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悲嘆にくれる人々のためにエンタータインメントができることはないか? 様々なアーティストが被災地を訪問し、笑顔が失われた土地に一時の安らぎをもたらした。とりわけAKB48は熱心にその活動に取り組んできた。
この2月までAKB48のチーフA&Rプロデューサーを務めてきた湯浅順司氏は、被災地に60回ほど足を運んでいるという。そこで感じたものは何だったのか。
AKB48は東日本大震災の復興支援活動に最も理解のあるグループである。そう書いても異論はないだろう。義援金もさることながら、計71回の被災地訪問を行っている。湯浅氏もスケジュールが合う限り、メンバーに帯同してきた。
湯浅 僕がAKB48を担当して一番よかったと感じていることは、被災地訪問です。レコード大賞でも、オリコン1位でもなく、被災地訪問です。そこには他の何かに替えられないものがありました。
初めて行ったのは、その年の5月でした。本当に行っていいものか、悩みました。でも、結果的には行ってよかったと思っています。
とある町では、こんなことがありました。イベントでは、まずメンバーが何曲か歌うんですけど、子供たちを前の列にしてあげるんですね。その日は十数人の子供たちが楽しそうに踊りながら観ていました。握手会が終わると、みんな嬉しそうな表情を浮かべて帰って行きましたが、町の青年会議所の方が僕のところに飛んできておっしゃるんです、「あの子たちのほとんどが親を亡くしているんです。さっきみたいな笑顔は震災後、一度も見ていません」って。これなんです。これがエンタメの力なんです。僕はそう痛感しました。
氏は今でも後悔している。
湯浅 偽善だなんて揶揄されることもありますけど、もしそうだとしたら60回も行けません。すべて持ち出しですし。今度はAKB48の担当としてではなく、個人としても訪れてみたいと思っています。
2013年、湯浅氏はキングレコードを円満退社。自ら代表取締役となり、Sizuk Entertainmentを立ち上げた。その後もAKB48のA&Rチーフプロデューサーであり続けたが、今年2月、AKB48はユニバーサルミュージックへの移籍を発表した。湯浅氏はAKB48での役割を終えた。最後のお話し会の現場では、何人ものメンバーが別れを惜しんで涙した。
若手社員だった湯浅氏は15年間、ある思いを胸に仕事を続けてきた。
湯浅 たまに考えることがあります。「僕は何のために働いているのだろう?」って。
AKB48の担当から離れた湯浅氏は、これからどうするのだろう。ツイッターでは「ほぼ無職」になると書いていたが……。湯浅さん、春から何をするんですか?
湯浅 今後はAKB48・STU48を通じて勉強させていただいたことを胸に、動いていきます。PiXMiXの担当は変わらず行いますし、アイドルグループをゼロからプロデュースしてみたいとも考えています。また、アイドル・アニメ・声優・VTuberでの音楽制作のお仕事も決まっています。また、アイドルとは関係ありませんが、僕は一般の方でも誰でもオリジナルソングを持てる世の中にしたいと思っており、そのために模索をしているところです。
こちらは、かなり画期的で面白いプロジェクトになりそうな予感がしております。