【写真】『FRIDAY』で逸材としてグラビアデビュー、紫藤るいの撮り下ろしカット【12点】
――グラビアデビューとなった『FRIDAY』に「逸材」の文字が踊りました。期待値の表れですね。
紫藤 拝見して、「私、逸材だったんだ!」って驚きました(笑)。身長高くもなく、体型の変動も激しいタイプなので、自分のスタイルが魅力的だと思ったことはないんですよ。
――紫藤さんは以前、子役として活動されていましたが、こうしてグラビアでの反響が届くのは初めてだったと思います。
紫藤 はい。小さい頃は、モデル活動もしていたのですが、「私」というよりは身に着けるアクセサリーや洋服という商品が主役でした。それがグラビアは「私」を見てもらうことが主になるので、すごく新鮮で……肯定感が上がります(笑)。
――アハハ。どういう瞬間に自己肯定感が上がりますか?
紫藤 まだ数が多くないのですが、撮影のたびにスタッフさんから優しい言葉をいただいたり褒めていただいたり、『FRIDAY』さんを周りの知人が買ってくれたとの報告をもらったりと、反応をいただくと嬉しくなります。昔から仲良くしてくださるお姉さんと、先日久々に食事に行くことになった際は、「もう(『FRIDAY』)出ているの?」と聞かれ、出ましたよと教えたら、「これからコンビニ寄っていい?」と、その場で買っていただいて(笑)。
――大学受験を機に一度芸能界から離れ、約7年というブランクを経ての撮影。久々にカメラの前に立ったときのお気持ちは?
紫藤 本当に久々でしたので、上手く表情作りができるか?と、ものすごく不安でした。白いビキニでのショットが最初の撮影だったのですが、今見返すと表情がものすごく硬い(笑)。そもそも、海に行ったのも大学時代に一度きり、これまで競泳水着以外の水着を着ることがほぼなかったんです。
しかも白ビキニを着たとき、スタイリストさんに、「ちょっとはみ出してますが、大丈夫ですか?」と聞くと、「そういうものよ」と笑顔で言われてしまって(笑)。ただ、撮影を重ねるうちに、だんだん表情が柔らかくなり、ポージングができ始めている実感が湧いてきて、「あ、少しずつグラビアアイドルになっている」と実感したときに嬉しくなりました。
――グラビア未経験となると、人に肌を見られる恥ずかしさはありませんでした?
紫藤 恥ずかしさよりは、上手くできるかな?の方が大きかった。確かにふとした瞬間「服を着ているの、私だけだ!」と思って恥ずかしくはなりますが(笑)。けど、抵抗はありませんでした。
――久々に仕上がった自分の写真、グラビアアイドル・紫藤るいの写真を眺めたときはどういう気持ちでした?
紫藤 とっくのとうに成人しているのですが、「ああ、私も大人になったんだなあ」って、ウフフ。手元に残っている写真が、小さいころのものばかりなので、あらためて写真に写った自分の成長ぶりに、驚くというのか……不思議な気持ちになっていました。
――あらためて再デビューに至るまでの道のりを語っていただこうかと。幼少期から芸能界への興味があり、この世界に飛び込んだのですか?
紫藤 いえ。小さいころは「学校楽しいなあ」としか思っていない普通の子で、全然興味ありませんでした。確か8歳のとき、家族と一緒に歩いているときにスカウトされたんです。どうやら以前からちょくちょく声を掛けられていたそうで。父が、「もしこの先、芸能界に身を置くことになるなら、今のうちに様々な学びをしておくのは無駄ではないだろう」となり、事務所に入ることになりました。
――シッカリした親御さんですね。では、ジュニアモデル「流川ゆうり」としての活動はどのようなことをしていました?
紫藤 小学4年生の頃には『小学四年生』(刊・小学館)という学年誌が開催した、モデルオーディションのグランプリに選ばれて、雑誌内でお洋服や小学生に人気のアクセサリーを着けて撮影する活動が始まりました。すごく楽しかったですね。
――周囲には活動のことは知られていました?
紫藤 いえ、自ら「私、モデルやっているんだ!」と周りに言うことはなくて。ただ、『小学四年生』読者の同級生から「これ、るいちゃん?本に出ているね!スゴイ!」と、この活動を知られてしまって。そのときは少しだけ恥ずかしくなりました(笑)。
――アハハ。小学5年生ごろにNHK教育テレビ『ヒミツのちからんど』の出演が決まります。テレビのお仕事に関してはどうでした?
紫藤 テレビのレギュラー番組出演が決まったと聞いたとき、「夢かな?」って思って信じられなかった。ただ写真撮影とは違い、「常に喋らなきゃいけない」ことが最初慣れませんでした。普段口数が多い人間ではなかったので、そこでプロとして意識しないといけないんだ、自覚を持たなくちゃと思いました。
番組収録はすごく楽しかった。『ヒミツのちからんど』は、音楽、体育、アートの3つのジャンルを先生たちから学ぶという番組で。各部門で出演者が分かれ、私はアート部門の担当に。私は小さい頃から、絵を描いたりと美術が大好だったこともあり、現代アートの展示会に行ったり自分で作品を作ったりと、たくさんのステキな経験が待っていました。思い返しても楽しい時間でした。
――一方、普段の学校生活と並行しながらの活動ですので、学校行事が仕事と被り、泣く泣く見送ったという話も聞きます。そうした経験は?
紫藤 学校行事は基本参加できていたのですが、昔からよく行っていた家族旅行を見送る機会が増えました。
――わあ、海外ですか!
紫藤 もう、ズルい~!って(笑)。しかも合宿の出発直前に伝えられたので、すごく悲しい気持ちで合宿に行きました(笑)。
――これは哀しい(笑)。当時はこの活動をずっと続けていきたい気持ちはありましたか?いうのはありましたか。
紫藤 当時は子どもだったこともあり、次のライブまでにここは直そうとか、あのオーディション落ちたから、今度は頑張ろうとかそうした少し先の目標はありつつも、未来までは想像していませんでした。
【後編はこちら】前職は塾講師 Iカップの逸材・紫藤るい「先生がいると授業が手につかないと言われてしまって…」