【写真】卒業後は所属事務所に就職、竹内彩姫、卒業公演の模様【7点】
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――話を変えて同期の存在についてもお聞きしたいなと。竹内さんは6期生。初めは20人ぐらいいましたが、どんな人たちでしたか?
竹内 一番年下だったので、みんながすごく大人に見えて、怖かったです。ダンスだけは自信があって、レッスンでは一番前の列で踊っていたんですけど、そんな時は周りの目を気にしていました。
――6期生としての思い出は?
竹内 やっぱり初めてのZepp Nagoya(2019年9月11日「SKE48 6期生Zepp Nagoya単独ライブ~今までと、これから~Supported by ゼロポジ」)です。夢みたいに楽しくて。あっという間の時間でした。
――あの日は8人のステージでした。
竹内 将来を決めて卒業するメンバーがほとんどだったので、応援しようと思える卒業ばかりでした。事前に「実は……」って報告を受けても、引き留めることもありませんでした。
――ご自身が卒業する時はどうでしたか?
竹内 同期には誰にも話しませんでした。
――どうしてですか?
竹内 驚かせたかったというのもあります。一番大きかったのは、6期生が集まると、決まって「(6期生の)10周年まではこの7人でいようね!」という話になっていたんです。私はそれ以前から卒業を決めていたので、その雰囲気を壊したくなくて。同期が私の卒業を知ったのは、ファンの方と同じタイミングでした。誰も察してはいませんでした。発表後はみんな泣いてくれていました。
――なぜ卒業を考えるようになったんですか?
竹内 卒業を考えたのは19歳でした。20歳になったら卒業しようって。そう思えたのは、アイドルをやり切った自分がいたからです。それまでの8年半、人生をSKE48に捧げてきたので、ここからは自分の人生を楽しみたいなと思って。最後は振り袖姿をファンの方に見てもらってから卒業しようと思っていたら、コロナ禍の世界になってしまったんです。私は無観客で卒業することだけは嫌でした。
――卒業後はゼスト(SKE48の所属事務所)の社員として働くことになります。
竹内 卒業の相談を会社の方としていた時に、私は「一般の女の子になりたいです。でも、次の道が見つかってから卒業したいです」と話していました。まさかゼストから声がかかるとは思っていませんでした。でも、よく考えたら理想ですよね。会社の人たちは私のことをよく知っているし、私も会社のために何かをしたいと思える。そんな環境の会社って、世界にゼストしかありませんから。
――声がかかる前はどんな道を模索していましたか?
竹内 大好きな本やマンガをお仕事につなげてみたかったです。
――出版でしたか。ということは、名古屋を離れることも視野に入れていた?
竹内 はい。呼んでいただけるのであれば、東京へ行く覚悟でした。
――ゼストに入社してから力を入れたいことは?
竹内 いろいろ経験したいけど、一番はメンバーのメンタルケアです。アイドルを経験したからこそ理解できることがあると思います。メンバーもスタッフの方になかなか相談しづらい場合もあると思うので。私はアイドルを嫌いになって、辞めてほしくないんです。「もっとそばにいればよかった……」という気持ちでその子を見送りたくありません。私みたいに、アイドルが好きなままで卒業してほしいですね。
――ということは、名古屋にいないとその仕事はできませんね。
竹内 はい。名古屋勤務ということは決まっています。
――それ以外にやりたいことは?
竹内 もっともっと流行を取り入れたいです。私たちの年代だからこそ見つけられるものもあると思うんです。今後は、メンバーだった頃よりいろいろ提案していけるといいですね。
【後編】竹内彩姫が語るアイドル道「ファンの方が私の恋愛ハードルをあげましたね」はこちらから