NMB48在籍時から“異端児”として異彩を放っていた木下百花。グループ卒業後は百花と改名し活動してきたが、今年の夏からはアーティスト・kinoshitaとしても活躍をスタート。
「自分は強い意志を持つことには向いてない」と語る彼女が、それでも自分の身近な出来事を歌詞に起こし、歌っていく理由とは。

──2017年9月にNMB48を卒業したkinoshitaさんは、今年6月より本格的に音楽活動を開始しました。まずはその経緯から聞かせてください。

kinoshita まず、NMB48卒業後に事務所からはガールズバンドをやらないかと提示されて。もともと私はNMB48時代からバンドはやりたかったんですけど、「ガールズバンドは無理やろ」と。

──「無理」というのは?

kinoshita 知らん子と価値観をすり合わせるなんて私には無理やと思ったんですよね。一応実際にやってみたものの、やっぱりガールズバンドは難しいと思って、次に私の友達とバンドを組みました。でも今度は私の頭の中にある音を正確に伝えることの難しさに気付いて。

──バンドで試行錯誤されていたんですね。

kinoshita でも制作陣はそれなら私にソロでやってほしいと思ったみたいで、もう面倒くさいので(笑)、1人で活動することに決めました。まぁ私がやりたいのは歌が歌いたい、自分の音楽を作りたいってことやから、そのためには周りにいる大人を利用した方がいいんやろな、と。私がいくらNMB48で7年間アイドルをやってきたといっても、そんな経歴5年でゴミになるじゃないですか。
だからゴミになる前に、そういう人たちを利用しようと思って。

──そんな経緯でソロになり、9月に1stミニアルバム『わたしのはなし』をリリースしたわけですね。

kinoshita はい。大人を利用したことで、第一線で活躍している人たちがレコーディングに参加してくれたんですよね。

──ギタリストの西川進さんなど、一流の製作陣が揃いました。

kinoshita 私、西川さんのこと全然知らなくて、「この人めっちゃ上手いやん! すげー!」って思いました(笑)。私が「もっとこんな感じにしてください」と言ったら何回も何回も納得いくまで弾いてくれたんですけど、音がどんどん私の頭の中にあったものに近付いていくと同時に私の中にはなかったものも一緒に合わさっていくんですよ。今回そういう世界を見れたのはすごく良かったなって思いました。

──大人を利用したことで、音楽面で新たな世界を見られたと。

kinoshita そうですね。結果的に自分もすごく成長できたなと思っています。

──ちなみに、音楽活動で使用している名義「kinoshita」の由来は? そもそもNMB48卒業後にまず「百花」に改名されたと思うのですが。


kinoshita 「百花」にしたのは、「木下百花」は長過ぎる、2文字でええやろ、という単純な理由です(笑)。でも「kinoshita」にしたのはちゃんと理由があって、意味不明な文字列にしたかったんですよ。「kinoshita」って文字だけ見ても何をやっている人なのか想像つきませんよね? 概念とか性別とかにとらわれたくなかったし、こっちの方が固定概念に縛られず私の音楽を聴いてもらえるかなと思って、この名義にしました。

──1stミニアルバムにおいてkinoshitaさんは全曲ご自身で作詞作曲を手掛けています。

kinoshita 最初は私に曲作りなんてできるはずがないと思っていたんです。でも何となく「こんな感じかな~」みたいな感じでやってみたら、できましたね。

──そんな簡単に?

kinoshita はい。実際やってみたらそんなに難しいことじゃないな、って。私、いつも誰かに対してムカついていたり常に鬱憤がたまっていたりするから、それが曲になるんだと思う。まぁ最近は制作陣に曲を作れ作れって言われるからちょっと嫌になってきてるけど(笑)。

──kinoshitaさんにとって曲作りは“発散”のような感じなのでしょうか?

kinoshita そうかも。私はNMB48にいる頃荒れていたんですけど、卒業直後はさらに荒れてしまって。
何もやることがないからコンビニで売っている安い2リットルのお酒を買って飲んで、飲み疲れて寝る、みたいな生活をしていたんですよ。でも今はお酒がそのまま曲作りに置き換わった感じです。

──健康的になりましたね!

