イタリアのセリエAは1929/30シーズンに統一リーグとして発足し、イタリアサッカーの象徴的存在となった。1940年代にはトリノが「グランデ・トリノ」として黄金期を築き、リーグ5連覇を達成する圧倒的な強さを誇った。
1980年代から1990年代にかけて、セリエAは「世界最強リーグ」と称され、故ディエゴ・マラドーナ(1960-2020)がナポリを優勝(1986/87、1989/90)に導き、ミラン、ユべントス、インテルがタイトルを総なめにした。MFロベルト・バッジョ(2004年引退)、DFパオロ・マルディーニ(2009年引退)、FWガブリエル・バティストゥータ(2005年引退)らスター選手が輝いたこの時代は、セリエAの黄金期として語り継がれている。
しかし、2000年代に八百長スキャンダル(カルチョポリ)が発覚し、リーグの地位は低下。それでも近年ではFWヴィクター・オシムヘン(ガラタサライ)やFWラファエル・レオン(ミラン)ら新たなスター選手が台頭し、セリエA復権への期待が膨らんでいる。現在も欧州5大リーグの一角として、「戦術のリーグ」の伝統を守り続けている。
そんな歴史と魅力を持つ大舞台のセリエAに、日本人選手たちも挑戦を続けてきた。ここでは、これまでセリエAでプレーした日本人選手たちを時系列で紹介する。
その後パルマに移籍し、主力として活躍。2002年にはコッパ・イタリア優勝に貢献した。ボローニャ(レンタル移籍)やフィオレンティーナでは出場機会が限られたものの、セリエA通算182試合24得点という成績を残し、日本人選手として初めて世界的な注目を集める活躍を見せた。
2003/04シーズンはケガに悩まされ、出場機会が減少したが、翌2004/05シーズンにはクラブ史上最高順位となる10位達成に貢献。イタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』からクラブの歴代ベストイレブンに選ばれるなど、高い評価を受けた。中村のレッジーナ時代は、中田英寿以外の日本人選手がセリエAで活躍できることを証明し、その可能性を広げた。セリエA通算81試合11ゴールを記録。
2011年、出場機会を求めてノヴァーラに移籍し、同年9月のカリアリ戦で初得点を記録。インテル戦ではPKを獲得するなど2得点に絡む活躍を見せたが、怪我の影響もあり安定した結果を残すことはできなかった。2012年にカターニャへ復帰するも再び怪我に悩まされ、出場機会を得られずにセリエAでの挑戦を終えた。セリエAでのキャリアは波乱に満ちたものだったが、そのプレーは随所で存在感を示した。セリエA通算104試合に出場し19ゴールを記録。
インテルでは、左サイドバックやウイングバックとしてレギュラーに定着し、2011/12シーズンのコッパ・イタリア優勝に貢献した。しかし、2014/15シーズン以降は度重なる負傷や新戦力の加入により出場機会が減少。それでも、2015/16シーズンには副主将に任命され、チームの精神的支柱としての役割を果たした。セリエA通算186試合に出場し9ゴールを記録。日本人最多出場記録を持つ。
本田はセリエAで通算81試合に出場し9ゴールを記録。特にプロフェッショナルな姿勢と戦術的な貢献は評価された一方で、背番号10番に対する期待とのギャップや度重なる監督交代やメディア対応で苦しんだ印象は拭えない。
2021年1月にはクラブとの契約を延長し、第19節のパルマ戦でセリエA初ゴールを決めた。2021/22シーズンも主力としてプレーし、守備リーダーとしてチームを支え続けた。2022年夏に契約満了でサンプドリアを退団した。セリエA通算72試合に出場し3ゴールを記録。
2024年3月、サッリ監督の辞任後にイゴール・トゥドール監督が就任すると、鎌田はチームの中心選手として起用され続けた。第37節インテル戦では王者相手に鮮烈なミドルシュートを決めるなどし、シーズンを通じてセリエA28試合で2ゴールを記録した。契約延長の方向で話は進められていたが、結局は破断し、契約満了によりわずか1シーズンをもって退団した。
セリエAでゴールキーパーとして活躍する初の日本人であり、注目度は高い。2024/2025シーズン現在までにリーグ戦14試合に出場し、クリーンシートは1試合。90分あたり平均1.45失点という成績を残しており、早くもセリエA屈指の守護神として評価されている。
しかし、1949年の航空事故で多くの選手を失い、イタリア全土に深い衝撃を与えた。この悲劇の後、1960年代にはインテルが「グランデ・インテル」として台頭。守備の美学を体現する「カテナチオ」の戦術でセリエAのみならず欧州制覇も成し遂げ、イタリアサッカーの威厳を示した。
1980年代から1990年代にかけて、セリエAは「世界最強リーグ」と称され、故ディエゴ・マラドーナ(1960-2020)がナポリを優勝(1986/87、1989/90)に導き、ミラン、ユべントス、インテルがタイトルを総なめにした。MFロベルト・バッジョ(2004年引退)、DFパオロ・マルディーニ(2009年引退)、FWガブリエル・バティストゥータ(2005年引退)らスター選手が輝いたこの時代は、セリエAの黄金期として語り継がれている。
しかし、2000年代に八百長スキャンダル(カルチョポリ)が発覚し、リーグの地位は低下。それでも近年ではFWヴィクター・オシムヘン(ガラタサライ)やFWラファエル・レオン(ミラン)ら新たなスター選手が台頭し、セリエA復権への期待が膨らんでいる。現在も欧州5大リーグの一角として、「戦術のリーグ」の伝統を守り続けている。
そんな歴史と魅力を持つ大舞台のセリエAに、日本人選手たちも挑戦を続けてきた。ここでは、これまでセリエAでプレーした日本人選手たちを時系列で紹介する。

