明治安田生命J1リーグ北海道コンサドーレ札幌で主力として活躍したFWジェイ・ボスロイド。今季限りで同クラブ退団を決意し、イングランドの家族の元に戻ることとなった。

ジェイは、2015年にJ2に所属していたジュビロ磐田に加入。そのJリーグ初シーズンに32試合中20得点を挙げてJ2得点王にも輝き、磐田の3年ぶりのJ1復帰にも大きく貢献した。2017年からは北海道コンサドーレ札幌のFWとしてプレーし、日本での6年間に通算179試合に出場し74得点を記録している。

そんなジェイのキャリアを追いつつ、ジェイの人となりや今後の道が伺える興味深いエピソードを7つ紹介したい。

元札幌ジェイ・ボスロイドの波乱万丈エピソード7選

アーセナルから追い出される問題児

2000年までアーセナルの下部組織にいたジェイは、1999/00FAユースカップ(イングランドのユースサッカー大会)の優勝などにも貢献。トップチームのメンバーと一緒にトレーニングを始め、昇格は時間の問題だと思われていた。

ところがアーセナルが2000年プレミアリーグ・ユースカップ決勝、ウェストハム・ユナイテッドと対戦中。ジェイはユースのコーチだったドンハウ氏に向かってユニフォームを投げつけ、交代を命じられたのである。これがきっかけとなりアーセナルから追い出され、イングランド2部コベントリー・シティへ移籍することとなる。

非常に高い得点力を誇りながらも問題児と認定されたジェイは、それからもなかなか居場所を見つけられない。26歳になるまでには、ペルージャ、ブラックバーン・ローバーズ、チャールトン・アスレティック、ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ、ストーク・シティに移籍を繰り返した。性格や素行の問題によってトップクラブからのオファーが届かない中、ある人物がジェイを立ち直らせるきっかけとなったという。

人生を変えたエージェントの叱責

当時エージェントだったスカイ・アンドリウ氏が自分の人生を変えたと、ジェイ自身が断言した。2011年8月英メディア『デイリー・メール』のインタビューだ。

「僕のキャリアのターニングポイントとなったのは、エージェントにキツく叱られたことだ。”能力があるのにキャリアを無駄にしているよ”と。その言葉が響き自分はちっぽけな存在と感じた。その時まで何も達成していなかったことを思い知らされたよ。2時間ほどの話だったが、妻も一緒だった。最初は言われたことにただ腹を立てたが、夜ベッドに横になって、やはり彼が正しいと思った。その後は、試合でプレーする気持ちでトレーニングをこなすようになった。出かけたりすることもやめた。食事のバランスや休む時間の確保など、ピッチ以外の時間もサッカーに注ぐことにした」

するとジェイはイングランド2部のカーディフ・シティに移籍。2008年から2011年にかけて多くの得点を挙げ、そのパフォーマンスによってイングランド代表に選抜されるまでになった。

MOM賞金を東日本大震災の復興支援に

2015シーズンに来日し、多くの得点で磐田サポーターの心を掴んだジェイ。早々にデビューの北九州戦で(2015年3月8日)2得点を挙げMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)に選ばれた。この時の10万円ほどの賞金を、ジェイは当時から約4年前(2011年3月11日)に発生した東北地方太平洋沖地震の復興支援として寄付している。

「受けた被害に比べれば小さなことかもしれないけど、自分ができることで何かしら役に立てればと思う。神様が自分にサッカーの才能を与えてくれたから、この仕事に従事している。そういうことに感謝し、不幸にあった人を手助けすることは義務だと思っている」とコメントしたジェイ。

このような寄付活動に尽力するのは初めてではなく、母国イングランドでも、がん患者を支援する団体や動物愛護団体などへの寄付を行なっていた。

元札幌ジェイ・ボスロイドの波乱万丈エピソード7選

「ジェイの日」に初ハットトリック

2015年8月8日に行われた磐田VS京都サンガ戦。この試合は日付とジェイの背番号「8」をかけて「ジェイの日」として開催された。スタジアムに足を運んだサポーターには、ジェイの顔を形どったお面が配られた。

開始から2分、ジェイはコーナーキックからのボールをコントロールし右足でゴールに流し込むと、サポーターからお面を借りて自分の顔につけるパフォーマンスをする。その後、さらに2得点を挙げ「ジェイの日」で来日初ハットトリック。見事に「ジェイの日」を盛り上げた(試合は3-3の同点)。

てんかんの発作で練習中に意識不明

2017年7月1日札幌に加入したジェイは、またもやデビューとなった浦和レッズ戦(7月29日)で後半途中からの出場にもかかわらず得点を挙げた。シーズン途中の加入にして14試合中10得点4アシストの活躍で、北海道のサポーターを熱くさせた。

そんな輝きの中、命に関わる事件も起きていた。同年11月4日、持病であるてんかんの発作を抑える薬を飲み忘れ、練習中に倒れて意識不明に。心肺停止には至らなかったものの脈と呼吸が弱くなり、救急車到着まで練習を見学していた救急救命士の男性に心臓マッサージと人工呼吸を施されている。また体温低下を防ぐために選手とスタッフはそれぞれ着ていたトレーニングウエアなどを体にかぶせ、ジェイの名前を呼び続けたという。

病院に運ばれて複数の検査を受けた後、ジェイは自身のツイッターで「大きな問題はなかったよ」とつぶやき、クラブ関係者やサポーターらを安堵させた。

元札幌ジェイ・ボスロイドの波乱万丈エピソード7選

宮澤裕樹と共に全選手給与の一部返上へ

2019年に発生した新型コロナウイルス感染拡大の情勢により、世界中のサッカークラブも経済面で苦しむこととなる。札幌も例外ではなかったが、ジェイとキャプテン宮澤裕樹が全選手をまとめ、総額1億円弱にのぼる給与の一部をクラブに返上した。

この行動の裏にある気持ちを言葉にしたのはジェイ自身だ。「僕たちが毎日サッカーをできるのは、周りに支えてくれる人がいるからこそ。大変な状況にはみんなが一緒になって立ち向かうべきと考えたんだ」とコメントし、返上をチームメイト達に提案したことを説明した。

また、コロナ禍による試合延期については「いつサッカーができるか分からない不安はあるし、サポーターもそれは同じだと思う。ただ、今は強い気持ちを保つのが大事だ。一緒に頑張って行きましょう」と強いメッセージを残した。

母国イングランドで解説者デビュー

今年11月28日、札幌が2021シーズンJリーグ最終戦の横浜FC戦(12月4日)を迎える前にすでに日本を去ったジェイ。イングランドに戻ると、EFLチャンピオンシップ(イングランド2部)第21節コベントリー対ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦(12月4日)の生中継で『スカイ・スポーツ』のゲスト解説者として出演したようだ。

ジェイのインスタグラムには「コベントリー対ウェスト・ブロムウィッチ(WBA)をケビン・フィリップスやデイビッド・プラットンと一緒にカバーした。とても良い試合だったけどWBAが上回ったね。個人的にはコベントリーの方が良いサッカーだったと思う!コベントリーは今シーズンここまでにやってきたことを前向きに捉えれば、この試合からも多くの前向きなことを得られるよ」と投稿されている。

39歳にして、まだ引退の言葉を口にしてないジェイ。日本を離れる前には「家族と相談してから今後のことを決める」とコメントしていたが、ここまでの豊富な経験を活かして解説者への道を歩んでいくことも考えられるだろう。

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