かつて週刊プロレスの記者として活躍し、"活字プロレス"文化の一翼を担った小島和宏氏は現在、アイドルやお笑い、特撮などエンターテイメントの各分野で編集者・ライターとして活動している。なかでも、ももいろクローバーZに関しては公式パンフレットの執筆を手掛けるほか、『ももクロ活字録』などの著書も持つなど、運営サイドとモノノフの両方から信頼を得る番記者的な存在だ。
 いまや"活字アイドル"分野の先駆者として様々な記事を執筆する小島氏が著した『3.11とアイドル アイドルと被災地、ふたつの「現場」で目撃した1096日間の「現実」』(以下、3.11とアイドル)は、東日本大震災とアイドルの関係と現状を、小島氏の視点から解き明かしたルポルタージュである。ただ、震災とアイドルを大局的な視点から俯瞰するような、純然たるルポではない。なぜならひとつには小島氏自身がアイドル分野のインサイダーであり、そしてなにより、小島氏が東日本大震災被災者の家族だからである。  エンタメNEXTでは今回、「3.11とアイドル」の著者である小島氏にインタビュー。本書に込めた思いや、小島氏自身のアイドル取材の現状などを聞いてみた。 ――本書では3.11とアイドルの関係を説明するにあたって、AKBグループ、ももクロ、あまちゃんの話が出てきます。その他のアイドルを挙げなかったのはなぜでしょうか? 小島 端的に言って、僕が追いかけていないからです。付け焼き刃で書くのはどうかなという気持ちがありました。基本的に、現場などに行っていないものに関しては偉そうなことは言えないので、アイドル取材全般についてもお話が来てもお断りしているんです。 ――たしかにアイドルは、流れを見ていないとわからない部分が多い分野です。 小島 だから、ずっと見ている人が書いたほうが、そのアイドルのためにもなると思います。それに実際、ももクロとAKB48を追っていたら手一杯ですよ(苦笑)。
AKB48は週末に握手会が多くて、その他のコンサートをほとんどやらないので、そこにももクロのライブなどが入ってきてちょうどバランスがいいんです。ここ2年ほど、大きなイベントが被ったことって一度もないんですよ。  だから今はなんとか両方を追えているんですが、これにもう一つ二つ足しちゃうと、もうダメですね。エビ中とかしゃちほこにもよく誘っていただきますし、特にしゃちほこは1回見たらハマる気がして、これ以上ハマったらもう……、これ以上好きにさせないでくれ!っていう(笑)。 ――実に悩ましい悩みですね(笑)。そんなアイドルに小島さんは救われたと、本書では明かしています。 小島 震災があって、相当ヘコんでいた部分が救われたところはあります。現場に行ったら何もかも忘れられますから。それに、次のイベントが決まると、そこまで生きてなくちゃ!って気分になるし、未来を提示してくれるので、追えたんだなって思います。  自分ではあんまり分からなかったんですが、震災のあった2011年は精神状態が相当ヤバかったんだと思います。震災とは関係ないんですけどウチの親父も亡くなったりして、それまで親戚の葬式すらなかったのに、急にその年にいろんな事が重なっちゃって……。親父がももクロのZepp東京(2011年12月3日)の翌日に倒れたりと、すごくいろいろあった年だったんですが、ももクロの快進撃と重なっていたんです。
「次はよみうりランド、次はスーパーアリーナ」っていう感じで、明日どうなるのかもわからないなか先を見れたというか、いい塩梅にももクロの戦略に救われたのを感じますね。 ――本書でも指摘されていますが、震災とアイドルブームを結びつけて考える人が意外と多いことに驚きました。 小島 実は、そういう記事を書いてほしいという依頼が結構多いんです。僕らからすると、「震災前からアイドルブームはあったじゃん!」って感じなんですけど、外から見ている人からすると、「暗い世相、暗い闇を明るさで救ったからアイドルブームが!」みたいな受け止め方で、だから、そういう意味ではまだアイドルというものが世間には届いてなかったのかな、と思ったりもします。  AKBが当たり前のようにCDを100万枚以上売っていて、ブームに乗って他のアイドルたちもどんどん出てきていてっていう時期だったわけですが、もっと外側の世間から見ると、震災があって、そのあとにアイドルたちが世に出てきたという風に関連付けちゃうものなのかなって思いますね。  小島氏の自宅には震災後、妻の両親が移り住んできた。原発が庭から見えるような土地に住む義理の両親は、とるものもとりあえず、慣れ親しんだ場所を離れて小島氏の家に身を寄せたのである。これにより小島氏自身が原発事故の当事者になったのだ。  それゆえ小島氏の視点は常に、被災地を向いている。震災から3年が経った今、復興はどのように進んでいるのか、もしくは進んでいないのか。震災や原発事故を取り巻く報道はどのように変わっていったか。そして、復興をテーマにアイドルたちがどんな活動を行なっているのか。
