日本のテレビ業界、バラエティ番組に革命を起こした男、テリー伊藤の半生が一冊の本になった。その名も『出禁の男 テリー伊藤伝』(イースト・プレス)。
著者は、NETFLIXでドラマ化された『全裸監督 村西とおる伝』の著者、ノンフィクション作家の本橋信宏だ。コンプライアンスに厳しい現代ではおよそ実現不可能であろう、テレビの世界を劇的に変えていった“天才”テリー伊藤の伝説をなぜ今書き起こしたのか? 本橋信宏氏に話を聞いた。(前後編の後編)

【前編はこちら】『全裸監督』作家・本橋信宏の新作は『テリー伊藤伝』「本を出しましょうと言ったらあっさり“いいよ”」

【写真】テリー伊藤×本橋信宏ツーショット

――本橋さんは大学時代からテリー伊藤さんと交流があったそうですが、大学卒業後にテリー伊藤さんが「無名ディレクター」として勤めていたIVSテレビ制作に入り、たった3か月で辞めてしまった後は、しばらく疎遠になったそうですね。その間もテリーさんの活躍は気になっていましたか?

本橋 そうですね。バラエティのエンドロールで「伊藤輝夫」という名前を見ることが増えていって、中でも目を惹いたのが『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』です。あの伊藤さんが総合演出という立場で、日曜の夜8時のゴールデンでビートたけしと一緒に番組を作っていると知って、我がことのように嬉しかったです。それほどバラエティは観てなかったんですけど、伊藤さんの出世番組でしたし、すごいなと思って毎週観ていました。

『三大学芸能合戦』も大学生に馬鹿をやらせて、審査委員長のジャイアント馬場が点数をつける対決でしたけど、いわゆる素人から発掘する手法は『元気が出るテレビ!!』にも脈々と受け継がれていたんですよね、デビュー作には、その新人の全てが凝縮されると言いますけど、当たっているかもしれないですね。

――本橋さんは24歳で物書きとなり、IVSテレビ制作を辞めた7年後にテリーさんを取材することになって再会を果たします。しばらくぶりに会って変化は感じましたか?

本橋 変わってなかったですよ。後足で砂をかけるように辞めたのに、取材に行ったら歓待してくれて。私の著書『「全学連」研究 革命闘争史と今後の挑戦』(青年書館)を差し上げたら、すごく喜んでくれました。
「みんな友達だもん」って言うから、ずいぶん丸くなったなと思いましたけどね。

――『元気が出るテレビ!!』のどういうところに面白さを感じましたか?

本橋 伊藤さんと日本テレビのディレクターだった土屋敏男さんの話し合いで、とんでもない企画を考えるんですけど、次に何が出るか分からない。制作者がわからないんだから当然、視聴者には予測のつかない展開で、その面白さがありましたよね。それを映像化して見せるスタッフは大変だったでしょうけど。

――大変な思いをしたスタッフの一人に、後にソフト・オン・デマンドを立ち上げる高橋がなりさんがいます。『出禁の男』にも登場しますが、テリーさんとの共通点はありますか?

本橋 がなりさんは“伊藤さん命”だから、しゃべり方からしてそっくりですよ。たとえ話も上手いですしね。「伊藤さんの演出は嫌いだ」って言っているんだけど、がなりさん自身が一番の伊藤流ですから。だって地上20メートルで空中ファックをやらせて、男優ができなかったら下に落ちて爆発だなんて、いじめ以外の何物でもないですよ(笑)。

あと2人に共通する特徴は、自分を客観視できる。狂気の天才として、がーっと突き進んでいるように見えて、「これは調子乗ってるぞ」とか「楽をしてるぞ」とか常に引いて上の方から見ている、もう一人の自分がいるんです。岡本太郎みたいに悪魔的なエネルギーで集中するのも必要だけど、普通の人はそこで終わっちゃうんです。
それが創作の世界で成功するかしないかの差かもしれないですね。

