現在放送中の連続テレビ小説『おむすび』(総合・月曜~土曜8時ほか)。2月24日(月)~28日(金)放送の第21週「米田家の呪い」では、これまで幾度となく登場してきた“米田家の呪い”の事実が明らかに。
永吉(松平健)の死によって、大きな区切りを迎える一週間となった。

【写真】米田家が背負う“人助け”の運命と自己犠牲、『おむすび』21週【5点】

米田家の呪いとは、困っている人を見ると咄嗟に身体が動いてしまう“人助け癖”のこと。その発端である永吉は、トラックで全国を巡りながらその土地その土地でさまざまな人に手を差し伸べてきた。だが第103回で花(宮崎莉里沙)が「助けるってええことなのに、なんで悪い言葉なん?」と質問したように、本来良い行いである人助けがなぜ“呪い”になってしまったのか。それは、人助けによって米田家に“犠牲者”が出てしまったからではないかと考える。

米田家の呪いによる一番の犠牲者は、紛れもなく聖人(北村有起哉)だろう。永吉は、佳代(宮崎美子)が聖人のために貯金していた大学への進学費を理由も明かさず勝手に使ってしまったのだ。聖人は大学進学を諦めざるを得なくなり、糸島を飛び出して神戸へ。震災後糸島に戻ってからも、二人の仲は戻ることはなかった。

第21週では、聖人の学費が“人助け”のために使われていたことが明らかになる。岐阜の大洪水で家を流された小松原(大鶴義丹)に「息子を助けたい」と懇願された永吉は、半年後にお金を返すという約束で小松原にお金を手渡した。しかし永吉は、聖人が小松原を恨まないように「自分が使い込んだ」とウソをつき続けていたのだった。


そして第105回、永吉のおかげで命を救われた小松原の息子が永吉の通夜を訪れる。父親はお金を借りた半年後亡くなったといい「今更かもしれんけど」とお金を返しにやってきたのだ。しかし聖人は「これはご家族のために使ってください」と決して受け取らなかった。「小松原さんがね、ここに来ていただけただけで親父は喜んどると思います」と言った聖人は、穏やかな表情で「はあ~」と息を吐き、優しい笑みを浮かべた。聖人に振り掛かっていた米田家の呪いが、スッと昇華された瞬間だった。

生涯、「人助けをしてこそ」の精神を貫いた永吉。そんな父親を嫌っていた聖人自身も、呪いか運命か人助けに精を出してきた。糸島フェスティバルの実行委員を引き受けたり、震災発生後に中心メンバーとなって支援物資を振り分けたり……「親父のせいで呪われている」と葛藤していただろうが、心のどこかで父親を誇りに思っていた部分もあったかもしれない。

そして“米田家の呪い”に翻弄されていた結(橋本環奈)も、ある時「人助けは呪いではなく自分のしたいことだ」と気が付いた。それ以来結は“呪い”という言葉を使わなくなっていき、「翔也のため」「患者さんのため」と自分の意思を持って人に手を差し伸べるようになったのだ。

生前、永吉は花に“米田家の教え”として「もし困っとう人がおったら、必ず助けてやらないかんばい。自分のできる範囲でいいけん、助けてやらんと」と伝えた。
結にも「困っとう人ば助けるのに、理由やらいらんやろ」と言っていたように、永吉は損得や善悪を考えずただシンプルに困っている人がいるから助けていただけなのだ。米田家の“家訓”として自分の生き方を貫く永吉の姿は、頑固で厄介な一面もありながらとても頼もしい存在だったと思う。

結局、自分の生き方がどうだったかはこの世を去るときにしか分からない。すなわち、自分自身では答え合わせができないのだ。今回、永吉に助けられた人々が通夜に集まったことで、聖人や結、佳代は「永吉の生き方はこれでよかったのだ」とやっと肯定できただろう。全員が永吉のような生き方をできるわけではないが、多少強引でも、時には何かを犠牲にしてでも自分の運命を貫ける、そんな強さが欲しいものだと思わされた一週間だった。

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