徳川家康を主人公に群雄割拠の戦国時代を描くNHK大河ドラマ『どうする家康』。同作の魅力の一つとして、やはりキャラクター性の濃すぎる武将たちが挙げられるだろう。


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どこか頼りない家康(松本潤)はもちろんのこと、飢えた獣のような織田信長(岡田准一)、ツンデレな本多忠勝(山田裕貴)、振り回され体質で忍びが嫌いな服部半蔵(山田孝之)などなど…。その中でもひと際異彩を放っているのが、ムロツヨシ演じる木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)だ。

恐らく秀吉は日本人のほとんどが知っている武将だが、ムロツヨシが演じる藤吉郎には視聴者から「狂気じみている」「不気味」といった声も。確かに多くの人々が秀吉と聞いてイメージするような“人たらし”とも言えるひょうきんさがあるのだが、心の奥では何を考えているのかわからないような印象も受ける。

例えば初めて登場した第4話では、柴田勝家からいきなりお尻を蹴られるのだが、藤吉郎は「ありがとうごぜえます~!」と笑顔で感謝。

松本演じる家康(この時は松平蔵人佐元康)が「なぜ蹴とばしていかれたんじゃ…」と疑問を口にすると、藤吉郎は「蹴飛ばしてぇ時に蹴飛ばしていただくのも猿めの喜びでごぜえますれば」「あ、どうぞおめえ様方も思うがままに、蹴飛ばしてぇ時に蹴飛ばしたってちょうでぇまし!」とお尻を向けるのだった。


基本的に過剰にへりくだった態度なのだが、目は常にギラギラと見開いているのが特徴的。かと思えば15話で家康を浅井長政(大貫勇輔)と戦わせるため、家康の本陣を鉄砲隊で撃つシーンでは、「構え、火蓋を切れ、放て」とまるで機械のように繰り返しており、冷徹な一面を覗かせていた。

同作の脚本を務めるのは『コンフィデンスマンJP』(フジテレビ系)や『リーガルハイ』(フジテレビ系)などでお馴染みの古沢良太氏なのだが、秀吉の狂気じみたキャラクター性には一体どのような意図があるのだろうか。

NHKの番組公式サイトで古沢氏は、主人公の家康について「カリスマでも天才でもなく、天下取りのロマンあふれる野心家でもない、ひとりの弱く繊細な若者」と称していた。

であればそんな家康の普通さを際立たせるために、他の武将たちのキャラクター性を有り体に言って“やべーやつ”に設定した可能性も考えられる。

特に秀吉は今後の展開にもよるが、家康のライバル的なポジションにもなり得るキャラクター。
小牧・長久手の戦いでの対立や、その後の天下統一についても描かれるだろう。

また同作は家康が太平の世を実現させるまでの物語だと予想できるので、秀吉の天下統一後も続くだろう。自らを神格化するようになったことや、歴史的にも謎が多い朝鮮出兵なども描かれるのだとしたら、藤吉郎の狂人のようなキャラクター性も納得できる。

ちなみにNHKのインタビューでムロツヨシは、秀吉を演じるうえで大事にしていることについて「成り上がるぐらいまでの今のことばで言う『モチベーション』だったり、人を超えてでも『やる気』、織田信長の存在はありますけど、そこを一番大事にしています」と語っていた。

そんな“野心の塊”のような秀吉は、今後どのように物語をひっかき回してくれるのだろうか。

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