そもそもの舞台デビューは華やかだった。2005年、結成初年度でアマチュアながらいきなりM-1準決勝に進出。
だが、当時から本人たちに「上手くいっている」という感覚はなかったという。その後、2024年「THE SECOND」で2代目王者を戴冠するまでもがき続けた。ツッコミの奥田修二はこのほど、初のエッセイ本『何者かになりたくて』(ヨシモトブックス)を上梓。ガクテンソク2人の芸人キャリアはそのタイトル通りだったのか…本人に話を聞いた。(前後編の前編)

【写真】「THE SECOND~漫才トーナメント~」では2代目王者に、ガクテンソク奥田修二

──まずガクテンソクさんの芸人キャリアについてお聞きしたいです。2005年に結成して「M-1グランプリ2005」にアマチュアとして出場し、いきなり準決勝へと進みました。手応えはつかんでいたのでしょうか?

当時は「成功している」みたいな思いはなかったです。ド素人2人で、準決勝がすごいともわかっていなかったですから。最初から今まで1回もうまくいったと思ったことはないですね。

──「THE MANZAI」や「ABCお笑いグランプリ」など多くの賞レースで決勝へ進んでいるのに、うまくいっているという感覚はなかったんですね。

僕は元々笑い飯さんが好きで。お二人がトップにいたbaseよしもとに入りたくて、お二人が活躍していたM-1決勝に出たかったんですよ。
でも2010年にその2つが終わったので…。M-1に代わってTHE MANZAIができたんですけど、「M-1じゃないな」と。笑い飯さんもbaseよしもとを卒業しちゃって。そしてbaseよしもとは5upよしもとに変わるんですけど、それも「baseよしもとじゃないな」と。

──それだけM-1への思いが強かったということですよね。

僕は鬱屈した青年時代を過ごしているので、優勝して紙吹雪がパーンとなるあの瞬間を浴びたかったんですよ。第1回では麒麟さん、第2回では笑い飯さんが「誰やこいつら」という状況から、面白いという理由だけでスターになりました。いきなり人々に知られて脚光を浴びるということに憧れがあったんですよね。その感覚でいうと、僕は『魔女の宅急便』の最後のシーンがめっちゃ好きなんですよ。

──どんなシーンでしたっけ?

落ちていくトンボ、魔法がうまく使えないキキがいます。トンボが手を離した瞬間からミュートになるんですよ。そこをキキが降りていって、空中でキャッチするんです。
そしたら音が戻って、アナウンサーさんがばーっとなんか言っていて。街の人が紙吹雪をまいて、トランポリンに2人がゆっくり着地するんです。あの主人公感ですよ。小学3年生くらいのときに見たんですけど、「あれがいい」ってなったんです。それがM-1と重なっていました。

──それだけ思い入れのあるM-1を2020年に卒業します。それから、2024年にTHE SECONDで優勝するまでどのような思いを抱えていたのでしょうか?

まず、2010年に一度M-1が終わるんですよね。ずっとM-1にかけてやってきたので、大会自体がなくなったら芸人を辞めてもいいはずなんです。でも辞めなかったのは、解散すると、今までやってきた時間がすべて無駄になると思ったから。僕らがお笑い芸人だったという証拠がない状態で、やめるもクソもないやろと。漫才で何者かになれていない以上、辞める理由もなかったんです。

THE SECONDができたときは「めんどくせえ」とは思いましたけど、真剣に取り組もうと。
本番は、番組が4時間もあったとは思えないくらい夢中でしたし、優勝して紙吹雪が舞ったときに『魔女の宅急便』のあれや、すげえと思いましたね。

──THE SECOND王者になって見える風景は変わりましたか?

僕らは変わっていないですけど、いただくお仕事の種類が変わりました。会う人が変わったり、行く場所が変わったり。見慣れない場所に行くようになったのは優勝して変わった景色かもしれないですね。

──環境が変わっても、うろたえることもなく?

