おや、この作者、人の心を書こうとしているな『深淵の怪物』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」
「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」第16回。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

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おや、この作者、人の心を書こうとしているな。
木江恭『深淵の怪物』のページをめくりながら、そんなことを思ったのである。著者にとっては初の著書となる短篇集だ。巻頭に収録された「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」で第39回小説推理新人賞奨励賞を授与されて、木江はデビューを果たした。
おや、この作者、人の心を書こうとしているな『深淵の怪物』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

デビュー作とはのびしろのあるもの


その「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」は中学校の美術教師が変死することから始まる話である。死者の名前は赤沢洋司という。現場には彼の自筆と思われる「すまない、死んで詫びるしかない」というメモとUSBメモリが遺されていた。メモリの中に入っていた画像は、彼の娘・凛の裸体を撮影したものだったのである。そうした行為に及んだことを悔いての自殺だろうか。事件を担当する捜査一課の高田優希には気になることがあった。凛の画像の背景となっている部屋に見覚えがあったのだ。会員制の投稿サイトで発見したもので、まったく別の未成年者が被写体となっていた。もしそれが赤沢の手によるものだとすれば。
基本的には高田優希が視点人物を務めるのだが、随所に別の語りが挿入される。〈ぼく〉と名乗る人物が少女の肖像画を描いていると思しき場面である。その語りの意味は終盤になって明かされる。仄めかされているのは未成年者への性的な虐待の可能性で、女性の刑事が調べに当たることもあって、張り詰めたような緊張感をもって話は進行していく。その点がまず良い。主人公が肉親による性的虐待に敏感である理由を持っているというのも、キャラクターを立てる基本に忠実だ。
残念な点は、最後に明かされる犯行計画にご都合主義と感じられる点があることである。現実にはどうかということを考えていくと、無理筋と思われる箇所があるのだ。また真相を隠したいという無意識の現われか、表現がぼやかされた部分があり、未整理な印象を受ける。そこが読みにくいと感じる読者もいるはずだ。小説推理新人賞は毎回選考会の模様を公表しているが、桜木紫乃・朱川湊人・東山彰良の各選考委員にもその点を指摘されていた記憶がある。正賞ではなく、普段はない奨励賞を設けての受賞になったのはそのためだ。逆に言えば、ただ落選させるのではなく、そうやって特例措置をとっても誌面に掲載したいほどの魅力があったということでもある。たしかに関係者の心に斬り込もうとする作者の態度には目を瞠るものがある。書き手の意欲が文章には充溢している。

授賞が間違いではなかったことを、木江は第二作の「人でなしの弟」で証明してみせた。片瀬直紀と翔午、二人だけで生きてきた兄弟を主役にした短篇である。母が男を作って家族を捨て、残された父も子供を見捨てて出奔した。そんな境遇に落とされても翔午が生き抜けたのは、六歳違いの兄・直紀が親代わりになって彼を育ててくれたからである。時には鬱陶しさを感じるほどの愛情を注ぎながら、兄は彼を守ってくれた。その直紀が不審死を遂げたのである。翔午を訪ねてきた刑事は、何者かに殺害された可能性があると彼に告げる。意外なことに直紀は、職場でパワーハラスメントとしか言いようのない騒動を起こしていた。人でなしと彼を罵る者もいるということに、翔午は愕然とする。
人の顏は一つではなく、常に多面性を持つ。そのことについて書かれた作品だ。優しい兄の顏しか知らない弟が自分の知らなかった一面を探っていくという構成上、直紀の別の顏が明かされるという話にしかなりえないのだが、ではそれを知った上で翔午はどういう選択をしたか。彼の言葉で終わる幕切れが印象に残るもので、とてもいい。単に話を引っくり返すだけならプロットを作り、それを機械的に肉付けしていけば誰でも書ける。木江はそれに飽き足らず、登場人物の意識の底に下りていき、彼らの言葉を代弁しようとした。人の心を書こうとしたのである。

ミステリーとはいびつなもの


本書に「深淵の怪物」という題名の作品は収録されていない。エピグラフに置かれているが、ニーチェの「君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」という文章から採られたものである。有名な一節であるが、その前にはこう書かれている。「怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい」。人間が関係性で成り立つ生き物である以上、超越的な立場に自らを除外することは不可能だ。謎を扱うミステリーは、しばしば死という現象やそれにまつわる人間関係を俯瞰で眺めることになる。超人的な探偵が登場するスタイルの物語などは特にそうだが、見方によれば人間の尊厳を玩弄しているかのような傲慢な態度を取ることにもなる。その危うさに気づいている書き手だと私は感じた。「虚構の怪物」とは謎を解こうとする探偵であり、物語の読者でもあるだろう。

後半には明らかに成長が感じられる2篇が収録されている。これは筋立てをあまり書かないので、実際に読んで確かめてもらいたい。ホワイダニット、すなわち動機の謎を問うミステリーとして最も上質なのは3篇めの「さかなの子」である。海辺の町で起きた殺人事件を学校教師の視点から綴っていく。犯行動機が奇妙なのはもちろん、事件を巡る関係者の心理が複雑な書かれ方をしている点を高く評価したい。最後の場面は非常に皮肉なもので、忘れ難い余韻を残す。
最後の「メーデーメーデー」は、街角で起きた小さな事件の当事者を探すというもので、見ず知らずの高校生に主人公がいきなり協力を求められる始まり方からして掴みが成功しているし、伏線の敷き方もさりげなくて上出来である。また、主人公の設定にある工夫があって、彼が謎解きに参加せざるをえない理由に読者は頷くことになるだろう。先に挙げた探偵という存在のおかしさ、傲慢さについて最も自覚的に書かれた一篇なのだ。
雑誌掲載時にも目は通していたが、こうして通して読むと、木江恭という作家の着実な進歩を感じずにはいられない。大々的な鳴り物入りでデビューした人ではないが、この名前は覚えておいて損はないと思う。これはきっと化けるぞ。木江恭、3年後が楽しみな作家である。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)
※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