HKT48からの卒業を発表している田島芽瑠。3月14日に卒業公演を行い、4月4日には芸能事務所「Mama&Son」に移籍し、女優業など活動の幅を広げる。
また、4月からスタートする連続ドラマ『吉祥寺ルーザーズ』(テレビ東京)に出演するというビッグニュースも飛び込み、これからの活躍に大きな期待が寄せられる。今回、長年HKT48を取材する小島和宏記者が、田島芽瑠のラストインタビューを行い、約9年にわたりグループを牽引してきた田島に、卒業への思いや、これからの覚悟について話を聞いた(前後編の後編)。

【写真】HKT48を卒業する田島芽瑠のステージ姿【13点】

【前編はこちら】HKT48卒業・田島芽瑠が語るアイドル人生「 “諦めよう…”と思ったときに救われた秋元先生の一言」

2021年11月に開催された、HKT48の10周年記念公演の初日が終わったあと、田島芽瑠と少しだけ話した。

「初日は1期生と2期生の出番が多かったけど、明日は後輩たちのパフォーマンスを楽しみたい」と彼女は言った。そして、ちょうど1週間前に日本武道館で開催されたばかりの『AYAKARNIVAL2021』(ももいろクローバーZ・佐々木彩夏が主宰するアイドルフェス。HKT48から3期生以降のメンバーで選抜された7人編成のユニットで出演)の様子を尋ねられたので、いかに7人ががんばっていたかを伝えると、彼女は「ちょっと待って!」と話を遮り、こう言った。「みんなが武道館のステージで輝いているところを想像しただけで、私、もう泣いちゃうよ……」。田島芽瑠にとって“区切り”のステージを終えたばかりだというのに、彼女の口からは後輩の話しか出てこなかった。それも涙まで浮かべて。

「卒業を決めてからは、とにかく後輩たちに、というか、これからのHKT48に最後までなにか残せることはないかな?って考えてきました。じゃあ、私にできることってなんだろう、と考えたら、この10年の経験から学んだことを全部、後輩たちに預けたい!って。
 
やっぱり私がHKT48に入ったころとは環境も大きく変わってしまっているし、私が最初に経験した3年間と、5期生が味わってきた3年間とでは、学ぶ環境や経験値ってまったく違うと思うんですよ。
実際に私はそういった経験を積んできたおかげで“底力”がつきましたし、だからこそ、ここまで続けてこれたんだと思います。本当は公演やコンサートを通じて、背中で伝えていくことかもしれないですけど、そういう機会もなかなかないので、とにかく1対1でお話しできる場をなるべく作るようにしました。

芽瑠ちゃんはこういうとき、どうしてきたの? どうやって乗り越えてきたの? という質問がある後輩には丁寧に答えてきました。壁にぶつかっている後輩には『どんなことを悩んでいるの?』とこちらから聞いて、それはもうスタッフさんに言ったほうがいいね、とか(笑)。自分の想いがなかなか伝わらないって場合には、どうやって伝えたのかを文章で送ってもらって『ここはこういう表現にしたほうが伝わるよ!』みたいな。

私は新しい目標に向かって卒業しますけど、それで終わりじゃいけないなって。みなさんの支えでここまでやってこれたわけだし、こうやって本当にいい形で卒業できるんだから、しっかりとHKT48に恩返しをしていかなくちゃいけない。HKT48だけじゃないですよね。朝の番組に起用してくださって、ここまで私を育ててくださったKBCさんにも恩返しをしていきたいんです」

昨年6月の宮脇咲良卒業コンサートで「HKT48の第一章が終わった」と感じた方は多い。僕もそのひとりだったが、その余韻は11月の10周年記念公演までずっと続いていて、おそらく3月から4月にかけての卒業ラッシュで、本当の意味で第一章の幕が降り、今年4月8日に開幕する『HKT48 LIVE TOUR2022 ~Under the Spotlight~』から本格的に新章がスタートするのだ、と思う。田島芽瑠が懸命に伝えようとしている意志は、後輩たちに受け継がれ、これから入ってくる6期生にもしっかりと伝承されていくはずだ。

