色白の柔らかな“マシュマロボディー”を武器に、グラビアアイドルとして人気のメイリ。昨年8月には初の写真集「まいにちメイリ」、今年1月には初のトレーディングカードを発売するなど、その人気に拍車がかかっている。
一時はOLとして働いた経験もある彼女は一体どのような経緯で芸能界に入り、そしてグラビアで人気を得るようになったのか。インタビュー前編では芸能界入りのきっかけから、「とにかくお金がなかった」というアイドルグループ時代を振り返ってもらった。

【写真】“マシュマロボディー”で注目のメイリ撮り下ろし写真【5点】

「私、いっぱいぬいぐるみを持っていて、仕事の時は大体連れて行ってるんですよ。仕事によって、連れてくるぬいぐるみは違います」

この日、メイリが連れてきたのはデカピヨちゃんと名前をつけたひよこのぬいぐるみだった。グラビアの撮影現場にもつれていくといい、緊張が和らぐそうだ。「会ってない人には怖く見られることもある」というメイリだが、実際会うと落ち着いたほんわかした人だった。

メイリが芸能界を目指したのは小学校高学年のころ。モーニング娘。に憧れたのがきっかけだった。やがて札幌のアクターズスクールに通うようになり、高校生の頃には地元で芸能活動も始めた。

「地元のラジオ局だったり、地元のCMに出たり。
地元のテレビのナレーションもやりました。雑誌の撮影やミュージカル、ライブ活動、撮影会もしていました」

スクールの定期ライブには東京から芸能事務所の関係者が訪れ、スターの原石を探していた。やがてメイリにも都内の芸能事務所から所属しないかと声がかかり、上京することになった。最初に住んだのは目黒区の駅徒歩20分の6畳1間の和室。家賃は6万円だった。

東京での本格的な芸能活動はアイドルグループ「アフィリア・サーガ・イースト」。現在は改名し「純情のアフィリア」として活動する老舗アイドルグループだ。

メンバーは、全国各地にあるアフィリアグループのコンセプトカフェで働くキャストメンバーから選出されており、メイリは池袋店でバイトをしていた。

グループではアフィリアという王国に住む魔女っ子見習いというコンセプトに沿った名前がキャストにつけられ、北海道から上京した彼女は「メイリ・マロンフィール」と名乗ることになる。

「メイという名前にしようと思ったんですけど、 アフィリアグループの同じ店舗にメイちゃんがいたので『”リ”でもつけとけ』と店長のおっちゃんに言われて、メイリになりました(笑)下の名前も可愛いキャンディやミルフィーユみたいなものは『それは名古屋店の子が使ってます』『大阪店で使っている』と言われ、もうなんでもいいやとなって(笑)。私はよく『どうぶつの森』でマロンっていう名前でやってたんで、マロンフィールになりました。フィールは適当に語感でつけました。」

こうして始まった東京でのアイドル活動だがメイリが入ったのは黎明期。
とにかくお金がなかった。

「最初は自社スタジオとかもなかったので、レッスンも公園で虫に刺されながらやってました。カラオケルームを借りて、狭い中で無理やり練習することも( 笑 )」

グループの人気は徐々に上がり、「TOKYO IDOL FESTIVAL」には第1回以降ずっとメインステージで出演していた。ただメンバーへのギャラはまだ多くはなく、メイリの場合、アフィリアとは別の芸能事務所に所属しており、事務所にもギャラを取られてしまうため、生活は厳しかった。

「メンバーの中には電気や水道を止められたり、ケチャップをなめて生活する子もいた」という。ただメイリは、アイドル活動自体は楽しかったと振り返る。

「アイドルはやりたかったことなんです。歌はなんか苦手なんですけど、ダンスがすごく好きで。ずっと北海道でもやってきてたので、すごい楽しかったですね」

一方、活動は休む暇がほとんどないほど忙しかった。

「地方にもよく行って、発売イベントを連日3か所ぐらい移動して、ライブして握手してを繰り返して。しかも私はお金がないんで、夜に発売イベントが終わったら1時間でもいいからと急いで店舗に戻ってバイトしてました。めちゃめちゃハードでした。
"メイリは常に風邪をひいている"と噂されたぐらい( 笑 )、体力的にも限界で。」

アイドルにやりがいを感じる。けれど生活は苦しい。メイリもついに限界を迎えた。

「心身ともに疲れてきちゃって、、結局体調を心配した事務所の方と話し合い、活動休止を経て卒業することになりました」

4年のアフィリアでの活動を終えたメイリ。

「心身ともにダウンしていたのでしばらく寝込んでしまいましたが、2年ぶりに実家に帰ったり、リフレッシュもできました」

アイドルにやりがいを感じる。けれど経済状況は苦しい。メイリもついに限界を迎えた。

「最後の方は精神的にまいってきちゃって、どうしたらユニットを辞められるかばかり考えてました。最終的には心身のバランスを崩してしまい、結局活動休止を経て卒業することになりました」

4年のアフィリアでの活動を終えたメイリ。

「心身ともにダウンしていたので数ヶ月は寝込んでしまいましたが、2年ぶりに実家に帰ったり、リフレッシュもできました」

その後は高校の友人からの紹介もあり、コールセンターのアルバイトを始めた。

「コールセンターってストレスでほとんどの人がすぐ辞めるんですけど、私はアイドルでの経験もあったので忍耐強く頑張れました。最初はぼろぼろでしたが、一生懸命働いてセンタートップの成績に上り詰め、年間ベストクオリティ賞などいろんな賞をもらえましたよ。
それがあらゆる相手との話し方の勉強になったり、自分への自信にも繋がった」

そんなふうにバイト活動をしながら、事務所が立ち上げた「ClipClip」というアイドルグループに所属することとなった。

「規模が小さいグループになったんですけど、 自分たちでのほほんとやれるので楽しいなと思って新鮮な気持ちがありました」

やがてアイドルもやり切ったと感じたメイリは芸能界から離れて、OLに転身。視聴率を計測する会社の派遣社員として働くことになる。

「もうOLの生活、普通に生活することが楽しくってしょうがなかったです。周りの目やSNSを気にせずに生きるってのが楽で。普通に芸能活動をしてると特別美人とは思いませんが、一般の職についているとすごいみんなかわいがってくれる。会社の集まりの飲み会とかに行くと『いや、もう来てくれただけでありがたいよ』と言ってもらえるし、お金とかも取られないんで(笑)」

苦労の連続だったアイドル時代を経て、OLとして働くことに充実を感じていたメイリ。記事の後篇ではそんな彼女が本格的にグラビアアイドルとなる意外なきっかけについて明かしてくれた。

【後編はこちら】"下乳の神"メイリがグラビアを始めるまで「巨乳になるストレッチをしてました」
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