大勢の観客の前でプレーし、華やかに見えるJリーガー。そんなJリーガーの平均引退年齢は26歳前後と言われている。

そして、引退後にセカンドキャリアの問題に直面する選手が多くいるのが現状である。

渡邉大剛氏は、かつて京都サンガ大宮アルディージャカマタマーレ讃岐などに所属し、Jリーグで397試合に出場してきた。セカンドキャリアとしての現在は、代理人を務める傍ら人材会社でブランディングアンバサダーとして働き、品川CC(神奈川県社会人サッカーリーグ1部)でプレーを続けている。

渡邉氏が語るアスリートのキャリアとは?現役時代からセカンドキャリアの代理人の仕事に至るまで、詳細な経緯と共に実感や考えを伺った。

渡邉大剛氏インタビュー

元Jリーガー渡邉大剛氏、独占インタビュー「アスリートのキャリアとは?」

名門国見高校に進学し、高卒でプロに

まずはサッカーを始めたきっかけを教えてください

渡邉大剛氏(以下渡邉):長崎県の国見町に生まれ、小学2年生の時にサッカーを始めました。幼稚園の時は2人の弟達と野球をして遊んでいたのですが、仲の良かった友達が小学校に上がってサッカーを始めたので、その流れで始めました。

小中学生時代のチームのレベルはどのくらいだったのでしょうか?

渡邉:小学校の時は県大会ベスト8くらいの実力のチームでした。小学校時代は、先輩達の選ばれていた九州選抜に選ばれなかったり、色々と挫折もありました。国見中学時代はフットサルの全国大会で優勝しましたが、自分たちの年代では全国大会に出場できませんでした。私の1歳上には徳永悠平選手(現・Vファーレン長崎)が、2歳上には大久保義人選手(現・東京ヴェルディ)がいました。

その後国見高校に進学しますが、他の学校に行くという選択肢はありましたか?

渡邉:私が中学2年生の時に東福岡が全国高校サッカー選手権で優勝して、同校に行きたいと思っていました。東福岡は進学校だったので、「勉強も頑張らないと」と思って勉強していました。ただ、大久保嘉人選手や徳永悠平選手も国見高校に進学していましたし、国見中学のサッカー部員は国見高校に行くのが自然な流れだったので、国見高校に進学することになりました。

高校サッカーはとても厳しいイメージがありますが振り返っていかがでしたか?

渡邉:そうですね。練習はとても厳しかったですし、3年間きつかったですね。休みもなかったですし、走りのメニューも1年生の頃は決められたタイムに入れなかったりしていました。朝練があり、学校が終われば練習で土日は遠征と、ずっとサッカー漬けの毎日で学生時代にはもう戻りたくないと思います(苦笑)

名将の小嶺忠敏監督はどんな監督でしたか?

渡邉:当時、小嶺監督は校長先生をされていたので、毎日練習に来れたわけではありませんでした。ただ、やっぱり小嶺監督がいるといないでは練習の雰囲気は違いましたね。もちろん、いない時に手を抜いているなんてことはないのですが、現場の雰囲気が変わり一層引き締まって練習していましたね。

高3の夏あたりに京都サンガに内定されていますが、大久保選手のようなプロ入りした先輩の存在は大きかったでしょうか?

渡邉:とても大きかったですね。国見高校に進学したもの「プロサッカー選手になるためにどうすればよいか」ということから逆算してのことでした。実際に国見に入り、大久保選手や松橋章太氏(大分トリニータなどで活躍)が高卒でプロに入っていたので、「自分も頑張ればそこに手が届く」というのは思いましたね。そこは1年生からブレずにできていたと思います。

プロで目標にしていたことは何でしたか?

