──小さい頃から芸能界に興味があったんですか?
石原 10歳の時に『女王の教室』という志田未来さんが出演しているドラマを観て、すごい演技をしているなって衝撃を受けたんです。そこで初めて芸能界の存在を知って、憧れるようになりました。
──実際にオーディションなどは受けたんですか?
石原 オーディションを受け始めたのは高校生になってからです。小学生の頃からフルートを習っていて、中学生になると吹奏楽部に打ち込んでいたので、その頃は将来、フルート奏者か音楽の先生になりたかったんです。
──フルートの腕前はいかがだったんですか?
石原 中学時代は管打楽器のソロコンテストに出て、3年連続で本選に出場していました。応募者が700人ぐらいいて、本選に進めるのは50人程度。その中でフルートは10人ぐらいだったので、地元の茨城県では最低でも10番目ぐらいにフルートが上手かったと思います。中学卒業後は音楽の専門学校に行こうと考えていたんですけど、その時期に東日本大震災があって行けなくなったんですよ。それで地元で2番目ぐらいに偏差値の低い高校に進学しました(笑)。
──その高校に吹奏楽部はなかったんですか?
石原 あったんですけど、サッカー部のマネージャーになりました。
──ずいぶん働きますね。お金を貯める必要があったんですか?
石原 お金ってあればあるだけ幸せになれるじゃないですか(笑)。あと、演技レッスンを受けるために東京まで通っていたんです。
──高校生になって芸能界への思いが再燃するんですね。
石原 そうです。幾つか書類審査にも通ったんですけど、直前になって行くのが面倒になって受けなかったんですよ。
──それはもったいない!
石原 乃木坂46の1期生オーディションにも応募して、書類審査は通って「東京に来てください」って連絡があったんですけど、サッカー部の試合があるから行けなくて……。
──部活を優先したんですか……。高校卒業後の進路はどうしたんですか?
石原 高校の先生に「地元の国立大学の指定校が1校あるから推薦しようか?」と言われたんですけど、私は東京か千葉あたりに行きたかったので、高校卒業後は一人暮らしを始めて千葉の予備校に通いました。
──推薦をもらえるぐらいだから優秀な生徒だったんじゃないですか。
石原 予備校に通って偏差値は上がったんですけど、ホームシックで痩せ細っちゃって。
──完全に負のスパイラルに陥っていたんですね。
石原 その後、自動車教習所に通いながらバイトをしていたんですけど、もう19歳だし、十代最後のチャンスだからと芸能事務所40社ぐらいの面接を一気に受けられるというオーディションに応募したんです。そしたら書類審査に通って、面接に行ったら今の事務所に声をかけられたんです。
──おー! 遠回りはしたけど、ようやく芸能界の第一歩を踏み出せたと。
石原 ところが名刺だけもらって、1年間ぐらい事務所からの連絡を無視してたんですよ。それで、コンビニ、ファミレス、居酒屋とバイトを3つ掛け持ちして、お金を貯めてました。
──バイトの掛け持ち好きですね~(笑)。
石原 朝昼晩とバイトしてたから寝る暇どころかお風呂に入る暇もなくて、バイト先の休憩室で寝て、漫画喫茶でシャワーを浴びて、ほぼホームレス状態ですよ(笑)。ずっとバイトしていると思考停止状態になって、「バイト行かなきゃ」ってバイト先までタクシーで通うようになって。
──とはいえ不眠不休でバイトしてれば、そこそこ貯金も貯まるでしょう。
石原 その貯金も成人式でなくなりました。そもそもバイトをしていた理由の一つに、成人式の振袖レンタル代が必要だったんです。
──親は出してくれなかったんですか?
石原 お父さんに「お金がもったいないから成人式の振袖はレンタルしたい」って言ったら、「買うんだったらお金を出すけどレンタルは形に残らないから駄目だ」と言われたんです。じゃあ自分で稼いでレンタルしようと思ったんですけど、バイトが忙しくて、レンタルしに行く暇もなくて。成人式ギリギリにレンタル店に行ったら、もう残っていなかったんですよ。仕方なく50万円ぐらい出して自分で振袖を買いました。
──良かれと思ってやったことが全て裏目に出たんですね(笑)。一方で、20歳で念願だった芸能界の道を歩み始めて、当初はアイドルグループで活動していましたよね?