4月から田島芽瑠は『Mama&Son』に所属事務所を移し、本格的に女優としての道を歩みはじめる。
すでに発表されている仕事もあるように、アイドルから空白期間をおいて女優として活動するのではなく、卒業からスムーズに移行していくことになる。たしかに将来の夢に向かって卒業します、という形ではなく、この事務所に移籍します、と明確に発表した上で卒業公演を迎えるのは、ファンにとってもありがたいことだと思う。

「そこは私もこだわりました。フワフワした発表の仕方ではファンのみなさんもモヤモヤしてしまうと思うので、事前に今後の進路も発表したい、と」

それができたのは前述したように田島芽瑠が「卒業に向けての筋道」をしっかりと作ってきたから。早い段階から女優への道を志してはきたが、コロナ禍で舞台へのチャレンジすらままならぬ中、彼女は積極的に動き、まだ誰も経験していない『リモート演劇』という新ジャンルで広く注目されるようになった。まさにこのステージにおける先駆者であり、3月にも主演公演を終えたばかりだ。

またレポーターを務めていたKBC九州朝日放送の『アサデス。』では、リポーターや祝日版のメインMCに大抜擢され、朝の情報番組を2時間、任されるようになった。コロナ禍でアイドルグループが思うように動けない中、田島芽瑠はしっかりと外仕事で自身のポジションを固め、得難い経験を積んできた。エンタメ業界だけでなく、世界中が停滞を余儀なくされたこの2年間で、ここまで着実に前進してきたことは特筆すべきこと。すでにひとりでの仕事をこれだけ続けてきたからこそ、アイドルから女優へ自然とスイッチできるのだ。

「とにかくうれしいのは卒業を発表したときのファンのみなさんの反応ですよ。
だいたい、いろんな意見が飛び交うじゃないですか? でも、私の場合『安心して卒業を見送れる。おめでとう!』という声が本当に多くて。やっぱり、ちゃんと筋道を立てることは大事だなって思ったし、いままでやってきたことはなにひとつムダじゃなかったなって。

これからの人生は私にとって『闘い』になると思います。東京に出て、すべての環境も新しくなりますし、女優さんってすごい方がたくさんいる世界なので、そこで生き残っていくのは本当に大変なこと。もちろん、覚悟はできています!  

いままで応援してくださったファンのみなさんにも、これからの私を見続けていただけたらありがたいですよね。私はこれまで通り、目標を掲げて、しっかりと発信していきたいと思っているので、ぜひ。女優としての目標は『大河ドラマ出演』です。時代劇に出たいので、そのためにピアスの穴も開けていません!」

かなり大きな目標となるが、僕からしたら、すでにHKT48という大河ドラマで「アイドル・田島芽瑠」を10年に渡って、すでに演じきっているではないか、と。時には主演として、時には組織を支える役まわりとして……これは誇りに思っていい。

「本当だったら『あぁ、卒業まであと〇週間かぁ~』って実感していくものなんでしょうけど、公演自体がお休みになってしまったので、最後の1か月間はカウントダウンもなく、いきなり卒業公演になってしまうんですよね(苦笑)。でも、ちゃんと卒業公演ができるだけでありがたいことなので、もうね、みなさんに喜んでいただけるようなことをいろいろ考えています。
ぜひ、配信などでたくさんの方に見ていただけたらうれしいです」

秋元康がアイドル人生をマラソンに例えたことに倣えば、田島芽瑠はトップランナーとしてゴールテープを切るわけではないが、仲間たちと一緒に笑顔でゴールを迎えることができる。一時はその姿がレースから消えかけたことを思えば、こんなにも素敵なハッピーエンドもない。田島芽瑠の卒業公演は3月14日、西日本シティ銀行HKT48劇場にて行なわれる。

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