古市憲寿『奈落』が凄い。小説史上またとない残酷なキス。吐き気がこみ上げるほどの孤独を描ききった
「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」第17回。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

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吐き気がこみ上げるほどの孤独を小説の文章で描き切った。
古市憲寿『奈落』は虜囚の境遇にある女性を主人公にした小説だ。その苦衷の心中を想像することはできるが、彼女の心の底まで到達するのは並大抵の努力では難しい。あまりの辛さに、誰もが考えることを放棄してしまいたくなるはずだ。作者はやりきった。その点を大いに評価したいと思う。
古市憲寿『奈落』が凄い。小説史上またとない残酷なキス。吐き気がこみ上げるほどの孤独を描ききった

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この4桁の数字が章題のように冒頭に記される。登場した主人公は数を数えている。62番目の染みの傍には小さな窪みがある。ピアノ教室を休みたいかったときにかんしゃくを起こしてメトロノームを投げつけた跡だ。63、64、65、66と4つ並んだ染みは偽十字星。主人公が「目を覚ましてから2066日目。今日から4073日前」に主人公がつけた名前だ。これで6139という数字の意味がわかる。何かの事態によって眠り続けていた主人公が、意識を取り戻してからの日数だったのだ。67、68、69、と数え続ける行為は81で終わる。主人公は起きるたびに天井の染みの数を数えていたのだった。冒頭で、視点の動きによって状況が暗示されるタイプの小説だということがこの短い文章でわかる。どうやらその状況というのは、ひどく不穏なもののようだ。

やがて介護士の青年が室内に入ってきて、主人公がその助けが必要な境遇にあるということがわかる。ベッドの上から体を動かすことができない状態なのだ。それに続いて主人公の家族がやってきて、ついに藤本香織という名前がわかる。つけられたTVでは歌番組の予告が流れる。登場するのはSMAP、安室奈美恵、ポケットビスケット、globe、ZARDなど(どれも現在では活動していない)平成を彩ったひとびとだ。その中に主人公の姿も映る。藤本香織は、かつて歌姫として時代を築いたアーティストの一人だったのである。その彼女がなぜ重度の障害を負って自宅のベッドに寝ているのか。

次にその顛末が語られる。今から6172日前、つまり目を覚ます33日前、香織は代々木第一体育館で行われていたツアーのステージから転落したのである。意識不明の状態から回復した香織は、すでに一ヶ月が経過しているという事実を医師からつきつけられて驚愕する。はじめは、いつ復帰できるだろうか、ぐらいの考えだったのだが、それどころではないことに気づき始める。香織の体は、指示に応えて眼球を動かす程度のことさえできなくなっていたのだ。
骸骨顔の年老いた医師は、遷延性意識障害の可能性が高いと言い出す。平たく言えば植物状態のことだ。香織が反応を示さないのは意識がないからだというのである。香織にとっては晴天の霹靂だ。周囲の声はみな聴こえているし、見えている。今だって医者がとんでもない薮だということを知って激怒しているというのに。その医師の診断のせいで、香織は地方の病院に送られそうになる。そこではろくに治療は行われず、ゆるやかに死を待つ者ばかりが集められているのだという。動かない体という棺に閉じ込められて、香織もそこで地獄の苦しみを味わうことになるのか。

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香織をアーティストとして知っていた若い医師が口をきいてくれたためか、もっとリハビリテーションに特化した病院に香織は転院することができた。苦労の甲斐があって身体に好転の兆しが見えてきたにもかかわらず、藤本家の者たちは香織を早急に退院させ、自宅治療に斬り返させてしまう。家こそは少女期の香織が最も忌み嫌い、早くそこを出ることだけを考えていた場所だった。しかし、今の彼女にはなすすべもない。

家に戻って来た香織を待っていたのは、耐え難い裏切りの連続だった。子供の頃から不仲で、ろくに口をきいたこともない姉が、香織の未発表の作品を「プロデュース」すると言い出し、悪趣味なやり方でソフト化してしまう。言うまでもなくそれが生みだす金が目当てだ。自分の築いてきた作品世界がそうしたやり方で蹂躙されてしまっても、香織は抗議をするための表現手段を持てない。父と母は姉を止めず、ただ見守るだけだった。藤本家の人々は香織を生きた娘として迎え入れたのではなかった。金を産むモノとして囲い込むために娘の身柄を確保したのだった。物を言わないという点では金の卵を産むガチョウとなんら変わりない。

