レベルの高い大きなクラブへ移籍し、大きな栄光を、年俸を手にする。個人事業主のプロサッカー選手にとって、その目標はごく自然なものだ。
それが当たり前だからこそ、サポーターはごく少数の“そうではない選手”に惹きつけられる。「バンディエラ(チームの象徴的存在)」。同じクラブで長期間プレーする選手のみに与えられるこの称号の価値は、クラブを熱く応援したことがある人間でないと分かりにくいものだろう。
そこで各クラブのバンディエラにスポットを当て、改めてその選手の凄さを伝える。第2弾は、柏レイソルの背番号7を背負うバンディエラ・大谷秀和だ。
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大谷秀和の現在までのキャリア
まずは簡単に大谷秀和のサッカーキャリアを振り返ってみたい。千葉県の初石少年サッカークラブでサッカーを始めた大谷は、市の選抜チームである流山FCでもプレーしたのち、中学生で柏レイソルU-15に入団。あとはU-18、トップチームと階段を上り、現在にいたる。非常にシンプルだが、だからこそ改めて凄さを感じる。
また、今年でプロ20年目を迎えた大谷は偉大な記録を保持している。現役選手の中で、プロになって以降で同じクラブに所属している期間が最も長いのだ。
人生の約3分の2を柏レイソルというクラブで過ごしてきた、バンディエラの中のバンディエラ。それこそが大谷だ。その姿に憧れ、背中を追う選手も少なくない。例えば、今季筑波大学からレイソルに加入した加藤匠人。レイソルユースの出身で、ポジションも同じである彼は、憧れの選手に大谷の名を挙げている。

不思議と縁のない「日の丸」
大谷がプロとなってからの20年間を振り返ると、1つのことに気付く。
3度のJ2降格を経験した一方で、数多くのタイトルを獲得してきた。2008年からキャプテンに就任すると、2011年にJ1リーグ優勝。2012年のFUJI XEROX SUPER CUPと天皇杯全日本サッカー選手権大会の優勝。2013年のヤマザキナビスコカップ優勝。チームとして国内の3つのタイトルを獲得し、そのいずれもキャプテンとして大きく貢献。
しかし、何でも高いレベルでこなし予測力も併せ持つ、そんな彼でも不思議と日本代表にはまるで縁がないのだ。2015年、30歳にして東アジアカップ2015の予備登録メンバーに選出され、初の日本代表候補となったが、意外なことに正式なメンバーにはフル代表どころか年代別日本代表でさえ選出されたことがない。
そこには必要以上に目立とうとしない、大谷のボランチとしての掟が多少なりとも関係しているように思う。ボランチは動きすぎるべきではなく、欲を出すべきではない。自分の武器を見せようとするサッカー選手が多い中で、この異端に思える考えが長年の活躍と日本代表との縁のなさの両方につながっているのではないだろうか。

2022シーズンの大谷への期待
174㎝、67kg。プロの中ではやや小さい身体で、長年レイソルの要になってきた大谷。37歳となった現在もなお、その存在はチームに大きな影響をもたらしている。
柏レイソルは昨2021年、J1リーグで開幕直後から大きくつまづいた。第2節の湘南ベルマーレ戦こそ勝利したものの、8試合を終えて1勝1分6敗と降格圏に。重苦しい雰囲気で迎えた第9節ガンバ大阪戦。
この試合から始まった3連勝で順位を上げたことが、残留(結果15位)に大きく繋がったことは間違いない。その後右足首の手術を行い長期離脱したことで、大谷自身はリーグ戦で6試合の出場に留まったが、まだまだチームに欠かすことのできない存在なのだ。
チームにとっても、大谷にとっても逆襲を狙う、今2022シーズン。柏レイソルは5試合を終えた時点で4位と好調を維持しているなか、背番号7の出番はまだ訪れていない。だが2013年のナビスコカップ優勝以来となるタイトル獲得を目指すチームに、大谷はJ1リーグ通算380試合、J2リーグ通算94試合に出場してきた経験を、プレーでも言葉でも還元している。
下部組織を含めると柏レイソル26年目となる太陽王のバンディエラ、大谷秀和。「大谷俺らと共に」とチャントにあるように、チームにとってもサポーターにとってもかけがえのない、偉大なプレーヤーだ。