【写真】グラビアが話題、新谷あやかさんの撮り下ろしカット【8点】
――ソフトボールとバレーは何年間していたんですか?
新谷 小学校5年生までは福岡県でソフトボールをしていたんですけど、家族の転勤で千葉県に引っ越すことになって。関東ではあまりソフトボールが盛んじゃなかったので、引っ越してからは父と母がしていたバレーを始めたんです。小学校6年生から中学3年生の4年間しかやってなかったので、期間は長くないです。でも、ソフトボール時代から肩が強かったので、最初からサーブをすごく評価してもらえました。
――バレーをやめて、芸能の道を選ばれたと。
新谷 当時は、春高バレー常連の強豪高・柏井高校からスカウトが来ていたので、バレーか芸能かですごく迷いました。でも、目立ちたがりという欲求が勝ってしまったのと、事務所に入ったらお金がもらえそうと思って、芸能の道を選んじゃいました(笑)。
――強豪高からスカウトが来ていたということは、かなりの実力だったんですね。バレー部時代の印象に残っている思い出はありますか?
新谷 県大会準決勝の23対24という場面で、プレッシャーのあまりサーブをミスって負けてしまったんです。当時は本当にしどかったですね。
――芸能活動にも影響がありましたか?
新谷 事務所に入るなり50回くらい連続でオーディションに落ちました。負けず嫌いなので本当に悔しかったです。でも、今はピンチの場面やプレッシャーのかかる大きいお仕事も、楽しめるようになりました。
――変わるきっかけがあったんですか?
新谷 相手目線で考えられるようになってから変われたんだと思います。それまでは自分の欲求を最優先していたんです。でも、自分が変われてからは「やりたいことは、後じゃなきゃできない」ということにも気づけたんです。お仕事では、やりたくないこともたくさんありますが、それが先々のやりたいことに繋がっていると考えれば楽しめるようになりました。
――大きな仕事でいうと、新谷さんはイチローさんとCMで共演されています。
新谷 21歳のときですね。あの撮影で初めて硬式ボールに触れたんですが、イチローさんが投げてくださったボールで人生初のレフトオーバーが打てたんです。人間って、普段は脳の3%しか使っていないと言われますが、超一流の方は、相手のポテンシャルをMAXに近いところまで引き出してくださるんだなって実感しました。
――撮影前後で印象に残っていることはありますか?
新谷 自主練に呼んでいただいて、キャッチボールをさせていただきました。大人になってから初めてのキャッチボールだったんですが、1球目から鋭い球を投げてくださったんです。最初は女の子扱いというか、優しい球を投げてくださるんじゃないかと思っていたんです。でも、対等な土俵に立たせてくださって、徐々に距離を取って、最終的には4、50mのキャッチボールをしました。イチローさんのボールは、えげつないぐらいのレーザービームで(笑)。今考えると、よく捕れたなと思うのですが、その時は、自分から異常な覇気が出ていて、球がよく見えたし捕れました。
――すごいですね。
新谷 周りの人たちもびっくりしていました(笑)。あの40分間は、誰にも話したくないぐらい嬉しい経験だったので、家族にすら話すのをためらいました。当時、硬式用のグローブを持っていなくて、イチローさんがくださったんですが、ずっと家宝にしています。
――贅沢な経験ですね。
新谷 人生で時々「間違った方向に進んじゃってないかな」と不安になることもあるんですど、その度にあのキャッチボールを思い出すんです。イチローさんが同じ土俵に立たせてくださったことを思い出すと、「間違っていない」って自信を持てるんです。あのときのキャッチボールで本当に人生が救われたし、私の人生の指針になっているので、一方的に超リスペクトしています。
▽新谷あやか(しんや・あやか)
1994年11月1日生まれ。福岡県出身。小学生のときは福岡で過ごしソフトボールに熱中。家族の転勤により小学6年生からは千葉県に移り住み、中学はバレーボール部に所属。春高バレーの観戦帰りにスカウトを受け、14歳から芸能活動をスタート。2016年にCMでイチローと共演したことで野球に目覚める。2021年10月からはTikTokユニット・ばりやわとんこつを結成。2023年6月に『週プレ』で初グラビアを披露。30代になった今は、グラビアで新しい表現を模索中。
▽公式X
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▽公式Instagram
https://www.instagram.com/shinya.ayaka/?hl=ja
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