4月28日の横浜スタジアムでの卒業コンサートから、ちょうど1カ月。今度は博多で『指原莉乃11年ありがとう!大感謝祭』が開催された。
HKT48の本拠地である博多でなんらかの卒業イベントが開催されるのは当然のこと。指原の出身地が九州は大分であることを考えても、横浜だけでさよなら公演を終えてしまってはいけない。そもそも横浜スタジアムでの卒業コンサートが電撃決定したときに、この『大感謝祭』もセットで発表されたので、そのときは当たり前のように受け止めていた。
しかし、実際に当日を迎えてみると、なんともモヤモヤした気持ちになった。あまりにも「謎のイベント」すぎるのだ。
大感謝祭と銘打たれてはいるが「コンサート」とも「ライブ」とも書かれていない。指原莉乃は当然、出演するのだろうが、HKT48が登場するとは明確にはアナウンスされなかった。いや、常識的に考えたら出るに決まっているのだが、そこでひっかかるのは、すでに指原莉乃はアイドルを卒業してしまっているという事実。
すべての謎がぼんやりとしたまま開演。超満員札止め・8000人の大観衆で埋め尽くされたマリンメッセ福岡(追加で発売された見切れ席まで完売)は黄色いペンライトで彩られた。この日はある意味、ファンから指原に対する「感謝祭」でもある。ファン主導のペンライトによる演出をステージ上から見た指原は、ちゃんとその意味を理解し、何度も感動していた。
いきなりステージの高いところにひとりで登場した指原は、ゆっくりと階段を降りながら『ここにいたこと』を歌う。この時点でステージには、指原しかいない。コンサートのオープニングで披露されるような曲ではない。むしろエンディングに歌うようなしっとりとした楽曲。ひょっとしたら、これは横浜スタジアムの「つづき」なのではないか? だって指原はもう泣いているのだ!
あの日「平成、チョー楽しかったです!」と絶叫しながら横浜の夜空に消えていった指原が、令和の夜に一日だけアイドルとして降臨したかのような幻想的な光景。歌い終えると同時にステージに戻ってきた指原は、想定外の行動をとった。
「新生HKT、がんばってくれるかな? あとは見てるからね、よろしく!」
そういうとセンターステージ(つまりアリーナ席のど真ん中)に設置された王冠を模した椅子に座って、メンバーのパフォーマンスを観覧しはじめたのだ。
この演出を見ていて、筆者は3年前のことを思いだしていた。
7枚目のシングル『74億分の1の君へ』についての取材をしていたとき、空き時間にメンバーと「指原がいなくなったら、HKT48はどうなるんだろう?」という話になった。当時から主力メンバーのあいだには、明日、そういう状況になっても不思議ではない、という危機感は確実にあった。
センターを務めていた兒玉遙は「そろそろ次の世代にセンターを譲って、私はサポートする側に立つべきなのかもしれない」と言った。なかなかセンターの座を掴めずに悪戦苦闘した彼女だったが、4曲連続でセンターを務めた上で出した結論。
その直後に収録されたなこみく(矢吹奈子&田中美久)との対談で「私、なこみくのセンターをそろそろ見てみたいな」と本人たちに直接、伝えたら、突然のことになこみくは「えっ、えっ……」と困惑し「まだ私たちには無理です!」と固辞した。結局、この次のシングル『最高かよ』では松岡はながセンターに大抜擢され、HKT48は新しい時代を迎えることになる。
そして宮脇咲良と話しているうちに、ひとつの結論が出た。
「私たちだけでコンサートをやって、そこにさっしーをお客さんとして招待するんです。私たちのコンサート、見てください! どうですか? もう安心ですか?って。そこで納得してもらえたら、さっしーは安心して卒業できるし、きっと、それが私たちにできる最高の恩返しなんでしょうね」
卒業までに結局、そういうシチュエーションはやってこなかったが、この大感謝祭のステージでついに実現したのだ。しかも、1曲目に披露したのはなこみくがはじめてセンターを務めたシングル曲『早送りカレンダー』。
はじめて客席からHKT48のステージを観覧した指原は「なんか感動しちゃったよ。ちゃんとやってんじゃん!」と褒めた。客席に指原を残したまま、メンバーはファンに向かって「HKT48です!」と挨拶をした。この瞬間、正式に指原莉乃はHKT48から離れることができた、と感じた。親離れの瞬間、である。
だが、感謝祭はまだはじまったばかりだ。このまま延々と指原が観客のままでいるわけにもいかない。「アイドルは卒業したから、一般人としてここに立っている」という指原は、今日の感謝祭の趣旨を説明した。
