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12月25日。
さいたまスーパーアリーナで開催された「ももいろクリスマス2019~冬空のミラーボール~」のエンディングで、百田夏菜子は「新国立競技場の景色が見たい」と口にした。
例年であれば、コンサートのどこかで“南国ピーナッツ”こと松崎しげるが登場し、名曲『愛のメモリー』に乗せて、次なるビッグイベントの告知をするのが恒例行事となっており、この日もアンコールを終えて、バンドメンバーたちもステージを降り、4人だけになった瞬間こそがそのタイミングだと多くの観客が思っていたようだが、結局、松崎しげるは現れず、夏菜子が自分から次なる夢を語りだした。
すでにネットニュースなどで話題になっているので、このことを知っている方は多いと思うが、百田夏菜子は声高らかに宣言したわけではない。むしろ、控えめに「いつかみんなと一緒に立てたらいいなぁ~、なんて」と口にしたあと「いや、立てたらいいなじゃダメですね」と、まるで自分に言い聞かせるように語り、最後の最後に「またみんなで国立競技場に立てるようにがんばります!」と宣言し、「その姿をみんなにも見てもらいたい」とメンバーだけではなく、ファンと一緒に新たな夢に向かって進んでいくことを超満員の観客に示してくれた。
そう、これはももクロを中心としたスタッフや観客を含めたTDF(TEAM DIAMOND FOUR)全員で見る夢、なのだ!
オープニングの「PRIDEのテーマ」と、松崎しげるのサプライズ発表という二つの「恒例」が消えたももクリの新風景は、彼女たちが新たな歴史を刻みはじめるということを象徴しているようだった。
ステージ上で話しているときの夏菜子の様子から、この言葉をかなりの覚悟を持って口にしたことを観客は察知したし、だからこそ涙を流して受け止めるモノノフの姿もたくさん見かけた。そして、とても完成度が高かったこの日のパフォーマンスが、いつかやってくる新国立競技場へとつながるものだと気づき、またウルっときた。
2014年3月、ももクロは旧・国立競技場でコンサートを開催した。女性グループとしては初の快挙だった。
しかし、東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて取り壊されることが決まっていたため、メンバーは「2020年以降に新国立競技場で」と心の中で目標を書き換えはじめていたのだが、本当にギリギリのタイミングで旧・国立競技場のステージに間に合った。
いろんな意味で、ももクロに、そしてアイドル業界全体にいい風が吹いていた時代だった。
しかし、現状を考えると、これから自分たちで風を起こしていかないと、新国立競技場まで到達するのは、なかなか難しい。
実は12月24日に発売されたばかりのムック『OVERTURE』021に掲載されたインタビューでも、百田夏菜子は新国立競技場について言及している。
詳しくは誌面をご覧いただきたいが、正直、このインタビューの段階では、夏菜子は「新国立競技場」というキーワードを遠ざけよう、遠ざけようとしていた(インタビューは11月に収録)。この時点ではまだ覚悟が決まっていなかったのだろう。
とにかく「来年、オリンピックで楽しむほうが先!」という話に持っていこうとしていたのが印象的。このインタビューのラストで語った文言と、ステージでの発言を見比べていただければ、令和元年の暮れにももクロがどれだけ葛藤し、いかにして腹を括ったのがよくわかる。
彼女たちは周りが思っている以上に、自分たちのことを冷静に見ている。
新国立競技場でコンサートを開くことの大変さはよくわかっているし、いまの自分たちが易々と口にしていいことではないこともわかっている。
同じ号に掲載したインタビューで玉井詩織は、国立競技場でコンサートを開催した当時のことを振り返り「あのころの自分たちにちゃんと顔向けができるだけのことをできているのか?」と今の自分たちを戒めた。
