アップアップガールズ(プロレス)の新メンバーとして、今年3月にデビューした鈴木志乃。元バスガイドという異例の経歴を持つ、期待のルーキーだ。
とにかくアイドルになりたかったという彼女のこれまでのキャリアや、レスラーとしての矜持を元週刊プロレス記者の小島和宏が深掘りする(前後編の前編)。

【写真】試合で豪快なドロップキックを放つ、アプガ(プロレス)鈴木志乃【11点】

試合を見ていて「がんばれ、がんばれ!」と応援したくなってしまうプロレスラーは多々いるが、それを通り越して、なんかもう守ってあげたい、という感情を抱くことは、なかなかない。

でも、そんな気持ちにさせてくれる女子プロレスラーに出会った。

彼女の名前は鈴木志乃。プロレスとアイドルの二刀流で活動をしているアップアップガールズ(プロレス)の新メンバーとして、今年3月にデビューしたばかりのルーキーだが、年齢は24歳。7月15日に誕生日を迎えると25歳になるので、プロレスラーとしてもアイドルとしても、かなり遅めのデビューとなる。

実際に対面すると、そこまで小さく感じないが、リング上で他のレスラーと並ぶと、かなりか細く見えてしまう。キャリアが浅く、持ち技も少ない。反撃のエルボーアタックは相手を倒すこともできるけど、技を放った衝撃でいつも自分まで吹っ飛ばされてしまう。いろんな意味で目が離せないのだ。

アイドルとしてはファンに「守ってあげたい」と思わせるのは、ある意味、100点満点の才能なのだが、プロレスラーとしては、そんな印象を抱くだけでも、ちょっと失礼な話になる。

「いえいえ、どんな印象を抱いていただいても、私はすべて受け止めますから大丈夫ですよ。
客観的にはそう映っているんですねぇ~」

落ち着いた物腰で語る彼女の前歴はなんとバスガイド。そのプロフィールを知っているから、余計にフツーの女性が観光バスから降りてきて、そのまんまリングにあがってしまったような印象を抱いてしまうのだが、もちろん、そんな簡単にはプロレスラーとしてデビューすることはできない。バスガイドとなる前と、現在に直結するその後について聞いてみると、なかなか興味深いエピソードが続々と飛び出した。

そもそもバスガイドになる前から、彼女はアイドルになりたかった。

「いくつもオーディションを受けました。ただ、そこはちょっと贅沢というか、絶対にアイドルになりたい人って、とにかくたくさんオーディションを受けまくるんですけど、私はここに入りたい、というグループだけしか受けていないので、回数はそこまで多くないんですよ」

彼女が絞り込んだのはAKB48グループと、現在、所属しているYU-Mエンターテインメントの2つ。ちなみに48グループが大々的に展開していたドラフト会議にもエントリーしたものの、惜しくも2次審査で落選。参加した回は違えども、そのドラフト会議でSKE48からトップ指名された荒井優希と今、同じリングに立っているというのは、なんとも面白い因縁である。

結局、アイドルにはなれず、短大卒業後に就職。バスガイドとして働く日々を選んだ。

「アイドルになりたいって夢は諦めてはいなかったんですけど、ずっと、その気持ちを隠して生きてきた感じですね。アイドルになりたい、いや、私にはなれない、そう、なれっこないよねって心の中で言い聞かせながら生きてきました」

じつは就職後もオーディションは受けていて、アップアップガールズ(仮)のオーディションでは最終審査まで残った。
あと一歩で夢のアイドルになれたかもしれないのに、鈴木志乃はみずからの意思で辞退してしまう。

「合格が目の前に見えてきたら、急に怖くなってしまって……ダンスも歌もやったことがない私にできるのかなって。それに会社員を経験したことで、いままでだったら考えもしなかったような想いが頭をよぎるんですよ。もうすぐ新入社員が入ってくるのに、私はいまの仕事を放り出してもいいのか?とか、アイドルって福利厚生はどうなっているんだろう?とか(笑)」

そのときは最善のチョイスだと思ったが、すぐに後悔の念が襲いかかってきた。次にYU-Mがオーディションを開催したら、絶対に応募して、今度は最後までしっかりと参加しよう。1年後、YU-Mエンターテインメントのホームページに掲示されたのはアップアップガールズ(プロレス)のオーディション。鈴木志乃は迷わず応募した。プロレスを見たことなど、一度もないと言うのに……。

「そこはあんまり深く考えていなかったです(苦笑)。ただ、逆にプロレスをやらさせている、みたいな感情もないですし、プロレスをやることが辛いとも思わないですね。私はアップアップガールズ(プロレス)のオーディションで合格したんだから、アイドルとプロレスを両方やるのは当たり前のことじゃないですか? 

それにプロレスに対する知識がまったくなかったので、とにかく教えていただいたことを忠実に覚えていくしかないんですよ。そこには疑問や抵抗の生まれる余地がなかった。
受け身ってよくわからないけど、とにかくしっかりと顎を引いて、頭を打たないように……それだけで精一杯でした」

とはいえ、学生時代は吹奏楽に明け暮れ、スポーツの経験がないどころか、運動神経がないと自認する彼女にとって、プロレスラーへの道は相当、ハードルが高かった。何ヵ月経ってもデビューできる兆しがない。同時期に東京女子プロレスに入門した子たちが続々、デビューを決めていく中で、明らかに自分だけが取り残されている。その一方でメンバーが休むときにはアイドルとして一緒に歌ったりもしていたので、心のモヤモヤはどんどん大きくなっていく。

「すっかり面倒くさい女になっていましたね、私。アイドルとしてリングで踊れと言われたときにも『私はまだプロレスラーとしては練習生。そんな中途半端な立場でリングに立ちたくはありません!』って前日までゴネたりして。

そのとき、事務所の社長に言われたんです。『たしかにあなたはまだ練習生かもしれない。ただアイドルとしてはもうデビューしていますよね? アイドルとしてプロの責任をはたしてください』。その言葉を聞いてハッ!となりました。アップアップガールズ(プロレス)としつ活動していくことって、こういうことなんだって。
メンバーとして、はじめて自覚した瞬間でした」

ドタバタしながら上がったリングで、鈴木志乃はデビュー戦が決まったことをサプライズで知らされた。自分がリングに上がらなかったら成立しなかったわけで、彼女はアイドルとプロレスの二刀流を続けていく上での責任と決心を強烈に感じることとなる。

オーディション合格から7ヶ月でようやく掴んだデビュー。あれから4カ月、鈴木志乃はいまだに自力勝利を上げたことがない--。 (後編につづく)

【後編はこちら】アイドルとプロレスの二刀流・アプガ(プロレス)鈴木志乃「25歳、年齢を気にしていたのは自分だけ」
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