今作は、これまで全集でしか読めなかった、貴重で珍しい作品。
購買層の特徴として、BLファンの方からの圧倒的な注目があり、発売の発表と同時にSNS上では「あの幻の小説が文庫になるとは」、「待ち遠しい」、「とっくに予約済」と大反響。発売直後から売れ行きも好調に推移し、このたびの重版に繋がった。
1968年にノーベル文学賞を受賞、72年に突然の自死を遂げた川端康成。日本を代表する文豪が、少年時代、〈ヤングケアラー〉ともいえる悲惨な暮らしをしていたことは、あまり知られていない。
大阪市天満此花町に生まれた川端康成は、幼くして父母を亡くし、七歳にして祖父と二人で暮らすように。家計は貧しく、大坂府立茨城中三年生の時は、学校から帰ると病中の祖父を介護し、世話をする日々。
尿瓶の底に響く小水の音を「谷川の清水の音」と表現した感性の持ち主だったが、客観的にみれば、まさしく「ヤングケアラー」の典型。介護の甲斐もなく祖父が死ぬと、文字通り独りになった川端は16歳にして中学の寄宿舎に入り、卒業までここで過ごすことになる。
十代の川端が、孤独と屈折を抱えていたことは想像にかたくない。そんな川端の前に現れたのが、同室の美しい後輩「清野少年」だった。そして、川端は二人の関係を赤裸々に書いている。
――お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
――床に入って、清野の温い腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のように私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の渇いた脣が彼の額やまぶたに落ちている」(以上本文より)
うなじも唇もゆるしあっていた川端と少年。しかしある出来事をきっかけに、少年と会うことを完全に止めてしまう。川端22歳の夏、京都嵯峨での事。唐突な別れの裏に何があったのか。川端が「妬み」と書いたのはなぜなのか。
自分の心を「畸形」と書く、痛ましく淋しい自己認識。さらに、「清野少年と暮した一年間は、一つの救いであった。私の精神の途上の一つの救いであった」とも書いている。そしてなぜ後年、50歳になった時に、本作『少年』を書くことにしたのか。
50年前の自死の謎を考える手がかりが本書にあるとしたら、まぎれもなく「BL文学」の名編といえる。
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