(前後編の前編)
【写真】美人すぎるエムズ広報・真中つぐの撮り下ろしショット&SNSで話題のコスプレショット
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――真中さんは元々コスプレイヤーとして活躍していましが、小さい頃からオタク文化は好きだったんですか?
真中 それがオタク文化にハマったのは高校3年生と遅かったんです。小2から高3まで11年間、バスケ部に所属して部活に打ち込んでいたので、ほぼ遊ぶ暇もなかったんですよね。土日もなく練習や試合をしていましたし、家族もマンガやアニメに興味がなかったのでオタク文化に触れることもなかったです。なのでアニメと言えば、『サザエさん』と『クレヨンしんちゃん』ぐらいしか観たことがなかったです。
――オタク文化に全く縁のなかった真中さんが、どうしてコスプレをしようと思ったんですか?
真中 部活を引退して、同級生の女の子から『銀魂』を勧められて読んで、マンガって面白いなと感動したんです。その後、その子に誘われて毎年幕張メッセで開催されている「ジャンプフェスタ」に行ったんですけど、そのときに初めてコスプレイヤーの方を見たんです。それで興味を持って、「ジャンプフェスタ」の帰り道にコスプレグッズショップに寄って。そのときは何も買わなかったんですけど、そこからいろいろ勉強をして、その友達と一緒に趣味でコスプレを始めました。
――人生で初めてしたコスプレは?
真中 『銀魂』の銀(坂田銀時)さんです。男キャラがやりたかったんですよね。その後も『機動戦士ガンダム00』のティエリア・アーデとか、『ハルヒ(涼宮ハルヒシリーズ)』のキョンとか、男キャラばかりやってました。
――真中さん自身でコスプレイヤーとしての発信はしていたんですか?
真中 『コスプレイヤーズアーカイブ』というサイトに写真を投稿していました。今のようにコスプレイヤーがツイッターで発信をする時代ではなかったんですよね。
――コスプレを始めるきっかけとなった友達とは、その後も一緒に活動をしていたんですか?
真中 それが私はアイドルっぽい活動に進んでいったんですけど、友達は男装レイヤーを貫いていたので、徐々に疎遠になってしまいました。
――コスプレイヤーとして本格的な活動を始めたのはいつ頃ですか?
真中 4年間務めたアパレルのお仕事を辞めた後です。たまたま知り合ったカメラマンさんから、ちゃんとした活動をしたら仕事になると言われて。それをきっかけに、自分で写真集を作って、撮影会とカフェイベントを自主的に開催して、それが収入の3本柱になりました。
――コスプレの仕事1本でやっていたんですか?
真中 並行してメイド喫茶で働いていました。オタク文化に目覚めてから可愛いものが好きになって、その当時はメイド喫茶の全盛期だったので、休日は一人で秋葉原の「めいどりーみん」なんかに行ってたんです。それで自分もメイド喫茶で働きたいという憧れがあって、会社を辞めたタイミングで「1年間だけメイド喫茶でアルバイトをしたい」と親に相談しました。
――わざわざ親に相談したんですか?
真中 当時は実家に住んでいましたし、厳しい両親だったので、一応許可を取ろうと思ったんです。でも猛反対されたのでケンカして、家を飛び出して上京しました。
――夢だったメイド喫茶で働いてみてどうでしたか?
真中 私にとっては青春でした。メイド喫茶の中で地下アイドルみたいな活動もしたんですけど、みんなで朝練して、終わったらサイゼリヤに行って、メイド喫茶で働いた後は日高屋に行って、うちに泊まる。そんな毎日が楽しかったんですよね。年下の子が多かったんですけど、メイド喫茶の友達とばかり遊んでいました。学生時代は部活しかやっていなかったので、そんな生活が新鮮でしたね。
――地下アイドルではどんな活動をしていたんですか?
真中 お店の裏にステージがあって定期ライブをしたり、アイドルイベントで新宿などのライブハウスに出たり。ただ骨折しちゃって、すぐに私は脱退したんです。ぴなふぉあも当初の予定通り1年間で辞めて、その後は人材派遣関連の会社に就職して3年間勤めました。
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▽真中つぐ
「大人のデパート エムズ」の広報担当として話題の美女コスプレイヤー。初DVD『ノーパンサプライズ』(Aircontrol)が絶賛発売中。