今年9周年を迎えるHKT48。秋には新劇場のオープンも控え、HKT48はどう動き出しているのか…ドキュメンタリー形式で綴る短期集中連載がスタート。
長年グループの活動を追い続けてきた元『週刊プロレス』記者で、『活字アイドル論』『ももクロ独創録』など多くの著書を持つ小島和宏氏がメンバーへの徹底取材を行い、HKT48の「今」に迫る。第8回目は、シングル曲『最高かよ』などでセンターを務めるHKT48の顔、松岡はなが登場。今年は20歳になった節目の年、新たなる“覚悟”を語る。(毎週土曜日午前7時公開)

※第7回<そして未来へ…HKT48の次世代エース石橋颯&上島楓が盟友・工藤陽香の卒業を語る>はこちらから。

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ついに『西日本シティ銀行 HKT48劇場』のオープン日が11月2日(月)と正式に発表された。

劇場オープンまでのカウントダウン的な意味合いも含めてスタートしたこの連載も、そのオープン日に合わせて10月31日更新分まで延長させていただくこととなった。

ここまで1期生から5期研究生まで、すべての期のメンバーから話を聴いてきたが、実はまだ取材しなくてはいけない「期」がある。

それはドラフト2期生、ドラフト3期生だ。

AKB48グループにあまり興味がない方は「ドラフト?」と疑問を抱くかもしれないが、48グループでは2013年から2018年にかけて3回に渡ってドラフト会議を開催してきた。 

基本的にはプロ野球のドラフト会議と同じ仕組みだ。ドラフトの対象になるのはオーディションを勝ち抜いてきた候補者たち。その中から各チーム(グループではなくチーム単位での参加)がいま、そして近未来に必要な人材を指名。
もし指名が重なった場合は抽選により交渉権を決める。

子供のころからプロ野球を見て育ってきた世代にとっては、ドラフト1位で指名された選手がニュースターとして開幕から活躍し、新人王を経て、スーパースターに成長していくドラマを何例も見てきているので、アイドルの世界にこのシステムが導入されることに、あまり抵抗はなかった。ニューヒロインが生まれることで、グループ全体が活性化するのであれば面白いことになる。

そして、そのドラフトの特性をもっとも上手に使いこなしたのがHKT48である。

第2回のドラフト会議でチームHが1位指名した松岡はなは、翌年発売のシングルで早くも初選抜入り。さらに次のシングル『最高かよ』ではセンターに就任。1位指名からわずか1年2か月目の出来事だった(HKT48ではドラフト2期生は、キャリア的に3期生と4期生のあいだに位置するが、3期生のなこみくよりも早くセンターの座に就いた)。

「当時は『なんで私なんだろう?』って戸惑いました。ドラフト2期生では他の2人(村川緋杏、今村麻莉愛)のほうが、すごく個性があるじゃないですか?」

そう語る松岡はなだが、そのとき筆者はあることを思い出していた。

彼女が初のセンターに選ばれたとき、宮脇咲良から意見を求められた。「はなのセンター、どう思いますか?」と。

正直な話、ドラフト1位の子が超速でセンターに立つことは大賛成だ。
しかし、まだ松岡はなのパーソナルな部分をよく知らなかったので「まだピンと来ていない」と答えた。すると宮脇咲良は「じゃあ、一度、劇場公演を見てくださいよ。一瞬でピンと来ますから!」。

ほどなくして西鉄ホールでの公演を見た。

たしかに開演から5分と経たずにピンときた。

圧倒的な笑顔と客席まで届くオーラ……これはセンターの器である。

それと同時に劇場公演が頻繁に行われていることのありがたさを知った。もし、劇場公演がなかったら、宮脇咲良から「見てください」と言われても、次のコンサートまで待たなくてはならない。もし、数か月、コンサートがなかったらピンと来るチャンスすらなかった。だからこそ新劇場オープンは、ものすごく大切なことであり、HKT48の若いメンバーにとってはとてつもないチャンスが転がっていることになる。

