2009年にバラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』から生まれた5人組アイドルユニット・新選組リアンのメンバーとしてデビュー。デビュー直後から数々のゴールデン番組に出演した。
榊原徹士のタレント活動はこれ以上ないぐらい順調な滑り出しだった。
だが、2011年にグループの生みの親でありプロデューサーの島田紳助が芸能界を引退すると、その活動に陰りがさし始める。セルフプロデュースで1枚のシングルを発売するも、その後シングルは発売されなくなり、2014年に解散。グループ解散後はさらにファンの数も減り続けた。デビュー時の輝きが眩しかった分、長く深く感じられた不遇時代、榊原の意識を変えたのは、あの人の一言だった。

その後、 “ギリギリの年齢で”『宇宙戦隊キュウレンジャー』のオーディションに合格し、2018年には悩んだ末に受けた吉本坂46のオーディションにも合格。現在は、俳優とアイドルの2つの顔で活動する榊原徹士に不遇時代の話と、そこから立ち直ったきっかけについて聞いた。

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新選組リアン解散後、生活は常に苦しかったです。役者になろうと決めていたんですけど、もちろんそれだけじゃ食えないからバイトのシフトも山ほど入れていましたし。月27日間、朝6時30分から夜11時までサラダ屋で働きづめでした。

だけど、お金のこと以上につらかったのが「自分には何もない」という感覚。なんの下積みもしないままテレビの力でパッと世に出てきて、そのままチヤホヤされてきたわけですからね。
たとえ売れなくなっても、「俺にはこれがある!」という自信があればメンタル的には乗り切れると思うんです。だけど、僕は何かのプロフェッショナルでは決してなかった。歌唱力とか演技力とか、他人に誇れるはっきりしたものが何もなかった。そのことが最大のコンプレックスでしたね。

そもそも新選組リアンに入る前、僕は芸能人になりたかったわけでもアイドルに憧れていたわけでもなかった。本当にそのへんにいる大学生の軽いノリで、友達と一緒に応募しただけなんですよ。「落ちたらネタになるよな」くらいの感覚で。もうその時点でダメなんですよね。芸能界をなめているわけですから。

新選組リアンのデビューが2009年だったんですけど、あのときはわかりやすいくらい自分も天狗になっていました。だけど2011年に島田紳助さんが芸能界を引退されたことで、一気に風向きが変わったんですよね。

そこからは自分たちで楽曲を作ったりもしたけど、はっきり言って鳴かず飛ばず。
過去の栄光にすがっているような状態でした。所属していた事務所からも契約更新できないって言われましたし。

それまでは周りの大人たちに言われたことをこなしていただけだったのに、急にセルフプロデュースでやろうとしても、今度はメンバー間でやりたい方向性がズレるという問題が出てくるんですよ。このズレっていうのは、お客さんも敏感に感じ取りますからね。だから正直言って、グループとしてはあまり上手く機能していなかったんです。そんなことは僕たち自身が一番よくわかっていた。

じゃあ、なぜそれでも新選組リアンを続けたか? ひとつは意地ですよね。「ここで負けてたまるか」という根性。もうひとつは……紳助さんがまた芸能界に戻ってくるんじゃないかという淡い期待があったんです。これは本当にミリ単位の希ですよ。だけど、それを捨てることはできなかった。だって僕らは紳助さんによって作られたグループ。
誰がなんと言おうとも、紳助さんが親なんです。

それでも結局、新選組リアンはこのままじゃどうにもならないという話になり、解散することになりました。解散ライブも想像以上に客席は閑散としていましたね。最近、新選組リアンは一夜限りの復活ライブをやったんです。このときは一夜限定ということもあって、お客さんも来てくださいましたが。

グループ解散後は、さらにファンの方の数も減り続けることになり……。あまりにも悩みすぎて、自分でもどうしていいかわからなくなっちゃいましてね。それで上地雄輔くんに相談したんです。「何を目標にしていいのか、正直わからないんですよね」「今後、僕はどうしていけばいいんですかねぇ」みたいな感じで。