1:三浦知良(ジェノア/1994-1995)
アジア人初のセリエA選手としてジェノアに加入した、ご存じキングカズことFW三浦知良(アトレチコ鈴鹿クラブ)。当時、ジェノアのユニフォームの広告権をケンウッドが獲得したこともあって、スポンサーを得るための移籍などと騒がれた。セリエA開幕戦において先発出場したが、鼻骨骨折と眼窩系神経を損傷する不運に見舞われた。唯一の得点はサンプドリアとのジェノヴァダービーで挙げた。セリエAで21試合に出場し1ゴールを記録。

2:中田英寿(ペルージャ/1998-2000、ローマ/2000-2001、パルマ/2001-2004、ボローニャ/2004、フィオレンティーナ/2004-2006)
セリエAのみならず、最も欧州の地で成功した日本人選手であろうMF中田英寿(2006年引退)。1998年にペルージャへ加入し、すぐさまセリエAデビュー戦で強豪ユべントス相手に2得点を挙げ、一躍注目を浴びた。2000年にはローマへ移籍し、FWフランチェスコ・トッティ(2017年引退)らと共にプレー。2000/01シーズンにはスクデット(リーグ優勝)を経験し、ユべントス戦での同点ゴールが大きな話題となった。その後パルマに移籍し、主力として活躍。2002年にはコッパ・イタリア優勝に貢献した。ボローニャ(レンタル移籍)やフィオレンティーナでは出場機会が限られたものの、セリエA通算182試合24得点という成績を残し、日本人選手として初めて世界的な注目を集める活躍を見せた。

3:名波浩(ヴェネツィア/1999-2000)
現在日本代表のコーチを務めるMF名波浩(2008年引退)。セリエAでは24試合に出場し1ゴールを記録。セリエA開幕戦のウディネーゼ戦では途中出場し、いきなりアシストを記録。1999年の10月28日のコッパ・イタリア、ペスカーラ戦で移籍後初ゴール。第18節のウディネーゼ戦で自身唯一のリーグ戦ゴールを決めた。ヴェネツィアはセリエBに降格したため、契約条項に定められていた通り、1シーズンで日本に帰国した。

