ディエゴ・マラドーナ、ロベルト・バッジョ、クリスティアン・ビエリ、カカ、といったサッカー史に名を刻んだレジェンドたち。ゴンサロ・イグアイン、ポール・ポグバといった現在も活躍しているスター選手。
これらの名前を知らない“サッカー好き”はいないと思われる。
しかしながら、彼らにプロサッカー選手の道を歩んだ「兄弟」がいることはそこまで知られていないのではないか。かつてアビスパ福岡とコンサドーレ札幌に貢献したマラドーナの弟を含む、誰もが知るスター選手の陰でプレーを続けた兄弟たちを紹介しよう。

フェデリコ・イグアイン(ゴンサロ・イグアインの兄)
フェデリコ・イグアインは、複数の欧州大手クラブ(レアル・マドリード、ナポリ、ユベントスなど)でプレーしてきた元アルゼンチン代表FWゴンサロ・イグアインの兄である。
ゴンサロ同様FW選手であるフェデリコは、自国アルゼンチンやアメリカのクラブを中心にそのキャリアを積んできた。
2007年の夏にはトルコ1部のベシクタシュに加入し、欧州クラブでプレーするという幼少期からの夢を叶えるもその冒険は長く続かず。わずか6ヶ月でメキシコ1部のクラブ・アメリカにレンタル移籍するに至った。
その後は母国のインデペンディエンテ(2008–2009)やMLS(アメリカ1部)のコロンバス・クルー(2012–2019)でプレーを続けたフェデリコは、2020年10月にインテル・マイアミに加入した。
そのインテル・マイアミでは、約1ヶ月前に移籍してきた弟のゴンザロと再会。兄弟が同じクラブでプレーすることとなる。4月24日のフィラデルフィア・ユニオン戦では、MLS史上初めて兄弟選手が同じ試合でゴールを決めたとして話題となっている。
エディ・バッジョ(ロベルト・バッジョの弟)
イタリア人でさえほとんどがその存在を知らない。エディ・バッジョは兄であった元イタリア代表MFロベルト・バッジョの陰でプレーを続けたFW選手である。
フィオレンティーナの下部組織でサッカーを学んだエディ(1991-1994)。
1994/95にはセリエC(イタリア3部)のパラッツォーロで安定したシーズンを過ごし、目覚ましい成長が期待された。しかし結果的には大きな舞台(セリエA)に上がることはできず、引退の2010年までセリエB(イタリア2部)とセリエCの間でプレーを続けた。
エディのベストシーズンは1999/00である。その活躍はイタリア国内でも話題になることはなかったが、セリエCのアスコリで30試合中23得点をも挙げ、同クラブのサポーターにとっては忘れられないシーズンとなっているようだ。
マッシミリアーノ・ビエリ(クリスティアン・ビエリの弟)
大活躍した選手の兄弟でありながら、セリエAまでたどり着くことができなかった選手がもう1人いる。それは元イタリア代表FWクリスティアン・ビエリの弟で、同様にFWのマッシミリアーノ・ビエリだ。
兄のクリスティアンがユベントスに所属していた1996/97シーズン、同クラブのユースに加入しプロサッカー選手になるためのスタートラインに立ったマッシミリアーノ。1997年にセリエCのプラートへレンタル移籍し、プロデビューを果たした。
2003年にはナポリ(当時セリエB)と3年契約を結び、セリエAでのプレーも近付いたと思いきや、2004年にナポリが経営破綻。破産を宣告されたナポリはセリエCへ降格し、マッシミリアーノの契約も白紙となった。
その後地方クラブでプレーを続けたマッシミリアーノは、2008年プロデビューを果たしたプラートに戻り、2012年に引退。2020年からはフィオレンティーナU-18の副監督を務めている。
ジゴン(カカの弟)
かつてミラン(2003-2009、2013-2014)やレアル・マドリード(2009-2013)で活躍した元ブラジル代表MFカカ(2017年に引退)には、ジゴンという弟がいる。
