カンニング竹山が2008年から続けている、テレビではできない笑いに挑戦する単独ライブ「放送禁止」シリーズ。最新作『放送禁止2021 in中野サンプラザ』が10月13日(水)に中野サンプラザで開催される。
最初はチケットが売れなかったという当ライブが、回数を重ねて伝説と呼ばれるまでになるまでの経緯、そして「芸人」として毎年ライブを開催する意義について話を聞いた。(前後編の前編)

【写真】単独ライブ「放送禁止」への思いを語るカンニング竹山

――2008年から始まった単独ライブ『放送禁止』は、放送作家の鈴木おさむさんの言葉がきっかけということですが。

竹山 14年くらい前に(相方が亡くなって)1人で活動し始めた頃、おさむさんの舞台に客演で出て。その半年後、おさむさんから六本木のバーに呼ばれて、「今、心に穴が開いてるでしょ。ライブやりませんか?」と言われたんです。

カンニングというコンビがいきなりバーッと売れたときは、「パタッと仕事がなくなっても、(相方の)中島とどこかの地方に行ってみかん箱の上で漫才すれば食えるから」という気概があったけど、中島が亡くなったことで状況が変わって。俺1人で出ていたネタ番組にも、中島が亡くなったら呼ばれなくなったんです。

そんな状況なのに、バラエティ番組で忙しい日々を送っていたから、心の中にぽっかり穴が開いてる状態で仕事をして、自分が何者かわからなくなっていた。だから、おさむさんの言葉にビックリしました。
 
おさむさんが「いまバラエティ番組で求められているのはいいことだと思うけど、10年、20年先のことを考えて、今から竹山が芸を見せる場所を作りたい」と言ってくれたんです。ただ、その時は断りました。カンニングの単独ライブをやっていたとき、俺はネタに集中して、中島が裏方として動いていたので、1人で表も裏もやらなきゃいけないと考えたらしんどいなと思って。

 
ただ、おさむさんから声をかけられた翌日から、そのことばかり考えるようになったんです。翌年の正月休みに後輩とウチの奥さんと石垣島に行って、昼間にボーッと海を観ていたとき、ふと「逃げちゃダメだ!」と思い立って、気づいたら「やっぱりライブをやりたい」とおさむさんに電話していました。

――テレビタレントだけで生きることの不安を口にする芸人の方は多いですよね。

竹山 バラエティ番組で見せているのは「テレビ芸」であって、自分たちが本来持っている芸とは違うんです。逆に、「テレビ芸」は「テレビ芸」で難しいから、ネタで跳ねたけど、テレビではうまくハマらなかった若手なんてゴマンといる。ただ、「テレビ芸」ばかりやっていると「自分は何者なんだろう」と思ってしまうんです。もし単独ライブの『放送禁止』をやってなかったら、俺はテレビでもダメになっていたはず……。

――『放送禁止』は、取材してきた素材をもとに竹山さんがひとりでしゃべるスタイルですが、ノンフィクションなのに笑いがあってオチまでつけるという、緻密な構成になっていると思います。

竹山 おさむさんと話したのはタイトルこそ『放送禁止』だけど、放送できないことを言うわけじゃなくて、昔だったら編集で落とさなかったようなことを、1人しゃべりで見せていこうと。だから、『放送禁止』はテレビそのものでもあるんです。

それと、「プロが唸るライブにしよう」と考えてました。極端な話、一枚もチケットが売れなくて客席にいるのが全員業界人でもいいから、みんなに「参った」と言わせたい。
実際、最初はチケットが全然売れなかったんですけど(笑)。

――「中島さんの死」をテーマにした回が評判を呼んで、以降はチケットが取れない人気公演になりました。

竹山 2年目で方向性が見えたんです。『週刊現代』に俺が裸で寝ている写真が載ったとき、おさむさんに連絡して「ライブを始めたばかりなのに迷惑をおかけしてすみません」と謝ったら、「ライブにできるじゃん!」と歓迎されて(笑)。その年のテーマは、『週刊現代』編集部に協力を仰いで「スクープの真相」になったんです。この回をきっかけに、『放送禁止』は俺の生き様を話すライブにしようと。

5年目の『放送禁止』で中島のことを話すんです。ライブを立ち上げたときに「中島の話はいっさいしない。ただ、5年続いたら、7回忌でもあるし、中島の死だけで2時間のお笑いライブをやってみよう」と決めていたから。

いざやることになると、俺もおさむさんも相当悩みました。全国の人たちから「可哀想なこと」として捉えられていた「中島の死」を、どう笑いに変えて、お客さんに納得して帰ってもらうか。朝の3時におさむさんが内容を変えて、朝7時まで稽古したこともありました。
ライブを成功させること以上に、俺とおさむさんの目標を達成したいと必死にやったら、中島の回が評判を呼んで、次の回から完売するようになったんです。

――ドラッグなど際どいテーマもありましたが、「1年を通して、自腹で1日1万円を誰かにあげる」という企画も画期的でした。

竹山 事務所がお金を出してくれないから、初期の『放送禁止』は毎回200万円くらい赤字が出ていたんです。それが少しずつ黒字になった時、「お金と幸せってなんだろう」と考えるようになって、「1日1万円」企画になりました。

喜ぶ人も、怒る人も、いろんな方がいました。浜田雅功さんは「一旦もらっとくわ。で、俺がお前に1万円やるから、若い奴に飯を食わせろ。それで問題ないやろ」って。カッコよかったですね。仕事が休みの日は街に出て、素人さんにイチから説明して、マネージャーの名刺を添えてお金を渡しました。

最後に1万円を渡したのが酒井法子さん。この企画の発端は、お金を出してくれないサンミュージックだろうと。
さらに言えば、その元凶は「のりピー騒動」にあるんじゃないかって(笑)。

――50歳を超えて、カロリーの高いライブを続けることは大変だと思います。

竹山 『放送禁止』が俺の軸なんです。テレビの俺しか知らない人が「こいつの何が面白いの?」「こいつで笑ったことがない」とかSNSに書き込んでも、『放送禁止』があるから「何も知らないんだな」と笑い飛ばすことができる。俺には『放送禁止』という芸があるから、役者だってコメンテーターだってやる。『放送禁止』があれば何も怖くないんです。(後編に続く)

▽カンニング竹山単独ライブ 「放送禁止2021in中野サンプラザ」
【日 時】2021年10月13日(水)
【開 演】18:00(開場は開演の1時間前)
【場 所】中野サンプラザ
【料 金】¥6000- 全席指定

【後編はこちら】カンニング竹山が語る福岡吉本1期生時代「天狗になっていたあの頃、同期華大の一言に涙」
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