4:中村俊輔(レッジーナ/2002-2005)
MF中村俊輔(2023年引退)は、2002年7月にレッジーナへ移籍し同年8月に公式戦デビューを果たした。リーグ第3節のインテル戦で初ゴールを含む3試合連続ゴールを記録。代名詞ともいえるフリーキックやPKの精度を武器にチームの主力として活躍した。1年目は7得点を挙げ、チームのセリエA残留に大きく貢献した。2003/04シーズンはケガに悩まされ、出場機会が減少したが、翌2004/05シーズンにはクラブ史上最高順位となる10位達成に貢献。イタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』からクラブの歴代ベストイレブンに選ばれるなど、高い評価を受けた。中村のレッジーナ時代は、中田英寿以外の日本人選手がセリエAで活躍できることを証明し、その可能性を広げた。セリエA通算81試合11ゴールを記録。

5:柳沢敦(サンプドリア/2003-2004、メッシーナ/2004-2006)
FW柳沢敦(2014年引退)は、2003年7月にサンプドリアに期限付き移籍し、同年8月30日のレッジーナ戦でデビューを果たした。しかし、リーグ戦15試合に出場するも得点を挙げることはできず、クラブは契約延長を見送り、2004年に同じセリエAのメッシーナへ再び期限付き移籍。メッシーナでは2004/05シーズンに22試合、2005/06シーズンに7試合に出場したが、こちらでも得点を記録することはなかった。セリエAでの通算成績は、FWの選手でありながらも44試合出場で無得点に終わり、イタリアでの挑戦は厳しいものとなった。
6:小笠原満男(メッシーナ/2006-2007)
MF小笠原満男(2018年引退)は2006年にメッシーナへレンタル移籍した。同年9月にレッジーナ戦で途中出場しセリエAデビューを果たし、第7節のエンポリ戦では待望の初ゴールを記録。しかし、その後は出場機会が減少し、シーズン通して多くの試合でベンチ入りすらできなかった。セリエAでは6試合に出場し1ゴールを記録。出場機会に恵まれず1シーズンで日本に復帰。

7:大黒将志(トリノ/2006-2008)
FW大黒将志(2021年引退)は、2006年8月31日にトリノに完全移籍したが、セリエAの2年間で10試合の出場にとどまり、得点を記録することはできなかった。トリノでは、フィジカルや戦術理解といったセリエA独自の高い要求に苦しんだとされる。期待された活躍はできなかった。
8:森本貴幸(カターニャ/2006-2011&2012-2013、ノヴァーラ/2011-2012)
FW森本貴幸(2024年引退)は2006年に18歳でカターニャへレンタル移籍し、同年12月のアスコリ戦で初めてベンチ入り。翌2007年1月、アタランタ戦でセリエAデビューを果たし、わずか4分後にゴールを記録して日本人最年少ゴールの快挙を達成した。2008年にはローマ戦で1試合2得点を挙げるなど成長を続け、2009年にはユベントス戦での得点やパレルモとのシチリアダービーでの活躍で注目を集めた。2011年、出場機会を求めてノヴァーラに移籍し、同年9月のカリアリ戦で初得点を記録。インテル戦ではPKを獲得するなど2得点に絡む活躍を見せたが、怪我の影響もあり安定した結果を残すことはできなかった。2012年にカターニャへ復帰するも再び怪我に悩まされ、出場機会を得られずにセリエAでの挑戦を終えた。セリエAでのキャリアは波乱に満ちたものだったが、そのプレーは随所で存在感を示した。セリエA通算104試合に出場し19ゴールを記録。

9:長友佑都(チェゼーナ:2010-2011、インテル:2011-2018)
DF長友佑都(FC東京)は、2010年7月にセリエA昇格組のチェゼーナへ期限付き移籍した。チェゼーナでは開幕戦から左サイドバックとしてフル出場し、持ち前の運動量とスピードで攻守に貢献。その活躍が評価され、2011年1月にはインテルへ期限付き移籍し、同年6月に完全移籍が決定した。インテルでは、左サイドバックやウイングバックとしてレギュラーに定着し、2011/12シーズンのコッパ・イタリア優勝に貢献した。しかし、2014/15シーズン以降は度重なる負傷や新戦力の加入により出場機会が減少。それでも、2015/16シーズンには副主将に任命され、チームの精神的支柱としての役割を果たした。セリエA通算186試合に出場し9ゴールを記録。日本人最多出場記録を持つ。