kinoshita アハハ! 今はもう全然お酒は飲んでないです。そもそもお酒好きじゃないし。ある意味お酒も曲作りも私にとっては自傷行為みたいなものですけど。

──「自傷行為」ですか。確かにミニアルバムの中にも『生きる』という曲があったりして、人の生死について深く向き合っているのかなという印象を受けました。

kinoshita 一時期私の周りみんな病んでて、みんな「死にたい」とか言ってて。でも私は別に死にたいとは思わへんなぁって思いながら作った曲ですね。私の歌詞はどれも私の半径5メートル以内の出来事なので、死ぬとか生きるとかそういう歌詞も出てくるんですよ。

──日々の生活と楽曲が密接にリンクしているんですね。

kinoshita はい。
だから逆に架空の物語みたいな歌詞は私には書けない。書くと恥ずかしくなってくる。それに、自分の生活から生まれた歌詞の方が歌っていて気持ちが乗りますから。

──アイドル時代の歌う行為と、今の自分で作った曲を歌う行為では、やっぱり気持ちは違いますか。

kinoshita いやもう全然違いますよ! 『プライオリティー』(NMB48在籍時のソロ楽曲)を歌っているときなんて「私、何やってるんやろ」って思ってましたから(笑)。もちろん秋元(康)さんが作った曲は私では絶対書けないものだから、昔と今では全然違うことをやっている感覚です。

──自作の楽曲に対してファンから反響もあると思います。

kinoshita この前ライブで歌っていたら、目の前で年配の男性が泣いていたんですよ。そのとき歌っていたのは「女の子ってこういう曲好きなんやろな」と思いながら作った曲で、自分では全然共感できない歌詞だったんですけど、それを聴いて泣いているから驚きました。自分が共感できない曲に共感してくれる人がいるというのは不思議な感覚だったし、人ってそれぞれ価値観が違うんやなと実感しました。

──さて、kinoshitaさんがNMB48に加入したのは親御さんが勝手に応募したからという経緯だったと思うのですが、今の音楽活動は自分の意志で行なっているものですよね。アイドル時代とは違って責任も背負っていると思うのですが。


kinoshita ない。

──ないんですか! 「大人も力を貸してくれているから自分がしっかりしなきゃ」とか。

kinoshita まったくない! そんなもん知るか、と(笑)。私は自分がやりたいことをやるから、大人は勝手に搾取してくれって感じです。確かに昔みたいに私が休んでも誰かが代わりにとはいかないけど。

──でもお話を聞いていると、いろいろ言いながらもスタッフの方との関係は良好なのかなと感じました。

kinoshita 普通ですよ。仲良くも仲悪くもない。関西という土地柄のせいかNMB48の頃はスタッフとの距離が近過ぎた気がするけど、今のスタッフは「仕事は仕事」と割り切ってくれている感じがあって、私としても今の方が合っているなという気はしますけどね。

──なるほど。ところで今「土地柄」という言葉がありましたが、東京での暮らしはいかがですか?

kinoshita NMB48を卒業した次の日に関西から東京に引っ越してきたんですよ。でも、東京は最悪ですね。
ネズミもゴキブリも多いし、夜中に車が走り過ぎてうるさい! よく「東京は眠らない街」って言うけど、ホンマなんやなと思って引きました(笑)。

──あら。kinoshitaさんと東京の雑多な雰囲気って相性良さそうと思っていたんですが。

kinoshita 全然!! 「夜中に遊ぶな、全員寝ろ!」って思ってますよ。

──(笑)。では、今後の活動についての展望を聞かせてください。

kinoshita 自分が楽しいと思ったことは全部やりたい反面、「私はこれで絶対食っていく」みたいな強い志があるわけではないです。私はアイドル時代に気負い過ぎて活動休止したことがあって、自分は強い意志を持つことには向いてないと知ったので、あまり何も考えず「今、これが楽しい」と思ったことをやっていこう、と。

──となると、例えば1年後は音楽をやっていない可能性も……?

kinoshita いや、私は飽き性なんですけど今まで音楽と服だけは好きじゃなくなったことがないので、たぶんこれからも音楽と服にはずっと関わっていくと思います。今もどんどん曲を作っているので。

──となると、また近いうちに新たな作品のリリースが?

kinoshita そうですね、出せたらいいなと。ちなみに次の作品は1stミニアルバムとはまた全然違う感じになると思いますよ。
▽kinoshita(きのした)
1997年2月6日生まれ。kinoshitaはアーティスト活動時の名義であり、通常活動時は百花(ももか)。肩書きはスーパービーイングフリーター。9月4日に1stミニアルバム『わたしのはなし』をリリース。全曲の作詞作曲を自ら手掛ける。
Twitter:@wanderlandlove

(取材・文/左藤豊)
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