意志をことごとく無視され、プライバシーも暴かれて商品として売り出され、心ない言葉を投げつけられる。蹂躙する者は香織にとって最も近い立場の身内なのだが、姉は、自分が妹にとっての最大の理解者であったという歴史修正まで行って「伝説」の上書きをしようとする。欲する者がいる限り、彼らに好まれる「伝説」は提供される。歴史修正主義者によって作り出される新たな需給関係は、過去のそれを浸食し、無化してしまうのである。そうした形で過去の出来事についての認識そのものが変容していく過程が、藤本家という狭い場所で端的な形で見えてくるのである。
香織が熱望するものは言葉だ。自分の言葉で今の気持ちを発信したい。しかし傷ついた体はことごとく彼女を裏切り続ける。本書にはいくつか残酷な場面が出てくる。同じアーティストの海君と香織は、プラトニックな関係で交際を続けており、そこで交わした言葉の数々が彼女にとっては大きな財産となっていた。しかし海君の訪問も香織に奇跡を起こすことはできなかった。初めて病室を訪れた海君は、動かない香織の唇に初めてのキスをしようとする。眠り姫を起こす王子の奇跡を演じたかったのか。だがそのとき、香織は耐え難い生理的欲求のただなかにいた。

「今、何考えてるの? ちゃんと起きてるんでしょ。何か話してよ」
──瞬きはできても、息はできても、口は動かない。それなのに肛門は勝手に動いて、やがて水のようになった便がオムツの中にたまっていくのがわかった。海くんはそんなこと構わずに顏をさらに近付けてくる。/やめて、と思った。海くんが顔を30度くらい傾けて、私の唇に自分の唇を重ねる。せめてその数秒間くらいは目を閉じていたかった。なんで望みもしない排泄をしながら、大切な人と初めてのキスをしないといけないのだろう。(後略)

小説史上またとない残酷なキスの場面だろう。
言葉を奪われた香織にとって、海君は次第に遠い人間になっていく。2019年にはクリスティーナ・ダルチャー『声の物語』というフェミニズムSFが翻訳された。女性が論理的な発言をすることを法で禁止した社会を描いたディストピアが舞台の物語だ。その小説では声を奪われた女性が奴隷的な立場に落とされていくのだが、本書の主人公も同じような地獄を経験する。男たちが香織にする所業については、ぜひ実際に読んでご覧いただきたい。女たちもまた香織の味方ではなく、運悪くモノの境遇に落ちた同報を贖罪の羊のように扱う。どれほど人が同じ人間に対して残酷になれるかということを、その当事者の視点から見据えた小説なのだ。動けない主人公を視点人物に採用した点が成功しており、『奈落』という題名も大きな意味を持つ。まさに社会の奈落から藤本香織は、自分がすべての権利を収奪されていくさまを見つめているのだ。
古市憲寿『奈落』が凄い。小説史上またとない残酷なキス。吐き気がこみ上げるほどの孤独を描ききった

残酷な物語なのだが、作者は3作目にしてストーリーテリングの技巧が増しており、滑らかに読み進めることができる。『平成くん、さよなら』『百の夜は跳ねて』に続く作品だが、文句なくこれが現時点での最高傑作だろう。惜しくも候補にはならなかったようなのだが、平成という過去が巨大な虚無を孕んでいるということを、香織という主人公を通じて描いた諷刺小説にもなっている。東日本大震災を契機とした価値観の転換にも果敢に言及しており、非常に攻めの姿勢が目立つ作品だ。候補にして、芥川賞をやってしまってもよかったんじゃないのかな、と門外漢は思うのであった。
古市憲寿『奈落』が凄い。小説史上またとない残酷なキス。吐き気がこみ上げるほどの孤独を描ききった

古市憲寿『奈落』が凄い。小説史上またとない残酷なキス。吐き気がこみ上げるほどの孤独を描ききった

(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)

※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅
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