【写真】家庭科教師時代のレディ・C、試合中のカットほか撮り下ろしカットも【12点】
──プロレスラーになる前は家庭科の教師だったそうですね。
レディ・C 高校で2年間、そのあとは中学で1年間教えました。途中からプロレスラーを目指して練習に励むようになったこともあり、時間講師に切り替えたんです。
──具体的には教師としてどんなことを教えていたんですか?
レディ・C 基本にあるのは家庭総合という授業で、これがひとつのクラスにつき週1回。ただ、家庭科の授業って今まさに内容が大きく変わっている最中なんですよ。簡単に言うと、扱うジャンルがすごく幅広くなっていて。裁縫や調理実習のほかにも税金のことを教えたり、保育として赤ちゃん人形を使ってオムツの代え方を学んだり、住居と呼ばれる授業ではカビやダニや火事など家庭内の安全に関する知識を身につけたり、とにかく生きるために必要な知識を満遍なく教わるイメージです。
──生徒からは慕われていました?
レディ・C わりと距離は近いほうだったと思います。
──充実した教員生活かと思うのですが、なぜ辞める必要があったんでしょう?
レディ・C やりがいは非常にありましたよ。授業をするのは、これ以上ないくらい楽しかったです。クラス40人の生徒たちがすごく真剣に私の話を聞いてくれて、そのたびにいろんなリアクションをしてくれて。だけど、業務の忙しさが尋常じゃないんですよ。朝6時には家を出て、帰るのは23時過ぎだし終電の日も多い。毎日プリントを作って、生徒たちの書いてくれたものをすべてチェックして、勉強をして、授業を作って、テストを作って、採点もして、居残りをする生徒がいたら付き添って……。私が赴任した高校は服飾科があったので、洋服を作る生徒にアドバイスを送ったりしていたんですよね。あとは部活の顧問もやっていました。テニス部、調理部、レスリング部と掛け持ちで。
──聞いているだけで大変そうです。
レディ・C 特に1年目はすべてが手探りだったから、時間が本当に足りなかったんですよね。2年目以降はノウハウができるので、授業を作るのも少しは要領よくできるんですけど。とにかく忙しさが極限に達して睡眠時間も少なくなったことで、精神的に追い詰められていったんですよ。授業をすること自体は楽しいんだけど、「もうダメだ……」って何度も挫けそうになりました。その頃は学校でもボロボロ泣いていました。そんな私の様子を見かねて、同僚の先生が「私、こういうのにハマっているんだ。見たら元気になるかもよ?」ってプロレスを教えてくれたんです。
──精神的に弱っているとき、プロレスに勇気づけられるというのはよく聞く話です。
レディ・C 私も典型的なそのパターンですね。生徒が修学旅行でいない期間があったから、「ここだ!」と思って後楽園ホールに新日本プロレスを見に行ったんです。1時間くらい並び、たしか当日券で特リン(特別リングサイド席)を買ったのかな。試合は全身に電流が流れるような衝撃の連続でした。
──特に好きな選手はいたんですか?
レディ・C ちょうどその少し前にROPPONGI 3KのSHO選手とYOH選手が凱旋帰国したんです。同僚の先生から写真を見せてもらったとき、お2人の大胸筋におもわず目を奪われたんですよね(笑)。だから言ってしまえば「うわ~、カッコいい筋肉しているなあ」くらいの軽薄な入り方ではあったんですけど、実際に生で観戦するとそんな生ぬるい世界じゃないとすぐに気づきまして。後藤洋央紀選手のエルボー一発の「バチン!」という音、間近で行われる場外乱闘から飛び散ってくる選手たちの汗。それまで格闘技どころかスポーツも無縁で生きてきたので、本当にカルチャーショックを受けました。大人の男たちが目の前で魂をぶつけ合いながら闘っているわけですから。気がつけば、汗をかきながら応援していました。毛穴が全部開いて、心拍数がどんどん上がってきて……。それまで精神的にどん底にいたのに、「生きてるってこういうことか」って応援しながら自分を取り戻せたんです。
【中編はこちら】元家庭科教師 レディ・Cのデビュー秘話「プロレスをやらせてください!」父に号泣土下座した夜
▽レディ・C
1994年11月17日生まれ、千葉県出身。スターダム所属の女子プロレスラー。