明治安田生命J1リーグ、ヴィッセル神戸の「半端ない大型補強」が話題を集めている。8月7日にロシアW杯に出場した元日本代表FW武藤嘉紀、翌日8日には日本代表の絶対的エースFW大迫勇也の獲得を発表。

さらに9日、元スペイン代表FWボージャン・クルキッチの獲得を発表した。

その中、8月28日に31歳となるバルセロナ下部組織出身のボージャンについては、昨年末にアメリカMLSに所属するモントリオール・インパクト(カナダ)との契約延長を断って同クラブを退団し、7カ月以上を無所属で過ごしていたことなどもあって、獲得には懐疑論がある。さらに、かつての「メッシの後継者」と報道されるなど誤った認識も存在することから、ここでは改めてボージャンの軌跡を紐解いていく。

神戸FWボージャンは「メッシの後継者」ではない!エトオが認めたバルサ9番の軌跡

「メッシの後継者」は間違い

ボージャンは、スペインの強豪バルセロナで「カンテラ」と呼ばれる下部組織時代の7年間(1999~2006)で通算900点以上を挙げ、2007年9月16日のラ・リーガ第3節オサスナ戦にて17歳18日の若さでトップチームデビュー。同年10月20日リーガ第8節ビジャレアル戦で挙げた初ゴールはクラブ史上最年少記録となり、このシーズン、リーガだけで10得点。「スペインの至宝」ラウル・ゴンザレス(レアル・マドリードなどで活躍した元スペイン代表FW)の9得点を上回る、リーガの新人最多ゴールを記録した。

当時、日本のCS放送局『J-SPORTS』では、バルセロナの下部組織所属選手にフォーカスする番組『バルサTVプルメーザス』が放送されており、筆者もよく視聴していた。当時ボージャンは「ボージャン」ではなく「ボヤン」と発音されていた。また、父親のボージャン・クルキッチ・シニアが旧ユーゴスラビアで元U-21代表選手であったこともあり、息子は2008年5月にFIFAへ加盟申請をしたコソボ共和国の代表入りも噂されていた。

そして、現在多くのメディアで報道されているような「メッシの後継者」とは全く呼ばれていなかった。それもそのはず、昨今フランスのPSGへと移籍した世界最高のフットボーラーであるリオネル・メッシだが、彼がリーガで初めて年間2桁ゴールを達成したのは、ボージャンがデビューした前のシーズンであり、まだ後継者を作るほどの実績は持ち合わせていなかったのである。

神戸FWボージャンは「メッシの後継者」ではない!エトオが認めたバルサ9番の軌跡

17歳ボージャン台頭の背景

日本でバルセロナの人気に火がついたのは、当時世界最高の実力と人気を手にしていたブラジル代表FWロナウジーニョが所属していた2005年前後からだった。しかし、バルセロナがUEFAチャンピオンズリーグ(CL)とリーガの2冠を獲得して迎えた2006/07シーズンは、そのロナウジーニョの夜遊びと不摂生による度重なる欠場が続き、エースのカメルーン代表FWサミュエル・エトオも怪我で長期離脱に見舞われるなどして無冠に終わっている。

この傾向は翌2007/08シーズンも続いたために、前シーズンに16歳ながらバルセロナBで22試合10ゴールを挙げていたボージャンに大きなチャンスがやって来たのだ。

18歳のメッシを主力に抜擢した当時のフランク・ライカールト監督は、17歳のボージャンを[4-3-3]のセンターフォワードに据えた。右ウイングだったメッシに、センターのボージャン、左ウイングには下部組織出身でボージャンより1歳年上のメキシコ代表FWジョバニ・ドス・サントスが入って、若手3トップを形成するような時もあった。

つまり、ロナウジーニョとエトオの稼働率が著しく低下していた事がボージャンの主力定着には大きく関係しており、本来は年間10ゴールでバルセロナの前線は務まらない。ボージャンはそのチャンスをしっかりと掴んだ。

そして翌2008/09シーズンからジョゼップ・グアルディオラ監督(現マンチェスター・シティ)がトップチームの指揮官に就任し、初年度からCLとリーガ、コパ・デルレイの3冠を達成するバルセロナの「超黄金期」が始まった。

神戸FWボージャンは「メッシの後継者」ではない!エトオが認めたバルサ9番の軌跡

勝気な男エトオが認めた「9番」

グアルディオラ監督は就任会見で、当時バルセロナの顔であった「ロナウジーニョとデコ、エトオを戦力外とする」と発言。ボージャンの時代が来るのか?と思われた。しかし、ロナウジーニョとデコが退団した一方、エトオはチームに残留。メッシやティエリ・アンリと共に3トップを組み、チーム最多30ゴールを挙げた。ボージャンもエトオの控えとしてカップ戦で結果を残し、3冠にも貢献したと言えるだろう。

エトオは絶対に自分以外の選手を認めないような勝気なストライカーだったが、ボージャンのことは「いずれ彼は俺をバルサから追い出すことになるだろう」と、よくメディアの前で笑顔で話していた。ボージャンはエトオに認められた9番(センターフォワードのポジション番号)だったのだ。