10:本田圭佑(ミラン/2014-2017)
FW本田圭佑は、2014年1月に名門ミランに加入し、2014/15シーズン序盤には7試合で6得点と活躍した。対策を講じられると得点機会が減少し、次第に出場機会も限られていった。2015/16シーズンには右サイドハーフとして定着し、30試合に出場したが1ゴールのみ。2016/17シーズンは若手の台頭により出場機会が激減した。本田はセリエAで通算81試合に出場し9ゴールを記録。特にプロフェッショナルな姿勢と戦術的な貢献は評価された一方で、背番号10番に対する期待とのギャップや度重なる監督交代やメディア対応で苦しんだ印象は拭えない。

11:冨安健洋(ボローニャ/2019-2021)
DF冨安健洋(アーセナル)は、2019年7月にボローニャへ完全移籍した。8月25日のリーグ開幕戦、エラス・ヴェローナ戦で右サイドバックとしてデビューを果たし、その堅実な守備と攻撃参加で高い評価を受けた。シーズンを通じて右サイドバックやセンターバックとして活躍し、2019/20シーズンの第34節ミラン戦では左足のミドルシュートでセリエA初得点を記録した。2020/21シーズンも主力としてプレーし、プレミアリーグのアーセナルへ移籍するまで、セリエAで61試合に出場し3ゴールを記録。守備意識の高いイタリアでその才能が一気に開花した。
12:吉田麻也(サンプドリア/2020-2022)
DF吉田麻也(ロサンゼルス・ギャラクシー)は2020年1月、サンプドリアにレンタル移籍で加入。3月のエラス・ヴェローナ戦でデビューを果たし、シーズン後半戦でディフェンスラインの安定に寄与した。同年8月には完全移籍が決定し、サンプドリアでの挑戦を本格化させた。2021年1月にはクラブとの契約を延長し、第19節のパルマ戦でセリエA初ゴールを決めた。2021/22シーズンも主力としてプレーし、守備リーダーとしてチームを支え続けた。2022年夏に契約満了でサンプドリアを退団した。セリエA通算72試合に出場し3ゴールを記録。

13:鎌田大地(ラツィオ/2023-2024)
2023年8月にブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトからラツィオへフリー移籍したMF鎌田大地(クリスタル・パレス)。背番号6を与えられ、第3節ナポリ戦で鮮やかな決勝ゴールを決め、セリエAでの初得点を記録。続く第4節ユベントス戦では初アシストも記録するなど、序盤は攻守にわたりチームに貢献した。しかし、マウリツィオ・サッリ監督がフィジカルの強い選手を重用したため出場機会が減少した。
2024年3月、サッリ監督の辞任後にイゴール・トゥドール監督が就任すると、鎌田はチームの中心選手として起用され続けた。第37節インテル戦では王者相手に鮮烈なミドルシュートを決めるなどし、シーズンを通じてセリエA28試合で2ゴールを記録した。契約延長の方向で話は進められていたが、結局は破断し、契約満了によりわずか1シーズンをもって退団した。

14:鈴木彩艶(パルマ、2024-)
2024年7月にパルマへ移籍したGK鈴木彩艶は、移籍直後から出場機会を得ており現在も活躍中。試合ごとにその成長ぶりが高く評価されている。中田英寿に次いでクラブ2人目の日本人プレイヤーとなった。セリエAでゴールキーパーとして活躍する初の日本人であり、注目度は高い。2024/2025シーズン現在までにリーグ戦14試合に出場し、クリーンシートは1試合。90分あたり平均1.45失点という成績を残しており、早くもセリエA屈指の守護神として評価されている。
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