石原 マネージャーさんに言われて、事務所が運営していた「リンクSTAR`s」というアイドルグループの候補生をしていました。
──乃木坂46以外でアイドルのオーディションを受けたことはあったんですか?
石原 なかったです。そもそもダンスが苦手だったので。
──数か月後に「IDO☆HOLIC」というアイドルグループに加入しますが、どういう経緯があったんですか。
石原 ようやくアイドル活動から解放されたと思っていたら、他事務所の方がリンクSTAR`sでの私の活動を見て誘ってくださったんです。
──あまり乗り気じゃなかったんですか(笑)。
石原 正直そうですね。ただ正規メンバーじゃなかったし、ちゃんとした衣装も着たことがなかったので、またやってみようと。そしたらリンクSTAR`s時代に厳しいレッスンを経験していたから、IDO☆HOLICでは他のメンバーと見劣りしないぐらいに踊れるようになっていたんです。それで今まで以上にアイドル活動が楽しくなりました。
──グラビア活動も並行して行っていましたけど、水着に抵抗はなかったんですか。
石原 めちゃめちゃありました。
──その初々しさも良いですけどね。グラビアをやるにあたって参考にした人はいますか?
石原 事務所の先輩のイメージDVDを借りて勉強したんですけど、みなさん大きい胸を持ってらっしゃる方ばかりだったので、実際に自分でやるとイメージが違うんですよ(笑)。私は大貫彩香さんから学ぶことが多かったです。
──現時点で5本のイメージDVDをリリースしていますが、その中でお気に入りは?
石原 4本目の『夏よりのサマー』ですね。ロケ地が撮影で天気が良かったし、すごく顔が盛れていたんですよね。
──ちなみに、IDO☆HOLICはどうして解散したんですか?
石原 5人で活動していたんですけど、次々とメンバーが脱退して、その度にファンが減っていったんです。最終的にはメンバー2人だけになって、結成から1年ぐらいで解散することになりました。
──過激な下ネタ発言で話題を呼んだ『ゴッドタン』の「ウソのつけない女オーディション」に出た時は、まだIDO☆HOLIC時代ですよね。メンバーから反対されませんでしたか?
石原 黙って出るのもどうかなと思って、「こういうこと話すけど大丈夫?」ってメンバーに確認したんですよ。大丈夫って答えだったんですけど、いざ放送されたら怒ったメンバーもいて。
──面と向かって怒られたんですか?
石原 違います。ツイッターに「こういうグループにいたくない」みたいなツイートを投稿したみたいなんですけど、一瞬で削除して、それにファンの方が気付いて教えてくれたんです。申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。
──とはいえ『ゴッドタン』の影響はすごかったんじゃないですか?
石原 大きかったです。ツイッターのフォロワーが2千人ぐらいだったのが、今では5万5千人ぐらいですからね。『ゴッドタン』を観てライブに来てくれてファンになってくれる方もいました。
──番組をきっかけにアイドルユニット「Truth」を結成します。それぞれメンバーの印象を教えてください。
石原 TOMOKAさんは顔が広くて情報網がすごいです。「この人と友達でしょう」とか「ここで遊んでたでしょう」とか、私が話してないことまで知っているんですよ。いろいろ知っていて、ちょっと恥ずかしかったです。性格は見たまんまで裏表のないタイプですね。永井すみれさんは、独自の“すみれワールド”を持っている方です。
──先ほど高校時代に劣等感を抱いたと仰っていましたけど、今はいかがですか?
石原 今も自分には自信がないです。芸能界は可愛い人ばかりだし、食べても太らない体質だと思っていたら、そうじゃないことに事務所に入ってから気付いて。それにバラエティに出ても人に気持ちを伝えるのが下手だし……。
──トーク力は高いと思いますよ。
石原 今日は超絶調子がいいんですよ(笑)。
──最後に今後の目標を聞かせてください。
石原 最近ドラマのオーディションも受けているんですけど、女優のお仕事を増やしていきたいですね。
──バラエティはいかがですか?
石原 オファーがあれば喜んで出ますけど、最近は私生活をバラすのが恥ずかしくなってきたんですよね(笑)。
▽石原由希
いしはら・ゆき。1995年8月1日生まれ、茨城県出身。特技はフルート。『ゴッドタン』に出演し、そのぶっちゃけ発言で一躍話題になる。アイドルとしての一面もある他、グラビアでも活躍しており、今まで5つのDVD作品を発売している。