日本時間5日に現役引退を発表したアリエン・ロッベン。現役続行の噂が流れる中、サッカー史屈指のドリブラーは大きな決断を下した。

オランダ時代
地元クラブ、VVベドゥムでサッカーを始めたロッベンは1996年にフローニンゲンの下部組織に入団する。それから4年後の2000年、弱冠16歳でプロデビューを飾った。フローニンゲンでレギュラーとして活躍したロッベンは、2002年に名門PSVアイントホーフェンに移籍。1年目から12得点を挙げる活躍をみせ、2002/2003シーズンはヨハン・クライフ賞(年間最優秀タレント賞)に輝いた。PSVでの活躍により、ロッベンはビッグクラブから注目を集める存在となる。
タイトル
エールディビジ優勝:1回
ヨハン・クライフ・シャール(国内カップ戦):1回

チェルシー時代
PSVで結果を残したロッベンは2004年にチェルシーへと移籍。欧州4大リーグ初挑戦となった。しかし、移籍後は精巣腫瘍患い、回復後は負傷に襲われるなど前途多難なスタートとなった。しかし、11月に少し遅れてプレミアリーグデビューを果たすと、同月の月間最優秀選手に選ばれる大活躍。
タイトル
プレミアリーグ優勝:2回
FAカップ優勝:1回
リーグカップ優勝:2回
コミュニティ・シールド優勝:1回

チェルシーでも活躍を見せたロッベンは2007年に世界屈指のメガクラブ、レアル・マドリードへ移籍を果たす。チェルシー入団時同様、負傷により出遅れたが、9月のチャンピオンズリーグ(CL)ベルダー・プレー免染で移籍後初出場を果たすと、その後も結果を残し続けスタメンに定着。ただ、マドリード時代は度重なる負傷に苦しめられた時期でもあった。
ケガがちながらも、主力選手として活躍していたロッベン。しかし、2009年にクラブが大型補強を行いクリスティアーノ・ロナウドらを獲得すると、補強資金補填のために放出されることとなった。
タイトル
ラ・リーガ優勝:1回

バイエルン・ミュンヘン時代
前述したとおり、マドリードからの退団が決定的となったロッベンはバイエルン・ミュンヘンに移籍。クラブからの期待値は高く、1シーズン目から背番号「10」を背負うこととなった。バイエルン加入後のロッベンは獅子奮迅の活躍。マドリード時代ほどではないが、負傷に苦しめられていたものの、多くのゴールとアシストで貢献している。
2012/2013シーズンはクラブにとってもロッベンにとっても特別なシーズンとなっただろう。ブンデスリーガ最速優勝を果たすと、DFBポカール(国内カップ戦)を制覇。
20014/2015シーズンにバイエルンでの100ゴール目を記録したロッベンは、その後も順調にゴールを重ね、2017年にはクラブの外国籍選手、リーグ戦最多ゴール記録(93ゴール)を更新した。
2018年12月にバイエルン退団を発表したロッベン。5月18日のブンデスリーガ最終節、フランクフルト戦で得点を挙げ、サポーターとの別れをゴールで飾った。ロッベンのブンデスリーガ最後のゴールは、通算99点目。100得点には惜しくも届かなかった。
タイトル
FIFAクラブワールドカップ:1回 (2013)
UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2012-13)
UEFAスーパーカップ:1回 (2013)
ブンデスリーガ:8回
DFBポカール:5回
DFLスーパーカップ:5回

オランダ代表
2003年4月30日に行われた、ポルトガル代表との国際親善試合でオランダ代表デビューを飾ったロッベン。その後も代表に定着したロッベンは2006年のドイツワールドカップ(W杯)でW杯デビュー。初戦のセルビア戦では18分に決勝点となるゴールを挙げている。
EURO2008ではグループステージを全勝したものの、ベスト8に終わったオランダ代表。しかし、2010年の南アフリカW杯では準決勝に進出した。
EURO2012は死のグループで苦戦し、グループリーグ3連敗。しかし、2014年のブラジルW杯では2大会連続の準決勝進出を達成。ロッベンは3ゴールを挙げる活躍を見せている。しかし、2018年のロシアW杯予選で敗退が決定すると、代表からの引退を表明した。