1月20日(水)に受賞作の発表を予定している第164回芥川賞。その候補作の中でも、SNSを中心に大きな話題を呼んでいるのが21歳の女性作家・宇佐見りんさんが書いた『推し、燃ゆ』(河出書房新社)だ。


男性アイドルを推す女子高生を主人公にした小説。果たしてアイドルを“推す”とは実際のところどういう行為なのか? アイドルファン以外には分かるようで分かりづらい“推す”の意味について、アイドル番組などで放送作家を務める筆者が、『推し、燃ゆ』を読んで考えてみた。

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あなたは「アイドル界隈をテーマにした小説」というと、何を思い浮かべますか? 『武道館』(朝井リョウ/文藝春秋)、『トラペジウム』(高山一実/KADOKAWA)あたりでしょうか。今回取り上げるのはそのどちらでもなく、ここ半年、大きな話題となっていた『推し、燃ゆ』(宇佐見りん/河出書房新社)です。

主人公はアイドル…ではなく、1人の男性アイドルを“推す”女子高生あかり。ある日“推し”が、ファンを殴ってまさかの炎上! それによって揺らぎ出す、彼女の日々が描かれています。

これまであまり言葉で表現されてこなかった“推す”という行動の裏にある複雑な心情を紡ぎだした秀作で、「第164回芥川賞」候補作です。ちなみに作者の宇佐見りんさんは21歳。2019年に小説『かか』で、「第56回文藝賞」を受賞しデビューすると、さらに同作で「三島賞」を史上最年少で受賞するなど、いま最も注目される女性作家の1人です。

作品のタイトルにもなっている、“推す”というワード自体は、この数年で世間に浸透しましたが、“推す”理由については、理解されていなかったり、どこか間違って伝わっていると感じることがよくあります。ここではそんな、意外と知られていない“推す”という行動の意味を、『推し、燃ゆ』の主人公を紐解きながら、紹介させてもらいたいと思います。

“推す”ことを小馬鹿にする人は、よく「“推す”=現実逃避」だと言いますが、これは違います。
主人公あかりは特に、逃避していると勘違いされやすい典型的なタイプ。勉強は出来ず留年ぎりぎり、バイトでは当たり前のことが出来ずクビ寸前、部屋はぐちゃぐちゃで、最低限の身だしなみを整えるのもままならない。

そして、そんな何も出来ない自分を自ら嫌う一方で、“推し”が出るテレビやラジオはくまなくチェックし、舞台やライブ、グッズ代にはなけなしのお金をすべて注ぎ込み、部屋の中心には「祭壇」と呼ぶスペースがあって、“推し”の写真やグッズを丁寧に並べています。

さらには、“推し”のメディアでの発言や行動をつぶさに記録して、思考や人間性を「解釈」することに全力を注ぐという“推し”具合。作中でも、周りの人たちは「現実逃避」だと非難しますが、実は…むしろ真逆です。

彼女は生きる上での目的を、周りが言う「現実」の中に見つけられていません。その代わりに、唯一まともに出来る、楽しさを感じられる“推す”ことを、目的として考えていて、同時に精神的な柱にしています。

そしてそれがあるから、どうしても避けられないバイトや日常の出来事などの「現実」に直面したとき、「“推し”続けるために仕方ないこと」「乗り切ればまた“推せる”から」と、何とか頑張れているのです。

そう、彼女にとって“推す”ことは、一言でいえば「現実と向き合うための術」。それを「現実逃避」とやめさせしまうのは、ぎりぎり残っていた「現実」へのエネルギーを、奪ってしまうこと…。

ここまで読んで「小説の中のデフォルメした話だよ」と感じている方もいるかもしれません。でも実際、似たような心情で“推し”ている人達は、かなりの数にのぼります。
私の友人にもそういった人は多く、例えば、働くことに全く喜びを感じられないのに、「“推し”に少しでも多くお金を使いたい!」という思いをエンジンに、仕事を成功させている人。本当は人と話すのが苦手なのに、「“推し”についてもっと知りたい!」という思いで、積極的に他のファンと話をして、結果的に沢山の人に慕われている人などがいます。また、これを書いている私自身も、かつてそんな風に“推し”ていた経験を持つ1人です。

「アイドルなんか“推し”ても、何の意味もない」という声は未だに多いですが、そんなことはありません。“推す”ことは、「現実と向き合うための術を得る」という、意味のあることだと、考えています。

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