【写真】水着グラビアでも話題に、高鶴桃羽の撮り下ろしカット【9点】
フランスで結婚した日本人の両親の元、パリで生を享けた高鶴は、父の仕事の都合で2歳のとき、札幌に移住した。
「フランスにいた頃のことは断片的に覚えていて。何度かフランスに里帰りをしているんですが、当時遊んでいた場所などに行くと、ぼんやりとですが記憶が蘇って、懐かしい気持ちになります」
一人っ子なので遊ぶ相手もいない。年齢的に保育園にも入れなかった。日本の友達を作ってほしいという思いから、母は2歳の娘をバレエ教室に入学させた。
「毎日、お母さんと散歩しているコースの途中にガラス張りで中が見えるバレエ教室があって、いつも私が楽しそうに見ていたみたいで。お母さんも小学生までバレエをやっていたのもあって、教室でお友達もできるだろうという期待も込めて通わせてくれたんです」
本気でプロのバレリーナを目指し始めたのは小学1年生のとき。初めて出場したコンクールがきっかけだった。
「大勢の方がいる前で、一人でバレエを踊って、初めて審査員の方に審査をしていただいて。『技術云々ではなく踊ることの楽しさが伝わって、心が躍っているのも見えた』と言ってもらえたんです。見ている側の皆さんに『楽しい』と思ってもらえたのがうれしくて、本気でプロのバレリーナを目指そうと思いました。
プロのバレリーナを目指した小学生の時点で、バレエ留学を視野に入れていた。両親にも相談して、早くからバレエに打ち込める環境を作るために、芸術活動に重きを置いた中高一貫校の女子校に進学した。
「志望していた中学校に合格して、これからは本気でバレエに力を入れようと意気込んで出場したコンクールで留学の権利をいただいて、中学1年生で初めて短期留学をしました。そのときはスイスに行ったんですが、海外の同い年ぐらいの子たちのレベルの高さを目の当たりにして衝撃を受けました。
その子たちはバレエ学校に通っているので、意識も高くて、四六時中バレエのことを考えて、365日踊っているんです。そこで私は狭い世界しか見えていなかったんだと気付いて。またスイスに戻ってきたときは、この子たちと張り合えるぐらい、できることなら上回れるぐらいの実力をつけるために、日本で修業を積もうと思いました」
いろんな国でバレエを学んで、その国ごとのカラーや良さを吸収して、自分なりのスタイルを構築しようと、中学時代はスイス以外にも、ベルギー、チェコに短期留学をした。芸能の世界と接点ができたのも高校時代だった。
「高校1年生のときに、コンクールでお世話になったバレエ協会の偉い方から、『舞台に出てみないか』と声をかけていただいて、初めてバレエのお仕事をいただいたんです。有望な若手を集めて作る舞台だったんですが、全国から若い子が東京に集まって、練習を重ねて、舞台に立つというのは刺激的なことでした。その舞台の最終日を終えて、東京観光していたときに、今の事務所の方にスカウトしていただいたんです」
バレエも役を演じるというところで芝居に共通する部分もあり、ドラマや映画を観るのが大好きだった。ファッション誌を定期購読するぐらいモデルにも興味があった。
「声をかけていただいたときに、もしかしたら私には芸能という道もあり得るんだと興味が湧いて、その気持ちをお母さんに伝えたんです。お母さんは『将来の選択肢は幾つあってもいいんだから』と受け入れてくれました。ただバレエ留学も決まっていましたし、『今はバレエを頑張りたい時期ですが、芸能活動も視野に入れさせていただきます』と事務所の方に伝えたら、『いつでも待っているよ』と言ってくださったので、安心してバレエに打ち込みました」
高校3年生になって、初めて長期留学をすることになった。場所は憧れの地だったロシア。
「小学生の頃からロシアのバレエ団が日本公演をするときは観に行っていましたし、バレエをやっている子は誰しもロシアに憧れを抱いていました。現地では英語も伝わらなかったですし、文化の違いもあったので戸惑うことも多かったんですが、日本人の先輩もいたので、いろいろ助けてもらいました」
世界最高峰とも言われるロシアのレベルは高かったが、全く手が届かないという訳ではなかった。
「ロシアの方は身長も高くて、手足も長くて、すごく綺麗で。隣に立っているだけで、迫力で負けてしまいそうになるんですが、どうやったら自分が目立てるか、どうやったらロシアで戦っていけるかを、もがきながら考えました。
フィギュアの世界もそうですが、日本人のバレエ・テクニックは世界的に評価が高いんです。だから私は誰よりも練習して、自分なりの見せどころを見つけて、しっかりとレッスンでもアピールしていたら徐々に認めていただけました。ロシアでは、アジア人は差別されることも多かったんですが、バレエのことを分かっている方は、みなさん日本人をリスペクトしてくれていました」
高校卒業後もロシアのバレエ学校に通い続け、いずれはロシアのバレエ団に入って、ロシアで暮らしていくというビジョンを描いていた。
原因は2022年に始まるロシアのウクライナ侵攻だった……。
「無事に日本の高校を卒業扱いになって、そのままロシアのバレエ学校に4年間通う予定だったんです。ところが戦争が始まって、クレジットカードが使えなくなるなど、いろいろな弊害が出始めて。私はロシアに残りたかったんですが、生まれて初めて両親に反対されました。
ずっとバレエを頑張ってきたので、ここで日本に帰りたくない。戦争という自分ではどうにもできないことで、夢を諦めなきゃいけないのが悔しくて……。しばらく粘ってはいたんですが、両親に『生きてくれているだけでいいから、日本に帰ってきてほしい』と懇願されて。両親がそんなことを言うのが初めてだったのでハッとして、まだまだ人生は長いんだし、ここは抗わずに、一旦日本に帰ろうと決断しました。いろんな飛行機の便が止まるなど、帰国するのも一筋縄ではいかなかったんですけどね」
▽profile
高鶴桃羽(たかつる・ももは)。2003年5月23日生まれ。フランス生まれ、北海道育ち。
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