題して『指原莉乃ベストセレクション』。彼女がAKB48に加入した2007年からの11年間を時系列で辿るセットリスト。
とはいえ、指原莉乃はすでに「元アイドル」である。他のメンバーが当時の衣装を纏ってヒット曲を歌い、踊る中、指原は白を基調とした私服風のファッションでそこに立っていた。
ふと気がついたが、今日はオープニング映像(横浜スタジアムでの模様)が流れたあと、すぐに指原が歌い出したので、お約束の『OVERTURE』が流れていない。もうHKT48のメンバーではない、という彼女なりのケジメを感じさせられる出来事だった。
そして、主役の座もHKT48のメンバーに譲る。
印象的だったのは、6月に卒業する岩花詩乃をセンターに据えた『純情主義』。この曲で指原は完全にバックダンサーに徹した。同じく卒業を発表した駒田京伽とは『Choose me!』を2人で披露。自分が去ったあとに卒業を発表したメンバーたちに、1曲とはいえ大舞台で主役を張らせることで、最高の思い出と花道を作る。なんとも粋な演出である。
三四郎をMCに招いてのトークコーナーでは、5期生を全員、ステージにあげて『HKTBINGO!』を彷彿とさせるピンネタを披露させた。
トークコーナーといえば、なつみかんこと田中菜津美とのMCも今回がラスト。打ち合わせナシ、台本ナシで何分でもしゃべり続けることができる2人のトークはHKT48のコンサートにおけるエンターテインメント性を大幅にアップさせた。「今日で最後ですね……」という話から入ったのに、感傷はまるっきりなく、ひたすら笑わせて終了。金のとれる箸休めは最終回まで絶品だった。
セットリストの後半は指原のHKT48時代を振り返ることになったが、楽曲というよりも、コンサートでの「名シーン」を再現することにこだわる趣向。2015年の横浜アリーナに登場した恐竜が再臨すると、あのとき華麗に襲われた卒業生の冨吉明日香まで登場。このとき指原が「今回はスペシャルゲストを呼ばないと決めていたけど、恐竜が出るなら、と冨吉を呼んだ」と語り、このあとサプライズゲストが登場しないことが確定。やはり、今日の主役はHKT48なのだ。
令和の時代にまさか『ウキウキWATCHING』(『笑っていいとも!』のオープニング曲)を聴けるとは思ってもいなかったが、たしかに「指原史」には欠かせない一曲。
『ヘビーローテション』ではステージ上にたくさんのスタンドマイクが並ぶ中、当時、指原が立っていた端っこのポジションで、あのとき歌っていたパートだけを歌う、というなんともシュールな演出。終わってみれば、曲のほとんどを観客が歌うことになり、ラストも無人のセンターマイクがアップになって、その奥に指原がぼんやり映っている、という結末になったが、これは単なる自虐ネタではなく、ここから頂点まで昇りつめることだってできるんだよ、というメンバーに対するメッセージでもある。
指原が主役のように見えても、最終的にはHKT48が目立つようになるのが、この日の演出に根底の流れる共通項だった。
そしてサプライズゲストはいなかったけれど、サプライズ発表が2つ。
ひとつは5年半ぶりになる『九州7県ツアー』の開催。7県ではあるが、福岡県は3会場で開催するため全9会場を巡ることになる。これまで明確な目標が来年の劇場オープンしかなかったため、それまでの1年をいかに過ごすかに不安を抱いていたメンバーにとって、7月から10月までのツアーが決まったことは大きな励み。
正直、観客動員に不安がないと言ったらウソになるが、それもまた新生HKT48を築きあげるためには必要な試練。思えば「HKT48はとにかくライブが面白い」という評判が流れたのは、5年半前の九州7県ツアーがきっかけだった。1曲目にモーニング娘。の『ザ☆ピ~ス!』を歌ってド肝を抜いたのは、もはや伝説だが、この日のセットリストにこっそり『ザ☆ピ~ス!』が入っていたのもまた、指原らしい仕掛け。
指原のアイドル史を振り返っているように見せて、そこにはHKT48が歩むべき近未来のヒントがたくさん盛りこまれていた。それをメンバーがどう受け取り、どう活かすかもツアーの大事なポイントになりそうだ。
もうひとつのサプライズは指原がプロデュースを約束していたオリジナル公演『いま、月は満ちる』の1曲目が完成した、という報告。いや、報告だけでなく実際に指原が歌い、5期生たちがバックで踊る姿をメンバーたちに披露した。トークのたびに「卒業したら暇になった」と連呼していた指原だが、それは「だから公演曲を書く時間ができたよ」という暗喩だったのか?