しかし、エトオはグアルディオラ監督とソリが合わず、3冠達成直後にインテルから獲得したスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチ(現ミラン)の移籍金の一部としてトレードされる。

そのイブラヒモビッチもチームにフィットできずに1年で退団するのだが、替わって9番のポジションについていくのは、身長170cmのボージャンではなく、さらに小さい169cmのメッシだった。

3冠達成の2008/09シーズン第34節レアル・マドリードとの対戦「エル・クラシコ」でグアルディオラ監督は、エトオを右サイドに、メッシを最前線の中央に配置。メッシは頻繁にトップ下の位置まで下がり、中盤での数的優位を確保しながらプレーするため「ファルソ・ヌエベ(偽9番)」と呼ばれた。「メッシについていくべきか、スペースを守るのか?」相手DFを戸惑わせる最強の戦術は、この敵地でのクラシコでベールを脱ぎ、2-6と圧勝をもたらした。また、直後のCL決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でも採用されて、2-0の完勝を収めていた。

3冠達成を強力に後押ししたオプションである「ファルソ・ヌエベ」を、遂にメイン戦術として採用し始めたバルセロナは、2010/11シーズンにもCLとリーガの2冠を獲得。メッシもボージャンもエトオが認めた9番だったが、メッシが世界最高の名を欲しいままにする裏で、メッシにポジションを奪われたボージャンは、この年限りでバルセロナを離れた。

神戸FWボージャンは「メッシの後継者」ではない!エトオが認めたバルサ9番の軌跡

バルサ退団後の苦悩、ハイライトはストーク時代

2011年夏、ボージャンは当時バルサBを率いていたルイス・エンリケ監督を招聘したイタリアの名門ローマへ完全移籍。33試合で7ゴールとまずまずの結果を残したかに見えるが、リーグでの先発出場は13試合に限られた。翌シーズンにはミランでもプレーしたが、イタリアでの2年間では成功を収められなかった。

ローマではパスサッカーへのスタイル転換と重鎮フランチェスコ・トッティの衰えによる「改革の旗手」とされ、ミランではPSGに放出したイブラヒモビッチの代役として期待されたボージャン。異国の地でプレーし始めた当時21、2歳の彼にとっては大きな重圧だったであろう。しかし22歳にしてバルセロナ、ローマ、ミランでプレーする選手など他にいるのだろうか?

その後ボージャンは、オランダの強豪アヤックスを経て、2014年の夏から加入したイングランド・プレミアリーグに所属する中堅クラブのストーク・シティで、オーストリア代表FWマルコ・アルナウトビッチ(現ボローニャ)やスイス代表MFジェルダン・シャチリ(現リバプール)ら自身と同じくビッグクラブで地位を確立できなかったタレントを操り、中心選手としてプレーした。

スペースが少ないイタリアでのプレーから学んだボージャンは、「9.5番」のような2列目をメインエリアにしていた。得意のドリブルシュートや中央でのパスワークにも固執しなくなっていた。点取り屋として裏への抜け出しを狙うよりも、相手DFラインと中盤の間で縦パスを引き出してボールを収め、両足でのミドルシュートの精度も上がっていた。そして、シンプルにサイドへ展開し、自らがゴール前で合わせるような味方を活かす司令塔のようなプレースタイルに変貌を遂げ、やっと「自分の耀ける場所」を見つけたのだった。ストークもボージャン加入前年からクラブ史上最高位の3年連続9位と躍進していた。

最初の2年半で52試合に出場して14ゴールを挙げたボージャンだったが、怪我の多さもあって主力から外れていく。チームも低迷し始め、レンタル移籍でストークを離れた。ドイツのマインツで半年、スペインのアラベスで1年プレーするも、それほどの活躍は見せられず。2018年の夏にストークへ復帰した時、チームは2部に降格していた。2019年の夏からプレーしたMLSではストーク時代に似たプレーをしていただけに「あの時ストークで、ボージャンもチームも監督ももう少し辛抱強く一緒にやっていたら…」と思ってしまうサッカーファンは多いはずだ。

パワーやフィジカルをテクニックが凌ぐ

ボージャンのデビュー当時から見て来た筆者が考えるには、彼のキャリアのハイライトはバルサ時代ではなく、ストーク時代の最初の2年間と言えるだろう。神戸ではそれ以上の活躍を披露できるか?最近は中盤をダイヤモンド型に配置した[4-3-1-2]や[3-5-2]をメインシステムに据える神戸では、大迫の相棒役か、3トップ採用時の左ウイングで起用されることが予想される。

現在J1で暫定4位の神戸だが、3位のサガン鳥栖とは勝点44で並び、なおかつ神戸は1試合消化が少ない。すでに天皇杯で敗退した神戸にとっては来季のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権が与えられる3位以内の確保は至上命題である。ボージャンへの期待は大きいが、彼の波乱万丈なキャリアの中ではプレッシャーにもならないだろう。

「パワーやフィジカルをテクニックが凌ぐんだよ」と、日本人が最も惹かれるようなことを言葉にしていた元スペイン代表ボージャンは、イタリアやイングランドでそのキャリアを通じて証明しようとしてきた。そして、その続きを大先輩のアンドレス・イニエスタと共にJリーグで披露してくれる。これ以上の楽しみはないだろう。

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