「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」(2004年アテネオリンピック)、「トリノのオリンピックの女神は荒川静香にキスをしました!」(2006年トリノオリンピック)など、数々の名実況を残し、今年4月のNHK退職後はスポーツのレガシー創りに携わっている刈屋富士雄氏。あの名フレーズはいかにして生まれたのか。
また、長らくスポーツ中継の第一線で活躍してきた刈屋氏が考えるスポーツ実況のあり方とは…。

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──数々の名実況で知られる刈屋さんですが、本の中では「あらかじめフレーズを決めているわけではない」と書かれています。ただ同時に「“こうなった場合、こう話そう”などと事前にシミュレーションをする」という記述もある。この2つは矛盾しないんですか?

刈屋 そこは矛盾しません。「こうなったら、こうなる」みたいなパターンは資料を作っている段階で無数に考えますよ。そのときに当てはまる言葉が浮かぶこともあるけど、それをそのまま使うなんてことはまずないですね。といのも、オリンピックに代表されるスポーツ会場というのは、雰囲気が通常とは全然違っているわけです。そんな中で事前に考えた言葉を口にしても、まったく視聴者にも伝わらない。自分でも言っていて恥ずかしくなってしまう。その場の空気に乗らないというか、映像に乗らないわけです。一番大切なことは伝わるかどうかです。

──ライブ感が大事ということですかね。


刈屋 「〇年ぶり×回目の出場」「△回目の優勝」……こういったフレーズは事前に準備することができます。実況として確実に知っておかなくてはいけない情報ですしね。だけど、その場で思わず発する言葉というのは、結局のところ、その場でしか浮かんでこないんです。

──意外です。たとえば有名な「トリノの女神は荒川静香にキスをした」という文学的なフレーズなんて、とっさにアドリブで出るはずないと考えていました。

刈屋 あれに関しては、私の実況の中でも例外中の例外で、ニュアンスを込めたかったので、事前に考えていました。丸1日ずっと考えに考え抜き、荒川選手が金メダルを獲った場合だけ、ああいうふうに言おうと決めたんです。

──では、もし荒川選手が銀で終わっていたら何を言うつもりだったんですか?

刈屋 何も決めていない(笑)。銀バージョンも銅バージョンも全く考えていませんでした。金バージョンだけ決めていた。なぜかというと、あの日は朝の練習を見た時点で荒川選手が金を獲ると確信したからです。それくらい調子がよかったんですよ。
「これは金を獲るな。荒川静香が金を獲るというのは、一体どういうことなのか?」という発想で朝からずっと考えていたんです。

 まず前提として、荒川選手の世代にミシェル・クワンとイリーナ・スルツカヤという2大スターがいた。そのうちの一人ミシェル・クワンが大会直前に引退し、代わりにアメリカの金メダル候補としてサーシャ・コーエンが注目されていた。だから下馬評は、スルツカヤとコーエンが金メダルを争い、荒川選手が最高の力を出せたとしても、3位止まりじゃないかというのが一般的な見方だったんです。そういう前提があったうえで金メダルを獲るということは、伝え方もおのずと変わってくる。

──ただ、真剣勝負の世界に「絶対」はないですよね。

刈屋 そうなんですよ。そのときに頭に浮かんだのは長野五輪で実況したとき、絶対に金を獲ると言われていたミシェル・クワンがタラ・リピンスキーという新星に敗れたシーン。それからソルトレイクのときも「転んだとしても金メダル」と言われていたスルツカヤがサラ・ヒューズに負けた。もしオリンピックのフィギュアに女神がいるとしたら、彼女は相当な気まぐれなんでしょうね。そのとき、その瞬間に最高だと思った選手にしか金メダルを与えない。
そういったイマジネーションが僕の頭の中でどんどん広がっていったんです。

──本番前から刈屋さんの中でドラマが出来上がっていた(笑)。

刈屋 「荒川選手が勝ちました。金メダルです」と事実だけを口にしても、何も伝わりませんからね。そのへんは日本のフィギュアファンの特徴も頭に入れました。日本のファンはフィギュアという競技を愛しているんですよ。「荒川静香が勝てばそれでOK」なんて考えていない。コーエンやスルツカヤも荒川選手と同様にリスペクトしているんです。だからみんなのパーフェクトな作品を見たい、その上で荒川さんが勝ってくれればという見方をするんですよ。ですから私も「4年に一回の今日に限っては、荒川選手が勝利の女神に選ばれましたよ。」って、そして同時に荒川選手のライバルたちへの敬意もニュアンスとして込められないかと、しかも短いコメントで。

 仮にあそこで「やりました、スルツカヤが転びました! これで荒川選手のメダルが近づきました!」みたいなことを口にしたら、袋叩きにされていたでしょうね。「なんという品のない実況をするんだ!」ということで。
やっぱり日本は武士の時代から「やぁやぁ我こそは」なんて名乗りあい、戦いながらも相手に敬意を払う文化があるから、勝てばなんでもいいという発想にはなりづらいと私は感じているんですよ。

──そんな深い経緯があって、あの名実況が生まれたんですね。

刈屋 正直言うと、あの実況はほとんどの人には伝わらなかったと思う(笑)。だけど、コアなフィギュアのファンからは好評だったんです。短い時間の中で今言ったようなことを伝えるのは不可能だし、たしかにバックグラウンドを知らないと唐突に感じますよね。

──実況する際、心がけていることはありますか?