小島氏はそれらをすべて、現在進行形として直視し続けている。  本書ではNHK連続テレビ小説の『あまちゃん』(これも立派なアイドルだ)、AKB48グループ、そしてももいろクローバーZを取り上げて、アイドルと震災復興の関わりを紐解いている。そこを糸口に、今後の震災復興における展望と課題をあぶりだす。なかでも象徴的なのは第4章に挙げられた「2020年という時限爆弾」だ。  2020年、すなわち東京五輪は、日本全体が震災復興を含めた大規模なインフラ整備の目標としているタイムリミットである。そこまでは様々な事柄が急ピッチに進むはずだが、小島氏は具体的な年限が決まっていることへの危機感を隠さない。2021年以降、震災復興はどうなってしまうのか。被災者の心に潜むそんな危機感を、小島氏は警鐘をもって提示する。  いっぽうで、アイドル分野に目を向けることも忘れない。現在のアイドルブームを支えているメンバーたちにとって、2020年は遠い未来である。震災復興にとってはたった6年後だが、まだ十代のアイドルたちにとっては想像もつかない未来だろう。その時、このアイドル人気は果たしてまだ続いているのだろうか。
元気の塊のようなももクロでさえ、6年後には全員20代になっているのだ。  そんな未来図を、小島氏は3月15日、16日に開催されたももクロの国立競技場ライブを観ながら夢想していたのだという。今年中に解体が始まる国立競技場は、東京五輪に向けて建て替えられ、2019年に再オープンする予定。東京五輪後にはおそらく、再びアイドルのライブにも貸し出されることだろう。そのステージに再びももクロが立つことがあれば、それは間違いなくアイドル界にとって象徴的な出来事になるはずだ。  もちろんどんな分野にも浮き沈みはあり、ブームの波がある。ももクロが6年後に国立競技場でライブができたとしても、それがアイドル界全体の隆盛を示すとは限らない。だが、小島氏を含めてアイドルに関わる者には、確信とも言えるこんな思いがあるはずだ。"アイドルという「文化」は不朽である"(本書P160)。震災にあたって、なにかしらのパワーをアイドルからもらうことができた人の心には、朽ちることなくアイドルという存在が刻み込まれているのかもしれない。 ――世間という意味で言うと、この本は読む人の立ち位置によって、読まれ方が大きく変わってくるように感じます。たとえば被災地に近い場所に住んでいるか、遠い場所なのかという違いもそうです。
場所によって届き方の違いがあるなか、アイドルというフックがあると伝わりやすいのかもしれないと感じました。 小島 2011年から今年にかけて東北の色々な場所に行かせてもらったんですが、首長さんとか地元の方たちの話を聞いていると、自分にもできることはないかと思ったんです。実は僕自身、エンターテイメントの仕事に関わってることにちょっと引け目を感じていたりしました。  でも、地元の方たちからは、「私たちには娯楽も何もないから是非イベントをやってください」とか、「東京の経済が盛り上がらないとこっちにもお金が回ってこないから自粛とか不謹慎とかやめてくださいよ」って言われるんですね。そしてなにより、忘れられてしまうのが怖い、と。 ――そこはとても大きいポイントですね。 小島 阪神大震災のときはわりと都市部の復興が目に見えやすかったんですが、今回はいつどうなるかわからないくらいの規模なんです。海沿いに住む方々には、新たな天災が起きたら忘れられてしまう、という危機感さえあります。そういう意味でも、今回のような本を出すのは本当にありがたいとおっしゃっていただけて、僕自身も今後、定期的に書き続きたいと思っています。  そんな話もあって積極的に被災地をあちこち回っているんですけど、まだみんな仮設住宅だし、対策工事もいつになるかわからないし、いつまで経っても宙ぶらりんな感じで…。この無力感は今まで味わった事がないですね。 ――やはり発信し続けていくことが大事なんですね。
