
リアルなフィクション『花束みたいな恋をした』
一時期リアリティーショーが人気だったが、ヤラセ判明が続出して、最近ちょっと食傷気味。だったら、やっぱりリアルに見えるフィクションがいい。映画『花束みたいな恋をした』(坂元裕二脚本、土井裕泰監督)はまさにそれ。【関連記事】綾野剛主演『ヤクザと家族』20年の描かれていない時間をも演じ切った2時間15分
冒頭、カフェでひとつのイヤフォンを左右に分けて音楽を聞いている恋人たちが登場する。 イヤフォンで同じ曲を聴くのは恋愛あるある、キュンとなるシチュエーションのテッパンだけれど、『花束みたいな恋をした』ではそれが単なるテッパンのイメージカットでは終わらない。 そういうところにフィクションの強度を感じる。

麦と絹はあるとき、お互い、たまたま終電を逃し、駅で出会う。深夜営業の店で時間を潰すなかで、履いているスニーカーが同じなことからはじまって、好きな音楽、小説、漫画、ゲーム、映画……と気が合うことを知る。初めて会ったにもかかわらず饒舌に会話を交わせることで出会いの第一段階は軽くクリア。趣味が合うのはいいものである。
そうはいっても、わかりあえないところもあって、初めて麦のアパートを訪ねた絹が、彼が熱心にパソコンにアップしているとある風景のシリーズを受け入れようとしつつ、完全には理解できないところもご愛嬌。そんなとき、絹の濡れた髪の毛を麦がドライヤーで乾かしてくれるテッパンのシチュエーションがあれば、多少の問題は気にならない。そう、恋のはじまりは勢い。
幸福の絶頂期を迎えるふたりに変化が訪れる
ばちっと合うところと、そうでもないところがあるのは当然で、麦と絹はお互いの様子を探り合いながら、近づいて、付き合うようになり(ファミレスでの告白の仕方がいい)、あっという間に一緒に暮らしはじめる。
新居は駅から遠いけれど、その分、広くて快適。テラスのようなベランダからは川が見える。風通しの良い部屋。最高過ぎる。それは幸福の絶頂。ふたりの趣味に合わせたものに囲まれた生活描写は、雑誌のお部屋特集を読むような、憧れが詰まっている。ふたりでベッドに寝転がって、漫画『宝石の国』を読んで泣くという描写は、映画館で足をバタバタさせてしまう。
出てくるポップカルチャーの固有名詞のセレクトはベタ過ぎずトンガリ過ぎず、わかるわかると見ていてにやにやしてしまう人が多いと思うが、たとえわからなくても、猫を延々録っている映像を観ていてちっとも飽きないように、麦と絹が一緒に過ごしている姿は、とりたてて事件がなくてもまったく飽きない。猫1匹もいいけれど、猫が2匹いる様子は余計に魅力的。

微妙に位置を替えながら心地よさを満喫する、麦と絹にはそんな感じがある。菅田将暉と有村架純のゆるふわパーマのかかった髪の毛と、なんだかやわらかい表情がいやし系の動物みたいな感じがするのだ。


ところが、そんなふたりに変化が……。出会ったときの麦はイラストレーターになりたくて、暮らしはじめてからも安価な仕事を細々と引き受けていたが埒があかず、夢をあきらめ就職することを選ぶ。それは絹との生活を考えてのことだったが、それによって、好きだったカルチャーに触れる余裕がなくなっていく。
そうなると、まだ好きなことをして生きていたいという思いが強い絹は、ふいにひとりでどんどん変わっていく麦についていけず、戸惑ってしまう。麦がいない時間、ひとりで興味ある世界を広げはじめていく。
恋のはじまりとその盛り上がりにも共感するが、恋が壊れはじめ、徐々に修復できない状態になっていく様子も、わかりみが深過ぎるという常套句を思わず使ってしまうほどわかる。どれだけ一緒にいても楽しくて仕方なかったのに、いつの間にか、同じ時間を過ごせなくなっていく麦と絹を見ていると、なかにはこのまま結婚して、子供ができて……という恋人たちもいるのに……と何が人生を分けるのかなと考えてしまった。
誰かと生活するということ

『花束みたいな恋をして』は正真正銘の恋愛ものである。けれど、好きなことを好きなだけやれる若い時間を愛おしく想い弔う物語のようだとも感じる。恋人がいようといまいと、社会に出ると失っていくもの、あきらめていくものは増えてくる。同じものが好きで同じものを見ていた麦と絹を例えば同一人物なのだと想定してみると、ふたりは、いつか終わりのくる青春の象徴のように見えてくる。

麦のように社会に出なくちゃという責任感も、絹のようにいつまでも好きなことをして生きていきたいという願いも、ひとりの人間のなかに存在している。麦と絹はポップカルチャーが好きだけど、その道の第一人者にはなれないというところがポイントだろう。道の後ろや端に引っかかりたいという気持ちはあるのだろうけれど、消費者にしかなれない。世の中にはそういう人のほうが多いから、身につまされる部分は大きい。麦の選択は本当に切ない。

恋人たちの幸福の象徴のようなイヤフォンは、左右に音が分かれていて、それが一体となって完全な曲となる。それを、恋すればひとつのイヤフォンで曲を聴くでしょうという恋愛の真髄と考えるか、それとも、それが恋愛のはじまりと終わりを暗示するものと考えるか……。左右に分けて一緒に曲を聴くようになってしまったからこそ、麦と絹は別れることになったのかもしれない。

誰かと生活を続けていくことは、各々の考え方や生き方の違いに折り合いをつけていくことだ。左右の音の違いに気づかず、同じものを聞いているような勘違いこそが恋であり、それを続けると、恋は終わる。
それでも終わった恋の経験を持つ者は意外と幸福だ。
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作品情報
2021年1月29日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか、全国公開『花束みたいな恋をした』
出演:菅田将暉 有村架純/清原果耶 細田佳央太/韓英恵 中崎敏 小久保寿人 瀧内公美/森優作 古川琴音 篠原悠伸 八木アリサ/押井守 Awesome City Club PORIN/佐藤寛太 岡部たかし/オダギリ ジョー/戸田恵子 岩松了 小林薫
監督:土井裕泰
脚本:坂元裕二
音楽:大友良英
製作:「花束みたいな恋をした」製作委員会
製作プロダクション:フィルムメイカーズ、リトルモア
配給:東京テアトル、リトルモア
(C)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会
公式サイト:https://hana-koi.jp/
木俣冬
取材、インタビュー、評論を中心に活動。ノベライズも手がける。主な著書『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』、構成した本『蜷川幸雄 身体的物語論』『庵野秀明のフタリシバイ』、インタビュー担当した『斎藤工 写真集JORNEY』など。ヤフーニュース個人オーサー。
@kamitonami