渡邉:やはり日本代表に入ることは目標の1つでした。そして、もう1つは元韓国代表のパク・チソン氏が京都で結果を出してオランダを経由し、マンチェスター・ユナイテッドでも活躍していたので、当時は海外でプレーするためには代表に選ばれてから海を渡るという傾向が強い時代だったと思います。そのため、海外でプレーすることが目標でした。

また高卒でプロになるにあたって、小嶺監督から勧められたのが大学進学でした。プロになってから2、3年で戦力外になる選手も少なくない中で、リスクマネジメントとして大学にいっておけばそこからやり直せるという思いだったと思います。そのため、京都に入団して2年目の年から大学に進学しました。

しかし、実際にプロ生活との両立は難しく、ハードな練習をこなしその後片道90分かけて通うのは想像以上に困難で1年で休学し、そのまま退学する形になってしまいました。ただ、今思うのは大学卒業の肩書も大事だと思いますが、「大学に行って何を学ぶか」が明確でないと、壁にぶつかった時に乗り越えるのは難しいと実感しました。

どんな部分で高校サッカーとの違いを感じましたか?

渡邉:技術、フィジカル、スピード、判断、ポジショニングなど全てが違いましたね。1歳上の角田誠選手(現・長崎)と1対1をやっても一度も抜けなかったので、プロのレベルの高さを感じました。日々の練習から「もっとレベルアップしないといけない」と思っていましたし、全体練習の後に自主練したり、ジムで筋トレしたり、結果を出すために必死で毎日を過ごしていました。

練習も高校時代と違った厳しさでしょうか?

渡邉:質、強度がとても高かったので、すごく集中しなきゃいけなかったですし1時間半~2時間の練習でもとても疲れました。若い頃は疲労もすぐに抜けるので次の日の練習にさほど影響は出ないですが、年齢と共に段々と疲労が抜けにくくなっていくので回復させる意味でも午後は必ずと言っていいほど昼寝をしていました。

高校と違うシーズンの開幕や週末の公式戦に合わせてのトレーニングはどうでしたか?

渡邉:シーズン前のキャンプは2、3週間ホテルの中で缶詰め状態でほぼ毎日のように2部練習があり、次の日も朝早くてとても大変でした。ただ、長いシーズンを戦う上でキャンプをどう過ごすのかというのはとても重要ですし、みんな仲間である一方でポジションを争うライバルでもありますので監督へアピールする期間でもありました。

数年後プロの試合に安定して出始めてからチームメイトやファン・サポーターからの見方は変わりましたか?

渡邉:試合に多く出るようになったり、レギュラーになって大きく変わりましたね。練習場や街で声をかけてもらえる回数も増えますし、色んな差し入れも頂きました。ファン・サポーターに方にたくさん声をかけてもらえるようになり単純に嬉しかったです。逆に、結果が出ないと厳しい声や批判も増えました。ただ、プロである以上、それを声援に変えていかないといけないと思いました。

元Jリーガー渡邉大剛氏、独占インタビュー「アスリートのキャリアとは?」

華やかなイメージのJリーガー。
そのギャップとは

ファンにサインしたり声援を受けたり、プロには華やかなイメージがありますが、実際きつい部分もありますよね?

渡邉:練習もハードですし、結果が出ない時は本当にきついですね。1週間頑張った事が試合に勝ったり、ゴールを決める事ができた時にその辛さが報われると思っています。ケガをしてしまってプレーできない辛さだったり、試合に出られない状況だとメンタルコントロールするのも大変ですし、1年間を通してシーズンを戦う事はフィジカル、メンタル的にすごく疲弊します。好きなサッカーですが仕事としているので乗り越えられるんだなと気付きましたし、これを趣味や遊びでやるとなると無理ですね(苦笑)

Jリーガーは純粋にサッカーを楽しんでいる方は少ないと思いますか?

渡邉:正直、少ないと思います。仕事になった時点で、もしくはこれまでも色んな苦労を乗り越えて今があり、日々の練習もそうですし、真夏の炎天下の中練習するのはほんと地獄です(苦笑)それでも好きなサッカーを仕事にできているという事、小さい頃から夢であったプロサッカー選手になるということを叶えられたので、トータルでいうと楽しいんだと思いますね。

8年在籍した京都を離れ、大宮へ移籍を決断した理由はなんでしたか?

渡邉:京都には8年在籍し、その中で3回J2に降格し、2回J1に昇格しています。そのため、J1、J2を行ったり来たりの状態でした。そんな中、20代の半ばのサッカー選手として1番いい時期にJ1でプレーしたい思いがあって、大宮への移籍を決断しました。高校卒業して京都サンガに入団させてもらい、長い期間在籍したこともあり、クラブやファン・サポーターの愛着もとても強かったですし、京都一筋で引退するのも悪くないと思っていましたが、それでも高いレベルでやりたい想いの方が強くクラブとエージェントに移籍したい旨を伝えました。

京都から大宮への移籍で苦労したこと、良かったと思うことは?

