芸能活動20周年を迎えた杉本有美が、写真集『蝶光』(ワニブックス)を発売した。前回の写真集『it’s me』でグラビアを引退して以来、彼女にとって5年ぶりの写真集。
同書にかける思いや、グラビア卒業後の5年間について尋ねたほか、20年にも及ぶ芸能生活のターニングポイントも語ってもらった。(前後編の前編)

【写真】杉本有美の春感じる爽やか撮りおろしショット【15点】

──今回は5年前にグラビアを引退して以来の写真集ということですが、当時から「次は女優として写真集を出したい」という思いがあったのでしょうか。

杉本 出したい思いはありましたけど、出すつもりはなかったです。グラビアを辞めたのには「結婚する」ということも理由の1つではありましたが、それまで10年くらいグラビアをやってきて、私の性格的に「ダラダラと目的もなく続けたくなかった」という思いがあったんですよ。それに、やっぱりお芝居をやりたかった。グラビア色が強いと、お芝居をするうえで見られ方に違いがあったんですよ。実際に現場でも色々と感じていたので「1回リセットしよう」ということで、辞めていたんです。

──それがどうして写真集を出そうという思いに変わったのでしょう?

杉本 ただ、この5年で色々なことを経験して。この2、3年は舞台を中心にやってきて、自分のやりたかったジャンルのお芝居がやっとできてきたというか、5年前とは違った感覚になれてきました。その「今」を形に残したいなと思って、写真集を出すことにしました。

──前回は、10年間活動したグラビアの集大成としての写真集ということでしたが、今回の撮影ではどんな違いを感じましたか?

杉本 私が「やりたい」と言って動いていただいたので、今回の写真集に対する思いは強かったです。また写真集を出せるとは思っていなかったし、需要があるか分からなかったので、そこは心配でした。
久しぶりに一緒にお仕事をするスタッフさんも多かったので、成長している私を見せたいという思いがありましたね。

──前回と同じ撮影チームの方も多かったんですね。では、撮影はグラビア的にならないように意識されたのでしょうか。

杉本 それは特に意識していなかったと思います。でも露出の面で「どうやって見せていくか」というのは話し合ったりもしました。今回のように日本で撮るということも、今までは少なかったんですよ。30代になって、30代だからできる見せ方は意識して表現しました。

──タイトルは『蝶光』ですが、撮影前からこのイメージがあったのでしょうか。

杉本 タイトルは全然決めていなくて、撮影で感じたことや、そのときの感覚でタイトルは決めようと思っていました。ただ、漢字がいいなとは思っていたんです。私の写真集で漢字のタイトルは今までなかったので、日本で撮ったからこそ漢字のタイトルをつけたいなと。そしてら今回の撮影は光に恵まれて、すごく綺麗だったんです。
だから「光」という文字を入れたいなと思って。前に何をつけるかは悩んだんですけど、撮影当時たまたま蝶をモチーフにしたものが気になっていて、調べたら「蝶」には「変容」とか「進化する」という意味があったので、それを表現できたらいいなと「蝶光」にしました。

──さなぎが蝶になるように、グラビアを引退後のご自身に「変容」「進化」を感じられたということでしょうか。

杉本 グラビアをやっていたときは必死だったというか、わけも分からぬまま表紙を飾らせていただいたりしていたようなところがあったんです。「まだまだ子供だったな」と思います。プロ意識がなかったわけではないんですが、やっぱり今とは違う。最初の頃は水着も嫌でしたし。

──冒頭に「この5年で色々あった」とおっしゃいましたが、その期間で杉本さんはどう変化していきましたか?

杉本 「舞台をやりたい」という思いがありましたが、やっぱりなかなか難しくて、グラビアを辞めてから1年半くらいはフリーの期間があったんです。そこで、私は小さい頃から芸能界のお仕事をしていてアルバイトの経験も無かったので「やっぱり社会勉強しないとな」と思って、アルバイトをしてみたりもしました。

──どんなアルバイトを?

杉本 鉄板焼屋さんの仕込みのアルバイトです。「自分が芸能を離れたときに何が残るんだろう」と思ったんですよね。何も勝負できるものがないことに、ちょっと恐怖を感じたんです。
それで、料理が好きではあったのと、接客はたぶん得意じゃないだろうなと思ったので、仕込みとか掃除とか、裏方をやっていました。私が切ったレモンをお客さんが口にするんですが、そのレモンの切り方とかも、負けず嫌いということもあってこだわってやっていましたね。

──お客さんも、杉本さんが切ったレモンとは思わないでしょうね。ではそのアルバイトが、社会経験として学びになったんですね。

杉本 勉強になりました。お金を稼ぐ大変さももちろんそうなんですが、仕事を覚えなきゃいけないこともそうだし、仕事を教えることもすごく難しかったです。どうやったら伝わるんだろう、とか。それまではあまり考えたことがなかったんですよね。

──後輩の指導まで行っていたんですね。

杉本 そうです。30代になって、芸能の仕事で“姉さん”と呼ばれることも増えてきたので、後輩にアドバイスをする時とかには、アルバイトの経験が生きているかなとも思います。それから、やっぱり芸能の仕事が良いなと沸々と溜まって「このまま埋もれたくないな」とすごく思ったんです。
それで、悩んだんですが小劇場で舞台をやることにしました。

──小劇場で、というのはどうしてでしょう?

杉本 それまでの舞台は大きい会場ばかりだったので、小さい会場でやることになったときに「どう見られるんだろう」という葛藤があったんです。でも親友に相談したら「今まで有美の舞台観てきたけど、小劇場だと更に有美の良さが伝わるんじゃない? そんな怖がらず一回やってみぃ。」って言ってくれて。それで確かに、と思ったんです。たぶん、周りの声とかネットに書かれていることを気にし過ぎていたんですね。それを1回取っ払って挑戦したのがきっかけで、現在のお仕事にだんだんと繋がっていったという感じです。一度プライドを捨てて踏み出してみたら、小劇場にも良さがありますし、そこで求められたことに挑戦できるのが、今は楽しいです。

──周りの声はやはり気になりますか。

杉本 昔はSNSがなかったので周囲の声はあまり気にしていなかったんですが、ここ最近はTwitterとかで直接的に見えるようになってしまった、ということもあります。自分が弱っているときに見てしまうと、やっぱり気になってしまいます。今回の写真集のレビューも全部見ています(笑)。でも今は、割と好きなことをやらせてもらっているという意識があるので、以前よりは大丈夫ですね。
SNSは見ない、という人もいますけど、私は矛盾しているようですが、見たい気持ちもあるんです。そういう意見で自分を奮い立たせるというか。

──負けず嫌い、ということでしょうか。

杉本 そういう思いもありますね。小さい頃に雑誌の読者モデルで芸能界に入ったんですが、グランプリが獲れなくて、準グランプリだったんです。「1位」という目指す先があったので、そういう経験もあって負けず嫌いになったのかもしれません。

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(取材・文/山田健史)
▽杉本有美(すぎもと・ゆみ)
1989年4月1日生まれ、大阪府出身。ファッション誌『ピチレモン』や『JJ』のモデルとして活躍したほか、女優として『炎神戦隊ゴーオンジャー』『江~姫たちの戦国~』など数々の作品に出演。現在は舞台を中心に活動している。
4月20日 (水) ~4月24日 (日)に10・Quatre本公演vol.14「Ondulation ~オンデュラシオン~」(テアトルBONBON)に出演する。詳細はこちら(https://10quatre.com/tate/next-play/)
Twitter:@Sgmt_Yumi
Instagram:sugimotoyumi_official
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