先ごろ行われた「M-1グランプリ2021」の準決勝を勝ち抜き、2年連続のファイナリストとなり、テレビで観ない日がないほどのブレイクを果たした錦鯉。“おじさん2人” の波乱の人生が赤裸々に描かれている初の自叙伝『くすぶり中年の逆襲』(新潮社)も現在絶賛発売中だ。
長く続けてきたバイトと芸人の二重生活からも脱したものの、物欲はないという長谷川雅紀が抱く「野心」とは?(前中後編の中編)

【前編はこちら】錦鯉・長谷川雅紀が語る全く売れなかった暗黒時代「思わず涙した、お母さんの納豆おにぎり」

【写真】40代後半でブレイクしたくすぶり中年・錦鯉の撮り下ろしカット【6点】

――錦鯉が今のスタイルを獲得したきっかけは何だったんですか?

長谷川 あまり覚えてないんですけど、当時を振り返って隆と話してみたり、周りの話を聞いてみたりすると、先輩のハリウッドザコシショウのアドバイスが大きかったみたいなんです。どうやら、もっと僕のバカな部分を出せみたいなことを言ってくれたらしくて、それから隆は僕を前面に出すようになって。僕が大きい声であいさつをして、隆が激しくツッコむみたいな形になっていったんです。

あとは衣装ですね。それまで二人してジーンズにアロハシャツ姿だったのが、お互いにスーツを着るようになって。その2つの要素が同じぐらいの時期に重なって、ライブやコンテストでもウケるようになりました。

――「M-1グランプリ(テレビ朝日系)」が復活したのも、それぐらいの時期ですか?

長谷川 そうですね。2015年に「M-1」の第2期が始まって、そのときに準々決勝まで行ったんです。その翌年は準決勝まで行って、そのときに「錦鯉」が決勝に行くんじゃないかと言われるようになって。そんなが広まったものだから、札幌吉本時代に同期だったタカアンドトシのタカが、わざわざプライベートで準決勝を見に来たんです。結果は決勝に行けずでしたけど、その辺から少しずつ知ってもらえるようになったと思います。

――ブレイク寸前の芸人が二人ともおじさんというのは前代未聞ですからね。


長谷川 そこも面白がられていたんでしょうね。とにかくライブに出ようと思って、月に25本前後ライブに出ていたんですよ。出るライブ出るライブ全て僕が一番年上で、芸歴も上なんです。周りの人にしてみたらうっとうしいなとか、面倒くさいなとか、何この人みたいに見られていたのかなと思いますけどね。でも、そこをいじってくれるのでありがたかったです。

――二人ともブレイクまで時間がかかってますけど、あまり悲壮感がないですよね。

長谷川 「ここまで売れるのに時間がかかって、よく続けてこれましたね。その秘訣は何ですか?」と聞かれるんですけど、はっきり言ってしまえば何も考えていなかったんです。真剣に考えていたら、将来のことを見据えて芸人を辞めていたと思うんですよ。親のこと、結婚のこと、子供のこと、体のこと、いろいろあるじゃないですか。そんなことを考えずに、ここまでこれたから続けられたんです。

もちろん錦鯉を組む前は、辞めようと思ったことが何度もあるんです。
たとえば、前のコンビ時代にお客さん投票で一番下のクラスまで落ちたときに潮時かなと思いましたし、40歳でコンビを解散することになったときに売れてもいないし、ちょうどいいい辞め時かなと思ったりもしました。でも、頭をよぎるぐらいで、先輩とか事務所に相談するまではいかないんです。

それでダラダラ続けちゃった感じなんです。それは隆も同じだったみたいなので、辞める勇気がなかったというのもありますね。辞めても他に何もやることがないというか。

――30代は暗黒の10年だったそうですが、錦鯉結成後の40代を振り返っていかがですか?

長谷川 出るライブ出るライブ、反応が良くて楽しかったですよ。お客さん投票でも1位になって、いろんなライブに呼ばれるようになって。かといってバイトは辞められず、バイトに行って、ライブに行っての繰り返しでしたけどね。

――40代でのバイト生活は平気でしたか?

長谷川 平気って訳ではないですけど、もう麻痺していました。周りの人間も、同じような人ばかりでしたから。傷のなめ合いじゃないですけど、変な仲間意識というか……。それに甘んじてはいけないんですけど、ライブが終わって、お酒を飲んで、バカな話をして笑ってが楽しくて。
40歳を過ぎても青春みたいな、おかしなゾーンに入っていたんです。

――お金持ちになって、いい車に乗りたい、いい家に住みたいみたいな野望はなかったんですか?

長谷川 僕も隆も物欲がないんですけど、それがないからダメなんでしょうね。そこを昔から母親に怒られていました。「みんな欲しいものがあるから、頑張って働いて稼ぐのに、あんたは欲しいものがないから、ギャンブルにお金を使って、何もモノに残らない」と。ギャンブルにしても、たまに勝ったときは、また次のギャンブルの資金にするとか、物に残らない使い方でした。

――いまでも物欲はないんですか?

長谷川 ないんですよ。こないだテレビを買ったぐらいで。もちろん稼げるに越したことはないんですけど、使い道がないんですよね。まあ、昔は値段を見ながら少しでも大きいパンを買っていたのが、今は値段を見ないで好きなパンを2個買える。そこは変わったなと。あと、それまで後輩におごったことがなかったんです。逆に後輩からお金を借りたり、おごってもらったりしていましたから。
やっと今は後輩におごることができて、それはうれしいですね。

――では今後、「M-1」優勝以外に、どういう目標を持っているのでしょうか?

長谷川 今年に入ってやっとテレビのお仕事が増えてきた状況ですから、訳が分からないまま時が過ぎているような感覚です。毎回収録が終わるたびに、「あれで大丈夫なのかな」って思いますし、正解が分からないです。ただ、こんな僕でもレギュラーの冠番組を持ちたいです。もともとダウンタウンさんやとんねるずさんみたいになりたいと思ってやってきたのがオーディションも受からないし、コンテストも受からないしで、自分の実力が分かってくるんです。

そうすると、月に1回はテレビに出たい、週に1回のバイトで食えるようになりたいと、目標がだんだん下がってくるんですよ。でも現金なもので、こうしてテレビに出させていただくようになって、目標も大きくなって。今は若手時代のモチベーションに戻っているかもしれないですね。

――故郷に錦も飾れましたしね。

長谷川 そうですね。札幌のライブに出させていただいたときは、母親、姉、弟、親戚、母親がやっている居酒屋のお客さんと30人ぐらいで観に来てくれて、そのときに姉と20年ぶりに会ったんですよ。札幌の番組にも今年に入って何度も出させてもらっていますし、仕事で富良野や函館にも行きました。
いずれは北海道で冠番組をやりたいですね。月に2回程度帰って2本撮りすれば、そのたびに友達とも会えるし、母親にも会えるし。それも大きな目標ですね。(後編に続く)

【後編はこちら】錦鯉・長谷川雅紀が語るコンビ結成前夜「お笑いの話は一切せず『北の国から』話で朝まで」

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