渡邉:当時の大宮には知っている選手もほぼいなくて、私は人見知りな性格だったので環境に慣れるまでは大変でしたしレベルの高さに戸惑いがありました。でもそれは自分が求めてた事でたし、実際に移籍を経験してプレーの幅が広がったり成長できたなと実感できたのでよかったなと思いました。また知らない土地にきたことで色んな方との出会いもありましたし、関東近郊の色んなところに出かけたりたくさんの事を知る機会にもなったので大宮に移籍して良かったと思いましたね。

その後、韓国の釜山アイパークに移籍し、初の海外挑戦もされました。文化やサッカーの特徴も違う海外への移籍を決断したのはなぜですか?

渡邉:大宮を契約満了で退団し、国内で移籍先を探していましたが年が明けてもチームが見つからなかったことと韓国のチームからオファーがあったので行くしかないと思い決断しました。Kリーグで活躍してる姿を日本に届けるという強い想いで行きましたが、日本のサッカーとは違いゴリゴリのフィジカル重視のサッカーで適応するのはとても難しいリーグだなと感じました。

元Jリーガー渡邉大剛氏、独占インタビュー「アスリートのキャリアとは?」

その後、韓国から当時J2のカマタマーレ讃岐に移籍を決断した理由は?

渡邉:韓国では試合にほとんど出場できずに半年近く経過し、このまま残りの半年間を過ごすと「サッカー選手としてのキャリアが終わってしまうのではないか」と危機感を覚えました。当時30歳を過ぎていて、もう1度Jリーグで活躍したいという思いがありました。そのため、J2でもいいのでとにかく日本に帰ってプレーする機会が必要だと考え、半年間無給でもいいからエージェントにチームを探してくださいとお願いをしたところ讃岐が手を挙げてくれました。

讃岐には当時クラブハウスが無かったり、環境面で京都や大宮時代と違うことが多くあり、社会人サッカークラブに近かったと思いますが、そのあたりはどう感じていましたか?

渡邉:日本でまたプレーできるという事を考えた時に環境面のことは一切気にならなかったですね。練習着も自分で洗濯しなければいけなかったですが、讃岐からまた這い上がるんだという気持ちの方が強かったですし、やはり試合や練習場でファン、サポーターの方たちから応援してもらえる喜びはありました。韓国の場合はファン、サポーターの数は日本よりも圧倒的に少なかったですからね。

Jリーガーの方は来年で引退しようと先に決める方もいれば、そうでない方もいると思います。どちらのパターンでしたか?

渡邉:私は引退をイメージしていませんでしたね。讃岐を退団し、引退することになった時にも「まだ選手としてやれる、やりたい」と思っていました。ただ、現実はそうでなく、次のシーズン開幕が迫る年明けに「自分の居場所はここにはない」と感じて、引退しました。そこからセカンドキャリアについて考え始めました。

元Jリーガー渡邉大剛氏、独占インタビュー「アスリートのキャリアとは?」

引退後は、埼玉に戻ってセカンドキャリアをスタート

引退後の代理人の仕事について、そのきっかけや経緯を教えてください

渡邉:セカンドキャリアで長崎に帰らず、埼玉に来たのは、大宮時代に出会った方がたくさんいたからです。その方たちにまずはセカンドキャリアについて相談しようと思ったのがきっかけでした。現役の時から「セカンドキャリアはサッカー以外の事がやりたいな」と漠然と思っていたのですが、いざその状況になった時に何からどう始めたらいいのか、また自分にはサッカー以外に何ができるのかもわからない状態でしたね。なのでそこから色んな人に会いに行くようにしたんです。

そこでせっかくこれまでサッカーのキャリアを積み上げてきたんだから全てを切り離す必要はないんじゃない?という事を言われて、じゃあサッカーに関する仕事で自分が興味あることは何かとなった時に代理人という職業が頭にパッと浮かんできて、元々お世話になっていた代理人の方に誘われた事もあり始めました。

ただ、そんな中でこれまでずっとやってきたサッカーでプロにもなって経験したことを生かさないのはもったえいないと思って、サッカーの仕事を考え始めました。そんな中で企業に属さずにできる仕事を探していました。そして、誘われたこともあって代理人の仕事を始めました。

代理人というと裏方の仕事になりますよね。主な仕事内容は一言で言うと?