刈屋 そこで何が起こっているか? その事実をわかりやすく伝えよう。それだけはいつも考えています。

──目の前の事実を伝えるというのは、たとえば「ゼッケン2番よりも3番のほうが速いです」「ようやく点数が追いつきました」みたいなことですか?

刈屋 そんなものは「実況」とは呼べません。単なる「説明」です。何も視聴者に伝わらない。そこで起こっていることの本質を何も語っていないですから。ここに来るまでのドラマ、人間的な背景、この勝利の価値……そういったことに触れなくては実況じゃない。


──そのへんは実況する人によって力点が変わってくると思うんです。知識を羅列していくタイプもいれば、「すごい!」「やった!」みたいなことばかり言って情緒に訴える人もいますし。

刈屋 世の中にあまた実況アナウンサーがいますけど、私と同じような考え方をするタイプは少ないと思う。実況するときは「自分が仕切りたい」「自分が語りたい」と考える人もいるだろうし、サービス精神ゆえにデータを饒舌に話していく人もいるでしょう。でも、私はそうではなかったと思っています。特にテレビの実況に関しては、画面を見ればわかることをわざわざ口にしなくてもいいと考えているんです。そうなると大事なのは「目の前で起こっていることの本質は何か?」という価値判断を常に考えることです。

──実況のやり方によって、だいぶ試合の印象って左右されると思うんです。特にフィギュアなどの採点競技は顕著ですが。

刈屋 でも、今はそういう視聴者も減っていると思いますよ。特に野球などは見る側も情報を相当たくさん持っていますし。私は高校野球の実況の時などは、データよりも選手がグラウンドに上がったときの特徴を伝えるんです。
バットが振れているか? 球が走っているか? 表情はどうなのか? そういう特徴を瞬時に掴むことができない人は、残念ながら実況アナウンサーに向いていないでしょうね。

 結局、今はインターネットの時代ですから。情報はファンのほうが握っていたりする。調べようと思ったら、いくらでも掘り下げることができますし。ネットにはないナマの見方ができるかどうかが伝え手の生命線だと私は思う。

──オリンピックなどでは局をまたいで放送することになります。他局のアナウンサーを意識することもありますか?

刈屋 まったくしません。民放とNHKでは考え方が違いますから。民放の場合、「ソフトとしてどういう価値を持たせるのか」という角度でコメントをするケースが多々あります。アナウンサー個人の考えというよりは、局の方針やプロデューサーの考え方が優先されることが多いはずです。1人の選手を大きく取り上げたり、その選手のストーリー性にフォーカスしたりするのはそのためでしょう。目の前で繰り広げられている勝負論とは別の価値基準を時として求められるわけです。別にそれは悪いことではありません。これに対してNHKはスポーツ中継を報道だと捉えている。報道にふさわしいコメントをしなくてはいけない。

──お言葉ですが刈屋さんの実況は情感がこもっていて、報道とはかけ離れている印象もあります。

刈屋 その印象、間違えていないですよ。私はNHKのアナウンサーの中では邪道と言われてきましたから(笑)。もっとも王道と自分で言っているアナウンサーがどんな中継をしているかというと、見ればわかることをしゃべっているだけ。「事実だけを伝える」って口にするのは簡単ですけど、その事実をどういう言葉で伝えるのか? どんな事実を切り取って伝えるのか?その言葉をどのタイミングで言うのか? やっぱりそこはしっかり向き合って考えるべきなんです。

「報道だから、事実だけを伝える」という言葉を真に受けた若いアナウンサーたちは、テレビなのに見ればわかることばかり口にするようになっています。僕も若い頃は先輩アナウンサーから「事実だけを伝えろ」って指導を受けたんですよ。その場では「わかりました」ってかしこまっていたけど、心の中では「じゃあ、やって見せてくださいよ」と思っていた(笑)。

──サラリーマンとしては、いささか反抗的ですね(笑)。ではNHK時代、後輩アナウンサーからアドバイスを求められたら何を教えていました?

刈屋 やっぱり一番大事なのは「価値判断」そして「言葉の選択とタイミング」。その感覚を磨くのは「何を見るか?」ということなんです。要は視点の問題ですよね。視点を養うためには、数多く試合や練習を見ることが必要。だから、まずはとにかくたくさん見ることをアドバイスしました。

 アナウンサーという職業の中で最後まで残るのはスポーツ実況だと私は考えているんです。今後はAIがニュース原稿を読むケースも増えるでしょうし、ナレーションなどはすでに声優や役者が担うようになっている。番組の司会者だってタレントや芸人がメインになっていますしね。ところがスポーツアナウンサーだけは、専門的な知識が求められるうえにトレーニングも必要なんです。

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▽『今こそ栄光への架け橋を それでもオリンピックは素晴らしい!』
揺れ動く2020東京大会―。それでも見たい未来のために。五輪屈指の名言を生んだアナウンサー、初の著書。取材現場の裏話や名ゼリフ、実況秘話とともにオリンピックへの熱い思いを綴ったエッセイ!
著者:刈屋富士雄
発行元:海竜社
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