力むことがなくなっちゃって。できることしかできないしな、と。後輩が僕らより売れていく姿だって山ほど見ている。僕らは霜降り明星にはなれないし、ミキにもなれない。だからやれるだけやってダメなら、2回目がなかっただけやと思っています。

──そんな中、『有吉の壁』で披露した「京佳お嬢様と奥田執事」が一気にバズりました。

マネージャーも含めて誰も予想していなかったです。最初に番組に出たときは、きつねのネタで、僕がビキニを着せられたんですよ。
それがちょっとだけ跳ねたんです。そこからショートネタで何回か番組に呼ばれて、今は男女即興ユニットで金子きょんちいと組んでやった執事のネタがバズってくれています。20年以上考えた漫才じゃなくて、2分で考えた執事がバズるんかい!と思いました(苦笑)。

あの番組で楽しむぶんには何回もやりますけど、僕があのキャラに乗っかることはないし、きょんちいとユニットライブをやるわけでもない。これだけの反響は予想していなかったけど、こういうコントもできるって思われているなら、やろうと思いました。若いときだったら制作側ができるって思ってくれていても「こっちがやりたくないので、すいません」みたいな空気を出してましたけど、できると思われたってすごいことじゃないですか。この年齢で一生懸命取り組めるようになったから、結果的にハマったのかもしれないですね。(自分たちが即興ショートコントができるとは)思ってなかったので。

──「京佳お嬢様と奥田執事」はもうボケというより状況だけですよね。

そうですね。僕はほんまに困ったらマンガの世界観をやればいいと思っていて。マンガって面白いし、人間がやったらバカバカしいじゃないですか。
きょんちいと即興で組んだときにマンガにするしかねえと思い、執事とお嬢様で行こうとなりました。

──テレビでも活躍する未来像が見えてきましたが、今後芸人として目指す場所はどこになるのでしょうか?

素人時代からテレビが好きやったんですよ。プロになってからは「漫才が面白い、舞台が好きやな」と思うようになりました。そのどちらも今は楽しいんです。テレビでうまくいかないこともあるけど、なんとか頑張って知名度を上げたい。テレビで活躍しているかまいたちさんや千鳥さんは舞台に出る前に名前を呼ばれるだけで歓声が起こる。それが理想ですね。テレビも舞台も、しばらくは二輪で走りたいと思います。

──また、書籍化をオファーされたときの率直な感想をお聞かせください。

2021年頃からnoteをずっと書いていたんですけど、THE SECONDで優勝したタイミングで「書籍化しませんか」という話があって、どうぞどうぞと快諾でした。ただ、1回目の打ち合わせでめっちゃ書かなあかんやんと気づいてしまって。追記、加筆、書き下ろしみたいな。
そのまま出せるわけじゃないんだ、と気付いたのが最初ですね。

また、2021年の自分と今の僕では変わっちゃっているので難しかったです。だから、結局ほぼ書き下ろしになっていました。

──書いていく上で言葉や表現など、気をつけていたことはありますか?

ちょっと語りすぎているところは、ボケではないですけど、少し笑えるような箇所を入れるようにしていました。

──執筆している中での苦労はありましたか?

文字数ですね。短いのもあっていいんですけど、ジョーカー的な「短い」というカードを切っちゃっている状態で、クレーンゲームというお題で2000文字は震えましたね。ないないないって(笑)。どんだけ脱線して最終着地できるかというところは苦労しました。

──「何者かになりたくて」というタイトルはどのように決まったのでしょうか?

最初は編集者さんからいただいたんですが、「メッセージ性強ない?」と思って恥ずかしかったので、それをまぶすような案を2~3個出してみたんですよ。けど、結果「何者かになりたくて」のほうが良いとなりました。タイトルだけ緩めても意味ないし、結局こういうことを言いたいんだからこれでいいやとなりました。

──最後に、どういう人に届いてほしいと思いますか?

やっぱり同世代ですかね。お仕事している人なら心当たりがあったり、40歳超えて独身だったらドンピシャかなと思います。読んでくださったスタッフさんにおっしゃっていたんですけど、頑張ろうとは思わないらしいんですよ。でも踏ん張ろうとは思うって(笑)。仕事って大抵はしんどいじゃないですか。その「しんどい」が自分だけじゃないよ、あるあるなんでみんなで割り勘したらいいよと、そういう思いが伝わるといいですね。

【後編はこちら】THE SECOND優勝・ガクテンソク奥田が語る今年の決勝「チャンピオン像が強い人が優勝できるんちゃうかな」
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