渡邉:代理人の主な仕事は契約選手がクラブとの契約交渉の間に入って、年俸や移籍の交渉をするのが主な仕事になります。普段は契約選手の試合をチェックしたり、必要に応じて連絡を取っています。

現在はproduction9のエージェント部門に所属されていますが、同社とはどういう関わり方をされているのでしょうか?

渡邉:まず、代理人をするには法人組織に属していることが条件になります。私が現役時代に最後にお世話になっていた代理人の方がproduction9に所属していたので、その方と一緒に代理人の仕事をさせてもらっています。私はそこのエージェント部門に所属しています。

今では若手選手も含め、多くの選手が代理人契約しているとのことですが、契約まではどういう経緯ですか?

渡邉:試合をチェックして良い選手だなと思ったら、エージェントがついているかどうかなど、その選手をリサーチします。まだついてなければ、知り合いのチームメイトや関係者から紹介してもらいコンタクトを取りますね。そこからご飯やお茶したりして実際に話を聞き、何回かやり取りをした後にご縁があれば契約に至るという形です。契約する前の段階、もしくはコンタクトを取る段階でクラブの強化部に一言挨拶するのですが、段階をしっかり踏まないと強化部といい関係性も築けないのでそこは慎重になりますね。

契約されている複数の選手とは、連絡を頻繁に取ったり、深い関係にありますか?

渡邉:選手によっても変わると思うんですが、こまめに連絡する時期とそうではない時期があるかと思います。試合結果や内容はチェックしますが、例えばゴールを決めた後には「ゴールおめでとう」など連絡しやすいですが、試合に絡んでなかったりケガで離脱してたりなんかする場合は一度連絡を入れてそこから少し間を開けるなどタイミングを見て連絡するようにしています。

代理人の仕事のやりがいや課題とは?

ご自身も現役時代は代理人契約されていましたが、現役時代に思っていた代理人に対する考え方は変わりましたか?

渡邉:現役時代は代理人に払っていた報酬に対しては「こんなにいっぱい払うのか」と思っていました。ただ、実際に自分でやってみると、大変なことも多く、そのあたりの考え方は大きく変わり、やはり経験しないと分からないということを感じています。

代理人に対して感じる課題や「もっとこうなれば良い」というのはありますか?

渡邉:マネタイズの仕組みでしょうか。海外のエージェントは選手が移籍した時の移籍金の数%がエージェントにも入りまたその金額も大きいですが、日本国内の場合だと移籍金はエージェントには関係ありません。選手の年棒の数%を選手からいただく形になっているのでこの仕組みが変わればいいなと思っていますね。

ではやりがいを感じたり、良かったと思うのはどんな時ですか?

渡邉:選手の希望が叶った時ですかね。今はまだ、多くの選手と契約しているわけではありませんが、昨年の冬に初めて契約交渉の場に立ちました。1人の選手は戦力外になってしまったのですが、所属先を見つけることができ、もう1人の選手も他クラブに移籍することができました。

今後、代理人を続け仕事を得ていく中で、必要だと思うことや伸ばしていきたいことはありますか?

渡邉:私が代理人をやる中でもっと付加価値をつけていきたいと思います。私が代理人がやる上での付加価値の1つはプレーヤーとしてJリーグを経験していること、そしてもう1つは、今リスタンダード株式会社でビジネスマンとして働いていることです。もっと社会経験も積んでいき、スキルを身に付けていきたいですね。その社会経験も選手に伝えていきたいですし、選手として現役を引退したあともサポートしていけるようなエージェントになりたいです。

元Jリーガー渡邉大剛氏、独占インタビュー「アスリートのキャリアとは?」

ビジネスマン兼アマチュア選手として語る「アスリートのキャリア」とは

2019年夏から品川CCでプレーしながらリスタンダード株式会社でプレーされていますね

渡邉:品川CCに入団した経緯は、1番下の弟、三城が同クラブのGMと知り合いだったことです。品川が選手を探していて、弟の紹介でGMの吉田祐介さんと話しました。そこで吉田さんから「品川CCでプレーしてほしい」と言われたのですが、当時はサッカーを選手としてプレーするつもりはありませんでした。ただ、リスタンダードでブランディングアンバサダーとして働きながらという条件に魅力を感じ、もう1度チャレンジすることを決断しました。

Jリーグでの活躍を経てから社会人リーグでプレーするにあたって、葛藤や悩みはありましたか?