AKBの被災地訪問もまさにそのひとつです。 小島 AKBは今でも毎月欠かさずに行ってます。学生だったり、SKE、NMB、HKTなどの場所も関係なくメンバーを連れて行っているのは素晴らしいことだと思います。被災地でのライブも、以前は避難所だった体育館で行なったりしていて、そこに子供たちがAKBを観るために戻ってくる。子供がこの土地になんの夢もないと思ったら、いずれ出て行ってしまいますから。せっかく復興で街がキレイになっても、子供が誰もいなくなったら意味がないので。 ――どのアイドルグループもやるべきというのは難しいですが、被災地の風景、瓦礫や匂いとか……それらを彼女たちが自分の目で見るだけでもすごく意味はあると思います。 小島 小学校に線量計が置いてあるのを見ちゃうと、なんだか切なくなってきてしまいますよね。僕が生きているあいだに復興が終わるのかっていう状況ですから。 ――本書で「アイドルに復興を背負わせてもいけない」と書いてあったことにとても共感を覚えましたが、一方で、アイドルだからこそできることもあると、すごく思えました。 小島 AKBやももクロが近所に来るのって、子供たちにとってスゴいことだと思うんですよ。大人にとっても、彼女たちが紅白に出ているので知ってくださっていて、町ぐるみで歓迎してくれて。そう考えると、知名度ってほんとに大事だなって思います。 ――2020年という時限爆弾を問題提起されていますが、それまでの間、3.11とアイドルを取り巻く環境は変わっていくかも知れません。 小島 先ほどの「アイドルに復興を背負わせてもいけない」にも関連しますが、発信すべき人間が発信していく重要性は大きいと思います。僕自身、家族が被災したという部分で言えることがあったりするので、僕なりに発信し続けていくことが今後もできればと思っています。  今回のインタビューで、小島氏はももクロのエピソードをいくつか明かしてくれた。ひとつはももクロが3月29日に福島県の小学校でライブを行なったというものだ。同ライブは外部には完全シークレットで行なわれ、マスコミへの告知は一切行われていない。  このライブは、2月に単独で同小学校を訪れた高城れにが、「メンバーのみんなを連れて、また、帰ってくるね」と約束したことから実現したもの。さらにライブにとどまらず、高城が2月の訪問時に子供たちから預かった絵を、3月15日、16日の国立競技場ライブにてステージの一部に飾ったのだ。それらの絵は小学校ライブの日、子供たちの手に戻って来た。自分の描いた絵が人気アイドルのライブステージを飾った。この事実は子供たちにとってどんなに誇らしげなことだろうか。  こういった活動が、被災地の子供たちの心にひとつひとつ、希望の灯を輝かせていくかもしれない。今日もどこかで、アイドルに希望をもらう子供たちがいるかもしれないのである。  もうひとつのエピソードは、小島氏がももクロの記事を書くようになったキッカケだ。その根底は週刊プロレスにあるという。プロレスファンとアイドルファンがわりとリンクしているのは知られた話だし、ももクロに昭和プロレスをオマージュしたネタが多いことも周知の話。それはもちろん、ももクロの運営サイドが大のプロレスファンだからである。  小島氏は当初、仕事としてももクロに関わっていたわけではなく、あくまでいちファンとして現場に出没していた。それがある日、運営サイドから「週プロの小島さんですよね?」と声を掛けられ、いつしか「よかったら何か書いてもらえないですか」と話が進んでいったのだという。  昭和プロレスのファンなら、週プロの記者(ときにはカメラマンさえも)が、名前の立った書き手であったことを覚えているだろう。それゆえ、小島氏の書き手としての力量は多くのファンが知るところであったし、なによりプロレス的な展開を持ち込んだももクロにとっては、小島氏による"活字アイドル"は望むところであったはず。この出会いが、アイドルメディアの世界に新たな表現方法を持ち込んだことは、幸せな偶然だったのではないだろうか。
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