このとき玉井詩織はサラッと「そんなことをみんなで話した」と語っているが、さいたまスーパーアリーナで新国立競技場に向けて語るとき、百田夏菜子は「これからについて4人で話し合った」と口にしている。つまり『OVERTURE』のインタビュー収録のタイミングと、メンバー同士で新国立競技場をはじめとした近未来の夢について話し合った時期は絶妙にリンクしていた、ということになる。
それを頭に入れた上で、そして、新国立競技場でのコンサート開催を宣言したという事実を知った上でインタビューを読み進めていただけると、また違った読後感が味わえると思う。すでに読んだ方は今一度、お手元の本を開いていただき、まだ読んでいない、という方はぜひとも入手していただき、この年末年始に読んでいただければ幸いだ。
近未来という意味では、2023年に30歳になる高城れにが興味深い話をしている。
これは「ももいろクリスマス2019」のパンフレットに掲載されたインタビューだが「このまま、なんとなく30歳になるのは嫌だ」と、ここからの3年間、向上心を持ってさまざまなことにトライしていきたい、と語ってくれた。
ひょっとしたら、ももクリで公表された運転免許取得のそのひとつかもしれないし、かなり意識の高い生き方を今の彼女が標榜していることは間違いのないところ。それもまた新国立競技場への道へとリンクしてくる。
そして、12月30日に「AYAKARNIVAL2019」の開催を控えている佐々木彩夏。
そもそも、このイベントは「2020年以降も、令和の時代もアイドルがキラキラした存在であり続けられるように」と彼女が企画・立案したもの。
別にひとり勝ちの状況を作って、新国立競技場へ邁進したい、というわけではない。
結果として、新国立競技場を目標として正式に掲げてから、最初のイベントがこの「AYAKARNIVAL2019」となった。もちろん4人が揃うステージとしては年またぎの「ももいろ歌合戦」が一発目になるのだが、その前日に開催される「AYAKARNIVAL2019」も一本の道でつながっている。
今年の年末は大忙しとなった佐々木彩夏だが、『OVERTURE』に掲載されたインタビューでは「忙しすぎるんじゃないか?」というファンの不安に対して「大変なのは5%だけで、あとの95%は楽しいだから心配しないで」と一発回答。さらにその5%についても、実に深い話をしてくれているので、こちらもぜひ誌面でご確認いただきたい。
もっとも「5%の大変」もイベントが大盛況で終われば吹っ飛んでしまうに違いない。このイベントを準備していく中で「自分が推しているアイドルがステージ上で楽しそうにしている姿を見ることが、ファンの人にとって最高の幸せだと思う」という金言を残してくれた佐々木彩夏だが、その言葉とおり、彼女を推している人はパシフィコ横浜に駆けつけて、あーりんに最高の笑顔をプレゼントしてあげてほしい、と思う。
当初は主宰者として一歩下がった立ち位置にいた佐々木彩夏だが、すべてのアイドルグループと1曲、コラボを披露することが決定。
いままでにはなかった光景、そして、この日しか見られない共演がパシフィコ横浜で繰り広げられることとなる。さらには参加者全員とももクロの楽曲の中でもあーりんの色が濃い佳曲『LinkLink』を歌うことも発表された。このイベントの趣旨と、この楽曲の歌詞はまさに「リンク」してくるので、かなり味わい深いシーンとなりそうだ。
いまのところ新国立競技場に関しては不透明な部分が多い。
東京オリンピック・パラリンピックが閉会したあと、どのように運用されていくのかもはっきりしていないし、いつから、どれぐらいのペースでコンサートなどのイベントに貸し出されるのかもわからない。
ただ、わかっているのは、新国立競技場はこれから何年も何十年も東京のど真ん中に存在しつづける、ということ。
そして、新国立競技場はももクロにとってゴールではなく、ひとつの「新たな通過点」である、ということ。
令和元年から「いつか」へと続く旅路。
それをリアルタイムで体感できるのは、ももクロを応援する人たちにとっての醍醐味でもあり、筋書きのないドラマの登場人物のひとりにもなれる。令和アイドル史は、ここからはじまる――。