渡邉:とてもありました。引退する時にJリーグより下のカテゴリーでプレーはしないと決めていたのと矛盾していますし、それこそプライドもありました。ただ、それでも生活を安定させる必要もあり、リスタンダードで働いて社会経験を積みながらプレーしようと思いました。

リスタンダード株式会社にはどのような形で関わっているのでしょうか?

渡邉:業務委託という形で携わらせてもらっています。現在はコロナ禍で仕事内容全てオンラインで週1回の定例ミーティングへの参加、大学のサッカー部に所属する学生を対象にセミナーを開催したり、キャリア、就活の相談などを受けたりするのがメインですね。

業務委託などで仕事をする個人事業主が増えました。コロナ渦の状況で、今後生き残るために必要なことは何だと考えていますか?

渡邉:私が思うのは、自分にしかない武器を身に付けることです。業務委託や社外取締役として企業に属さなくても自分の知識や経験を生かせる時代になっていますよね。そうなってくると、やはりその人でしか伝えられないことやその人にしかできないことを持っている人が強いなと思っています。個人で大きな力を持っている人はこれからも生き残っていけるでしょうし、色んな企業から必要とされると思います。今までは、出社して仕事をするのが普通でしたが、今はリモートでできる仕事も増えてきました。その中で、時代を読む力は必要になってくると考えています。自分も自問自答をしながら力をつけていきたいです。

元Jリーガー渡邉大剛氏、独占インタビュー「アスリートのキャリアとは?」

サッカー選手を始め、引退後に苦労するアスリートは多くいると思いますが、それについての考えや現役アスリートに伝えたいことは?

渡邉:アスリートのまわりには多くの人がいるため、人脈がまわりに落ちているのにそれに気づいていなかったり、生かせていないと思います。現役中はサッカーのことしか考えられないという選手もいますが、引退は必ず訪れるので、準備は必要です。サッカー選手は小さい時からサッカーだけやってきた人がほとんどなので、引退後にサッカーがなくなり、やりたいことを見つけるのは難しいでしょう。ただ、現役時代に培った人脈とか強みを生かしていくことが必要になるんじゃないでしょうか。

最近は本田圭佑選手のように現役選手が色んな活動をしています。批判もあるようですが、サッカー界全体に対する課題やセカンドキャリア問題について感じることはありますか?

渡邉:周りの目は気にする必要はないと思います。自分の人生に誰も責任は取ってくれないですし、全て自分の責任である以上キャリア形成していくのは自分です。クラブ側からすると大々的に副業をしているとわかると決して快く思わないかもしれないですが、これからは複業の時代です。なのでサッカー選手としてしっかり仕事を全うする上で複業やセカンドビジネスでも成功できればその選手の価値も上がりますし、また所属してるクラブにも大きなメリットがあるんじゃないかと思いますね。最近は現役時代からサッカー以外の事や、引退後の事も見据えている選手が増えてきたという印象です。

アスリートにしかない武器やアスリートならでの価値は引退後も生かせますか?

渡邉:アスリートでない人も継続力や忍耐力のある人やいますが、アスリートはこれらに長けている人が多いと思います。それが引退し他の仕事となった時にサッカーと同じ熱量を注げるのか、継続できるのかは正直わからないですが、それでもアスリートだから培われたマインドやメンタルはありますし、その力をどう転用、汎用性を持ってやれるのかが大切だと思います。

取材後記:渡邉氏の話から、Jリーグの世界の厳しさや代理人の仕事の大変さを具体的にイメージすることができた。また、26歳前後という平均引退年齢の中で、現役中に引退後のことを考えて準備することの大切さを感じた。アスリートの引退後の人生も考慮したJリーグやサッカー界のルール改善にも期待したい。

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