これで『大感謝祭』のメインテーマがはっきりした。
令和元年からスタートする「新生HKT48」の壮大なる予告篇! なぜ、指原莉乃は平成のうちにアイドルを離れたのか? アイドルを卒業したのに、こうやってふたたびステージに立ったのか?
すべては令和のHKT48のため……指原の歴史が途中からHKT48の歴史へと変遷していくセットリストは、新公演の1曲目につながっていた。指原莉乃はいなくなるけれど、この歴史は永久不変。横浜スタジアムでの卒業コンサートから、九州7県ツアー開幕までのブリッジとして、このイベントはどうしても必要だった。メンバーも、ファンも指原にどれだけ感謝してもしたりない!
アンコール。これまたまさかの『川の流れのように』(作詞をした秋元康からのリクエストだった、という)。美空ひばり風の派手な衣装で登場した指原。それはすなわち「アンコールでは激しいダンスはできません」という意思表示でもあった。事実、このあと指原はトロッコに乗って、会場のスタンド上部をゆっくりと一周。『恋するフォーチュンクッキー』ではステージに戻ってきたが、サビの部分しか踊っていない。もう、すべてをHKT48に任せた格好になった。
ここでスタートしてから、ずっと覚えていた違和感の正体に気がつく。
アンコール2曲目の『メロンジュース』のイントロが流れると、松岡はなが「上のほうのみなさんも盛り上がってますかーっ!」と絶叫した。
そうだ。いつもであれば、もう1曲目から指原が「うしろのほうも見えてますよ!」「2階席も見えてますよ!」と徹底的に煽りまくり、それによって、どんなに広い会場であってもステージとの距離がグッと縮まり、一体感が飛躍的に増す。
『OVERTURE』が流れなかったことばかりに気をとられていたが、指原は毎回、続けてきた大仕事をあえて放棄していたのだ。そして、その役割を松岡はなに託した。
これも新生HKT48では、きっと、当たり前になる光景。次からじゃダメなのだ。指原はここにいるけれども、もうHKT48のメンバーではない。だから、今日から松岡はながその役割を果たさないと意味がない。この煽りですべてのモヤモヤが解消した。
しかし、本当のクライマックスはこれからだった。「次がHKT48のメンバーと一緒に歌う最後の曲になります……」。そういって、涙で声を詰まらせた指原が告げた曲名。それは『タンスのゲン』だった!
ある意味、幻の楽曲。2013年に放送された九州の家具販売メーカーのCMソングで、関東エリアでも流された。タンスと一緒に踊る(どこかの引き出しを閉めると、ほかの引き出しが飛び出すので、タンス自体も踊っている!)という前代未聞のパフォーマンス。筆者もちゃんと見るのは、2013年4月の日本武道館公演以来。いや、ひょっとしたら、本当にそれっきりやっていないのかもしれない。
「頭のおかしいHKTをみせましょう!」とこの曲を歌い出した指原は、すべて歌いきると「これで悔いなく卒業できます」と言った。この日、やってきたことを振りかえってみると、たしかに横浜スタジアムでやったら、多くのお客さんが「???」となってしまいそうなマニアックな小ネタも多かった。でも、ホームグラウンドの博多でなら、きっとわかってもらえる。アイドルを卒業した指原はやり残してきたことをすべてやりきると、マイクをタンスの中に仕舞いこむ、というアイドル史上初のラストパフォーマンス。
マイクをステージに置いていく、というのが超定番だが、たしかに見えないところに仕舞ってしまうほうが、はっきりとしたピリオドが打てる。
最後は声援を一度、制した上でマイクなしの地声で挨拶。いつもだったら「これからもHKTを応援してくれるかな?」と指原が問いかけ、ファンが「いいとも!」と叫んで大団円になる(横浜スタジアムのエンディングもそうだった)。しかし、指原は「ありがとうございました!」と感謝の言葉を述べるのみで「いいともの儀」はおこなわなかった。
やはり、先ほどの松岡はなの煽りで、指原から新生HKT48へのバトンタッチは完了していたのだ。
これからはメンバーたちが自立していかなくてはならない。6月からは劇場公演も活発化し、6月10日からの1週間で現行の6公演がすべて開催される。その後、駒田京伽と岩花詩乃の卒業公演を挟んで、九州7県ツアーがスタート。指原のいない新生HKT48は、超満員のマリンメッセ福岡で新たなる一歩を踏み出した――。