そうしたら、上地くんから一喝されたんです。「仕事をナメるな!」って。上地くんが言うには、自分はマネージャーに8年間も名前を覚えてもらえなかった。
8年間の間にいろんなバイトもやったし、苦しい思いも山ほどした。それに比べたら、お前の苦労なんて大したことないはずだと。

当時は僕も甘ったれていたんで「はぁ? なんでそんなこと言われるのかなぁ」と思ったんです。だけど、上地くんが怒るのは当たり前ですよね。だって他人に相談するときって、明確な質問内容が普通あってしかるべきじゃないですか。僕の場合はぼんやり思ったことを口にしているだけで、相談にも質問にもなっていないんです。これじゃ話を聞いているほうもアドバイスしようがないですよね。つまり他人に相談する前の段階であって、まずは自問自答をしてから上地くんのところに行くべきだったんです。

上地くんに怒られたことで闘志に火がついたことは事実でした。そこで決めたのは、30歳までに売れなかったらスッパリ辞めるということ。親からも「どうするの、あんた? これで食っていく気があるの?」とか言われていましたし。「いや、俺はこれでやっていくんだよ」とか啖呵を切っていましたけどね。
それはもう自分にプレッシャーをかけるためでした。

結果的には27歳のとき、特撮『宇宙戦隊キュウレンジャー』のオーディションに受かったことで一命を取りとめたわけですが。27歳という年齢は、特撮ではかなりギリギリなんです。新進気鋭の若手俳優が次から次へと出てくる世界ですから。本当に土俵際の状態でした。

そして今の吉本坂46に繋がるわけですけど……。ここでの活動というのは、僕にとって本当に勉強の連続なんですよね。というのも、メンバーはすでに各フィールドで活躍している人たちばかり。一芸を持っているメンバーしかいないわけですよ。

つい最近、僕は30歳になったんですけど、人間が成長するのに年齢なんて関係ないですよ。今は毎日いろんなことをどんどん吸収しているし、メンバーからも刺激を受ける状態。

一番わかりやすい例でいうと、トークですよね。
吉本の芸人さんはプロだから当たり前かもだけど、笑いに対する追求心がちょっと尋常じゃないんですよ。僕は俳優だけど、俳優というのも「しゃべる職業」であるのは同じじゃないですか。トークができて損することなんて何ひとつない。だから、そこはガンガン盗みたいと思っているんです。今ようやく地に足をつけながらの下積み生活が経験できていると感じますね。

吉本坂46の活動をしていて痛感しているのは、歌とダンスは努力したぶんだけ結果が出るということ。すごく充実感があるんですよね。歌やダンスってスキルを積めば確実にかたちになるものですから。そういうところが「下積みコンプレックス」を持つ自分に合っているんだと思う(笑)。自分の自信に繋がりますし。

今はお芝居とアイドル……要するに二足の草鞋を履いているわけですけど、この草鞋は両方とも僕にとっては大事なんですよ。どっちが上とか、そういう話では決してない。

でもそれは僕だけじゃなくて、他のメンバーも同じですよ。みんなもうひとつの顔を持っているわけだから、16人揃ってリハーサルすることすらままならないですし。ただ、そこはたとえば個人練習をみっちりやることでクリアするとか、工夫すればどうにでもなると思うんですね。

グループには、それぞれカラーがありますよね。乃木坂46さんは「綺麗」。欅坂46さんは「激しい」。日向坂46さんは「可愛い」。そう考えると、吉本坂46の向かう先は「トークが面白い」しかないと思う。口を開けば面白いのに、歌やダンスになるとキレキレで実力派……このギャップがいいはずですから。僕もみんなからいろんなことを吸収してトークを磨きたい。いつまでも成長し続けていきたいです。

▽吉本坂46 3rdシングル
『不能ではいられない』
12月25日(水)に発売された吉本坂46の3rdシングル。表題曲『不能ではいられない』は、2ndシングルで行ったジャケット売上対決で1位となったREDが歌唱。池田直人(レインボー)と小寺真理(新喜劇)がWセンターを務める。YouTubeでMVが公開されると、高難度の超合体ダンスも話題になった。
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