人いる、らしい。らしいというのは二人が住む一軒家に居るらしい幽霊がもう一人だからだ。幽霊だが〈あなた〉と〈私〉は特に怯えることはなく、普通に同居している。幽霊らしきものはテレビを勝手につけて観るくらいのことしかしないからだ。その視聴傾向から、二人は幽霊がきっと女性なのだろうと考えている。
本当の三人目は〈ベルーガ〉という人物だ。〈ベルーガ〉というのは鴨川シーワールドにいる、今もいるのかな、シロイルカの名前である。シロイルカを連想させるような、白くて大きい見かけなのである。〈私〉はこの〈ベルーガ〉に恋をする。ここが書ける範囲では小説内で起きるいちばん大きな出来事である。
「セクシュアリティが入念に隠されている」と上のメモで書いた。これまでの文章でもお気づきかと思うが〈あなた〉と〈私〉の性別も小説を読み始めた時点では明らかになっていない。じきにわかるのだが、それまでに読者が通る迂回路に重要な情報が置かれていて、拾わないと判明ポイントに辿り着けないようになっている。おお、なんてすばらしいデザインの小説なんだ。今回の単行本化で初めて知ったのだが、作者は武蔵美術大学出身の写真家でありグラフィックデザイナーであるそうだ。空間設計の能力はそれで培ったのかな。
美大生の世界をそっと覗いてみる
で、実は「森のかげから」という小説の最も素晴らしい点にはちっとも触れていない。ここまでの文章で読む気になってくれた人がいたら、もう本屋に走ってもらいたい。書きたいけど絶対にその素晴らしい点について明かしたくないのだ。みなさんにも私と同じように感動してもらいたいから。ああ、書きたい。しかし断固として書かない。書かないぞ。
その代わりに「小説新潮」に掲載された辻村深月選考委員の評言を引用しておく。あまりに我が意を得たり、と感心した文章なので書き写しておいたのだ。
「受賞作となった作品は、自然な流れとして性別や×××を扱っていたのに対し、受賞とならなかった作品はどこかそれを小道具のように扱ってしまっている印象でした。この賞は「女による女のための」と銘打った、人の心の機微、性差の機微、コンプレックスや生きにくさと向き合ってきた賞です。その賞から送り出される作品として、どうしてそのテーマなのか、今一度考えてみてください」
引用者の判断で勝手に伏字にした箇所がある。申し訳ない。作品を読んだ後でぜひこの評を振り返っていただきたいのだ。そうだ、この作品はだからこそいいんだ。辻村さん、よくわかっていらっしゃる、と絶対に思うはずである。素晴らしい選考委員が素晴らしい作品を大賞として選んでくれた。読者として感謝するばかりである。幸福な読書体験を本当にありがとう。
なんとここまで原稿用紙6枚分くらい書いてしまったが、『ここは夜の水のほとり』の他の収録作についてまったく触れていない。そうだ、実は本書は5作を収録した短篇集なのである。しかも連作になっている。巻頭の「金色の小部屋」は「小説新潮」2018年8月号に掲載された、私が二番目に読んだ清水作品である。これもいい。視点人物の〈私〉は美大受験専門の予備校で講師として働く女性だ。その彼女が、「川上宇一が落ちた」と元同僚の草角から知らされることから話が始まる。落ちたというのは受験ではない。線路である。
五年前の教え子だった青年が亡くなったという急な知らせを受けて、〈私〉は彼の通夜に出席する。そこであることが起きて小説は幻想味を帯びた展開になる。だが、これ以上は書かない。主要な登場人物はこの他に、彼の隣家に住む幼馴染の遥という浪人一年生の女性だ。彼女も〈私〉の教え子である。
5作すべてが大学生や講師、予備校の学生など、美大関連の人間を主役としている。美大というそれ自体で自足した環境、経済的に豊かになることを保証されるわけではない世界で暮らす人々を、抑制の効いた綺麗な文章で描いた小説集なのである。
掲載誌で読んだとき、なるほど美大の話なのか、と思ったがこれが連作になるとはまったく予想していなかった。しかし「金色の小部屋」と「森のかげから」は世界がつながっているのである。単行本で読んで、そのことに気づき、うわあ、そうだったのか、と思った。これが前のほうに書いた二度目のびっくりだ。二篇目の「最後の肖像」に深瀬という人物が出てくるが、彼はどうやら「森のかげから」に出てくる一軒家の、昔の住人らしいのである。そういうつながりが見えてくると話がさらにおもしろくなってくるので、これまた実際に読んで確かめてもらいたい。だからこれ以上は書かない。
最初にも書いたが「手さぐりの呼吸」という題名は本当に大好きだった。呼吸のような当たり前のことまで手さぐりでそろそろとしなければいけないような気遣いに満ちた小説なのだ。今から、単行本の題名だけでも「手さぐりの呼吸」に替えてもらえないかと勝手に思うくらいに好きだ。いや、でも『ここは夜の水のほとり』という題名も好きなのである。その字面が体現している静寂も本書にはふさわしい。これは三作目の収録作の題名なのだが、そういう小説なのである。水のほとりの小説なのだ。だからこのままでいい。いやでも「手さぐりの呼吸」もやはりいい。私の持っている単行本だけ、カバーを2枚にして掛け替えできるようにしてもらえまいか。大事に読むからさ。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)
※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