タレントの勝俣州和が5月23日に更新したYouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」に、ピンク・レディーの「ケイ」こと増田恵子がゲスト出演。昭和を代表する国民的アイドルとなるまでの苦悩や知られざる黒歴史を明かした。


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高校時代、増田と相方の「ミイ」こと根本美鶴代(現:未唯mie)は、ヤマハ主催のオーディションで優勝を重ね、着実にステップを踏んでいた。しかし、肝心のデビューが決まらないまま高校3年に突入。「このままでは終わってしまう」と焦りを募らせた2人は、ヤマハから禁止されていたのを承知で別のオーディション番組「君こそスターだ!」に出場。ところが、結果は惨敗。「生意気」「新鮮味がない」という理由で落選してしまった。

この失敗が彼女たちの“腹黒戦略”を加速させる。次なる舞台「スター誕生!」では、前回の反省を徹底的に分析し、「ミニスカートダメ。生意気ダメ。 おどおどして田舎臭さを出す。手首から先と首から上以外は出さない。しゃべるとちょっと訛りが出るみたいな」と、いかに“素人らしさ”を演出するかを戦略的に練ったという。

「ピンク・レディーが『スター誕生!』に出演した際の映像は今でもYouTubeなどで確認できます。
それを見ると、2人は白いオーバーオールを着て、いかにも『素朴な女の子』という感じ。結果、8つのレコード会社からプラカードが上がりましたが、そんな清純っぽさが“戦略”だったのは驚きでしたね」(音楽ライター)
 
キャラ作りに成功した2人は見事にビクターでデビューの切符をつかむが、その後に待ち受けていたのはさらなる“戸惑い”だった。

増田によれば、実は当初の芸名は「ちゃっきり娘」「みかん箱」「白い風船」の3択。結局。同じレコード会社の浅田美代子のデビュー曲が「赤い風船」だったことから「白い風船」でフォーク調の曲が用意されたといい、増田は「正直、ビクターが本気で売る気なかったんだと思った」と、当時の心境を吐露している。
 
ソールフルな曲を希望していた増田は絶望するが、突如として提示されたのが「ピンク・レディー」という名前。カクテルの名前を由来とし、「2つの個性が1つになって初めて“ピンク・レディー”ができあがる」という意味から「ピンク・レデース」と複数形にならなかったのだとか。
 
デビュー曲「ペッパー警部」を聞いた増田は「チャッチャッチャラチャラチャーってあのイントロを聞いて、思わず泣いちゃったの」と感動したことを述懐した。

結果、「ペッパー警部」は60万枚の大ヒットとなり、その後、2人は昭和を代表するスーパーアイドルとして華やかな舞台に立ち続ける――。もし、「白い風船」でデビューしていたら、あの伝説は生まれていなかったのかもしれない。

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