――『元気が出るテレビ!!』の放映当時、テリーさんはオンエア後に知り合いの女子大生に電話をして感想を聞くというエピソードも印象的でした。

本橋 まずお姉ちゃんが好き(笑)。多少は枯れたかもしれないけど、今も好きですよ。真面目な話をすると、なぜ女子大生かというとバイアスのかかっていない素の感想を聞きたいから。周りの人間に聞くと、おためごかしで答えるじゃないですか。だから損得抜きで答えられる立場の人に話を聞いていたんですよね。

――テリーさんは自分の会社「ロコモーション」を立ち上げてから、より精力的な活動を始めます。

本橋 好奇心旺盛ですからね。人間の生きる根源は、とどのつまり好奇心です。好奇心が生命力。(ノンフィクション作家の)立花隆さんだって最後まで好奇心旺盛でしたからね。
今でもテリーさんは常に新しいことを考えていますから。

――本橋さんは、テリーさんが総合演出を手掛けた『浅草橋ヤング洋品店』に携わっていたそうですね。

本橋 伊藤さんと一緒に北朝鮮に行った流れで、スタジオに行ったり、企画を練ったり、ほんの僅かですかお手伝いしました。杉山治夫会長(※暴力的な取り立てでワイドショーを騒がせた消費者金融経営者)を番組に紹介したこともあります。

――バラエティに杉山会長を出すというのも今では考えられないですよね。

本橋 私は取材でしょっちゅう会っていて、部下のふりをして臓器売買の現場にいたこともあります。ただテレビ局が腰が引けて、確か1回しか出演してないですけどね。伊藤さん自身は性善説の人だから、誰に対しても愛情があって、悪人でも平気で出しちゃうんですよね。

――話は逸れますが、闇社会の人を取材するしんどさはないんですか?

本橋 あまりないですね。先日初めてヒットマンの話を聞いたんですけど、面白かったですよ。私の場合、義務感や仕事だからではなく、面白がることが一番なんです。向こうも面白がってくれる人には積極的に話してくれますから。
自分の体って一つしかないから、他の人生を歩みたくても歩めないですよね。どんな成功者でも、今の人生とは違う、陰の人生を送りたいという思いはあるんじゃないですか。

会社社長で大成功を収めていても、実は牧場で牛を追う生活が羨ましいと思っているかもしれない。それを物書きは取材することで追体験できる。私は幼い頃からシャイで人見知りだったから、自分の人生に今一つ自信が持てない。だから他人の人生とすり合わせることのできる、他者のドキュメンタリーやノンフィクション、私小説が大好きなんです。

――なるほど。それが今の仕事にも繋がっているんですね。

本橋 『出禁の男』では、たくさんの関係者が喜んで取材を受けてくれたんですが、皆さん、伊藤さんのことを語りたいんですよね。それこそ伊藤さんの人生をすり合わせることで、自分の青春を語りたいんですよ。

――『全裸監督』のように、『出禁の男』も映像化したら面白いですよね。

本橋 いいですよね。
キャッチコピーは「地上波をなめるなよ」で、それをライバルの動画配信でやると面白いんじゃないですか(笑)。地上波はなんだかんだ言ってすごいんですよ。最近、規制が多くて立ち場がないけど、底力はあるし、元気のない地上波がまた存在意義を知らしめてほしいです。

――コンプライアンスが厳しい世の中では、テリーさんも以前のような番組作りはできないと思いますが、それについて何か仰っていることはありますか?

本橋 確かに手枷足枷をはめられたような制約を受けていますけど、それを伊藤さんは愚痴らないんですよね。あくまで与えられたリングの上でやるという矜持があるんです。ホームランを打たれないように球場を広くするのではなく、自分のピッチングを磨いているんですよね。だからルールを改正されても嘆かない。村西とおるだって全盛期はビデ倫を尊重していたし、ルールの中でやっていましたからね。

――テリーさんや村西監督の功績は記録に残されにくいものですが、本橋さんはそれを意識して、『出禁の男』や『全裸監督』を書いたところもありますか。

本橋 そうですね。記録されざる文化をせめて活字で残していきたい。忘却は第二の死ですから。
編集部おすすめ