「いまもそうですけど、私は公演やコンサートが楽しくて仕方がないから笑っちゃっているだけなんですけどね、エヘヘヘ」

屈託のない笑顔を浮かべる松岡はなだが、今年の上半期は笑えない日々を送っていた。

「私、今年で20歳なんですよ。
2020年で20歳。よーし、今年はがんばるぞーっ!と思っていたところにコロナショックが来て、なんにもできなくなってしまった。

そんなに焦りはなかったですね。私だけがこういう思いをしているんじゃなくて、世界中がそうだったわけじゃないですか? 自分ひとりだったら、さすがにしょんぼりしていたと思いますけど、みんなそうだからしょうがないなって。もう『これも人生だ』って。

それでもしばらくしたら『私は今、なにをしているんだろう』って気持ちになっちゃいましたね」

20歳の社会人、職業はアイドル。
 
しかし、歌うことも踊ることもできない日々だけが過ぎていく。
 
たしかに「なにをしているんだろう」という気持ちになっても仕方がない。

「もう公演がしたくて体がうずうずしはじめたんですよ。やっぱり劇場公演って楽しいんですよね、すごく。どうすることもできないので家で踊ったりしてましたね、アハハハ!

あとは同期の存在が大きかったです。私、ひとり暮らしだし、実家に帰れなかったから、寂しかったんですけど、同期(村川緋杏・今村麻莉愛)とテレビ電話で話しながら『みんなで会えるようなったら、なにをしようか?』って、もう自分たちで楽しみなことを作るようにしてました。
ふたりとも優しいし、本当になんでも言い合える存在なので助かりましたね」

体がうずうずするほど楽しみにしていた劇場公演がいよいよ戻ってくる。

いずれはコンサートも開催されるようになるだろうが、そこで松岡はなに注目してもらいたいことがある。

昨年までコンサートで「2階席、盛りあがってるか!」「上のほうもステージから見えてますよー!」と煽り、場内を一体化させるのは指原莉乃の役割だった。

そして指原が卒業するとき、煽りを伝承していったのが松岡はなだった。

「博多での感謝祭の前日ですね。リハーサルをしているときに、さっしーさんが『私、明日から煽らないから』って。『これからもずっとやってね』って私に突然、言ってきたんですよ。どうしよう?って思ったけれど、やるしかないじゃないですか。ところが当日のリハーサルでボロボロになっちゃって……声の出し方もわからないし、なにを言っていいのかもわからなくなってくる。さっしーさんがアドバイスしてくださったんですけど、どうにもならなかったんですよ。
 
それで私が本番前なのに、すごく泣いちゃって。そんな私に気づいてくれてさっしーさんが開演ギリギリまでステージ裏でつきっきりで練習してくれて。
いつのまにか同期の麻莉愛と緋杏も私の横にぴったりとついてくれていて、4人でずっと練習していましたね。当日はもう緊張しかなかったですけど、ツアーをやっていくうちにいい感じになってきました。それっきりコンサートができないでいるんですけど……」
 
これまでは「できないこと」が多かったが、これからは「できるようになったこと」が増えていく。
 
そして劇場オープンを待つ間にも、いままでにはなかった流れができていった。

「やっぱり大きいのは『HKT48 THE LIVE』(歌声だけで聴かせる配信ライブ)ですね。めちゃくちゃ緊張するんですよ、あれって。自分が歌う5秒前なんて、もう自分の心臓の鼓動がみなさんにも聴こえちゃっているんじゃないかっていうぐらいバクバクしていて。でも、そのおかげで緊張に打ち克つ力を身につけられたんじゃないかなって思います。
 
あと地元でのお仕事が増えましたよね。もっともっと、たくさんの福岡の方にHKT48のことを知ってもらって『福岡の顔』になりたいです!」

新劇場のオープンまで10日を切った。松岡はなの「2020年で20歳」イヤーはまだ2か月も残っている。活躍の場を得た彼女に注目してみたい。


(つづく)

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