【前編はこちら】“完全覚醒”スターダム上谷沙弥・7年前NGT48オーディションに落選したあの場所で防衛成功
【写真】アオーレ長岡の花道をチャンピオンベルトを巻いて堂々と歩く上谷沙弥【7点】
「(NGT48のオーディションを受けたときのことを)だんだん思い出してきました。最終審査はダンスと歌でしたね。ダンスはグループ審査で『会いたかった』を振り落としからやって、歌は個人審査だったので、私は『初日』(AKB48のシングル表題曲ではないが、公演曲史上に残る名曲!)を選びました。正直、歌唱力にはそんなに自信はなかったんですけど、なんとかほかの部分でカバーしようと、とにかく気持ちをこめて歌いました」
そんな話をしているうちに、記者の脳裏に当時の記憶が鮮明によみがえってきた。当時、NGT48のキャプテンに任命された北原里英の取材を立て続けにしていたこともあって、彼女からオーディションの話も何度となく聞かされていた。
そのときの印象は「普通のオーディションとは違う」だった。1期生なので、組織づくりも意識しなくてはいけない。ただただかわいい子、歌がうまい子を揃えるのではなく、まとめ役ができそうな子、他のオーディションなら落とされそうなとんがった子……そういう人材も意識的に残してきている、という話をかなり興味深く聞いた記憶がある。当時、上谷沙弥がどんな女の子だったのかは知る由もないが、おそらく、このときのオーディション環境を考えると、上谷沙弥はあまりにもまっすぐすぎたのではないか?
結果、落選。
「そのときは未成年だったので親が付き添ってくれていたんですけど、帰りの新幹線でもずっと慰めてくれて。全面的に応援してくれていたんですよ。でも、あのときは親も本当に困ったと思います。大学受験もあきらめて、すべてを賭けてきたオーディションで落ちちゃったんですからね」
その後、上谷は欅坂46(現・櫻坂46)などのオーディションを受け続けるが、結果はついてこなかった。そして、このNGT48のオーディションに落ちた日のことを「人生のどん底」とまで言い切る。それはそこからの人生で浮上できたからこそ言えるのでもあるが、驚いたことに取材中、当時のことを鮮明に思い出してしまった上谷は「あぁ、ダメだ。感極まっちゃって……」と涙を落としたのだ。
そこまで強い想いを残した会場に、チャンピオンとして戻り、メインイベントを務める。なんともドラマティックな話であるが、これはすべて偶然のこと。上谷がアオーレ長岡でこんな経験をしてきたことをスターダムのスタッフは誰も知らない。本人ですら大会ポスターが刷り上がってから思い出したのだから、他人が知っているはずがないのだ。
過去を受け止めて、明るい未来に変える。
上谷沙弥は人生最大の黒歴史と涙ながらに向き合っていた。
試合当日。約7年ぶりにアオーレ長岡にやってきた上谷沙弥は「7年前、Maxとき315号に乗ってやってきたときのことを思い出しました! 今日、試合をやるアリーナの隣の建物でオーディションをやって、その楽屋で泣き崩れたんですよ」と笑顔で語った。
もう感極まって泣くようなことはない。いや、そういう感情もあったのだろうが、それ以上にメインイベントの重責に緊張していたのだ。いままでの彼女だったら「どうしよう、どうしよう……」となってしまうところだが、緊張の面持ちは浮かべつつも、じつに落ち着いたものだった。
「ベルトの重みもそうですけど、メインを務めるということは団体を背負うということ。その責任感を持たなくちゃいけないし、チャンピオンである以上『どうしよう……』なんて言っちゃいけないんですよ」
この段階で人生のどん底だったあの日なんて、とっくに払拭していたに違いない。人の器的にも、プロレスラーとしても。
必殺のフェニックススプラッシュから3カウントが入り、見事に防衛に成功した上谷沙弥。だが、それでもまだ彼女の想いは晴れていなかった。そう、過去を払拭するだけでなく、未来を変えることが真の目的。だから、上谷はリング上から林下詩美と中野たむを指名し、3月の両国国技館2連戦で最強のチャレンジャーを2日連続で迎え撃つことをアオーレ長岡のリング上で高らかに宣言した。
じつはこの日、5月5日に福岡国際センターでビッグマッチが開催されることが発表された。昨年、バイトAKBの同期であるHKT48の松岡はなと再会したとき「ここにベルトを持ってくることができなかったことだけが残念」と言っていた上谷がベルトを巻いてHKT48の本拠地である博多に行ける好機がやってきたのだが(会えるかどうかはお互いのスケジュール次第ではあるが……)、あえて、とてつもなく高いハードルをみずから設定したことになる。
最後の最後までチャンピオンらしく、メインイベンターらしく立ち振る舞った上谷沙弥だったが、花道を引き揚げるときには、もうボロボロと涙を流していた。7年前、オーディションで落とされた名もなきアイドル志望の少女が、いま、チャンピオンとして万雷の拍手を浴びながら、あの日と同じ場所に立っている。
7年間、ずっと胸の奥にひっかかっていた後悔は美しい過去に変わり、この日の涙が歴史を塗り替えた。その結果、どこまで強くなれたのか? 3月26日、27日の両国国技館でその答えは出る。
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