カカがミランでプレーを始めて間も無くの2004年、DFジゴンは同クラブのユースに加入した。しかし、ミランのユースに外国人枠の空きがなかったことからサンプドリアのユースに貸し出され、それが後のレンタル移籍連鎖の始まりとなる。
ミラン在籍中の2005年から2011年にかけて、ジゴンはセリエBのレッチェ(2009-2010)やクロトーネ(2010)などへ5度ものレンタル移籍を繰り返し、ロッソネーロ(ミラン選手)としては、わずか3戦にしか出場できなかったのである。
無名クラブでのプレーを続けたジゴンは、2012年にMLSのニューヨーク・レッドブルズに移籍。2013年、27歳の若さでプロの世界を去ることとなった。

フロランタン・ポグバ(ポール・ポグバの兄)
20代前半にユベントスで(2012-2016)の目覚ましい活躍で一躍トップ選手となったポール・ポグバ(現マンチェスター・ユナイテッド)には、フロランタンとマティアスという兄(双子)がいる。兄2人共にサッカー選手であるが、弟のようなキャリアには恵まれなかった。
DF選手のフロランタンは2010年に当時リーグ・ドゥ(フランス2部)のスダンでプロデビューを果たし、2013年から2018年にかけてリーグ・アン(フランス1部)のサンテティエンヌでプレーした。
2018年1月にスュペル・リグ(トルコ1部)のゲンチレルビルリイに移籍するも、同年5月に行われた第32節アンタルヤスポル戦でユニフォームを脱ぎ自ら退場したことでチームメイトから詰め寄られる事態が起き、それによってわずか7回の出場で契約解除を言い渡される。
その後、MLSのアトランタ・ユナイテッドで約2シーズンを戦ったフロランタン。2020年にフランスのソショーに移籍したことで、発射台となったリーグ・ドゥに逆戻りしてしまった。
マティアス・ポグバ(ポール・ポグバの兄)
ポール・ポグバのもう1人の兄マティアスは、FW選手としてアマチュアリーグで凄まじい活躍をした。しかし、プロとしてはほとんど活躍できなかったのが辛いながら事実だ。
イングランド5部のレクサム(2010-2012)や3部のクルー・アレクサンドラ(2012-2014)に所属した頃のマティアスは、多くの試合に出場し得点を積み重ねたことによって周囲に大きく期待された。
しかし、2014年にセリエBのぺスカーラに移籍すると、その得点力が急激に落ちてしまう。当時同クラブの監督だったマルコ・バローニ氏と相性が良くなかったこともあり、マティアスは半年で契約解除となった。
その後はスコットランド、オランダ、スペインなどでプレーを続けたが、スポットライトが当たることはなかったマティアス。2021年からはスロベニア1部のターボル・セジャーナに所属している。
ウーゴ・マラドーナ(ディエゴ・マラドーナの弟)
最後に紹介するのは、2020年11月25日に死去したサッカー界のレジェンド、「神の子」と呼ばれていたアルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナの弟である。その名はウーゴ・マラドーナ。ポジションはMFだった。(2000年に引退)
ウーゴは、1985年に母国1部のアルヘンティノス・ジュニアーズでプロデビューを果たす。1987年には兄ディエゴの推薦でナポリと契約を結んだが、パルテノペイ(ナポリの愛称)でプレーすることはなかった。
ナポリ加入も外国人枠によりセリエAのアスコリに貸し出されると、与えられたチャンスはわずかの13戦。ウーゴはイタリアを離れ、スペイン、オーストリア、ベネズエラ、ウルグアイと転々としてから、日本でキャリアを続けることを決意した。
1992年、ウーゴはPJMフューチャーズ(当時東海社会人サッカーリーグ所属)で日本での冒険をスタートし、その後、アビスパ福岡(当時福岡ブルックス・1995-1996)とコンサドーレ札幌(1997-1998)それぞれのJリーグ昇格に貢献している。