1963年に創設されたドイツの1部リーグ・ブンデスリーガは、クラブの経済的健全性や地域との密接な関係を重視する方針のもと発展を遂げ、現在では欧州5大リーグの一角を担っている。各国から多様な選手を受け入れてきたこの舞台において、日本人選手の存在感も年々増してきた。とりわけ2000年代以降、継続的にアジア選手を獲得してきたドイツは、スカウト体制と育成方針において他国に先んじていた面がある。
その中で、日本人選手の中には一時的な助っ人にとどまらず複数シーズンにわたってクラブに定着し主力として起用されるなど、確かな足跡を残した者もいる。ここでは、そうした選手たちの中からブンデスリーガの通算出場試合数に着目し、ランキング形式で紹介する。出場試合数の多さは、現地でどれだけ信頼を勝ち得てきたかを物語っているといえるだろう。
※記事内の在籍チームは、ブンデスリーガ1部所属のみ記載

5位:酒井高徳
出場試合数:170
在籍チーム:VfBシュツットガルト(2011-2015)、ハンブルガーSV(2015-2019/※1部在籍は2017-18シーズンまで)元日本代表のDF酒井高徳(現・ヴィッセル神戸)は、2011年12月にアルビレックス新潟(2009-2013)からブンデスリーガのVfBシュツットガルトに期限付きで移籍し、翌2012年夏には完全移籍を果たした。若くして欧州に渡った日本人DFとしては先駆的な存在であり、左右両サイドバックをこなせる柔軟性と安定した守備対応で、徐々に出場機会を増やしていった。
2015年にはハンブルガーSVへ完全移籍。守備陣の主軸として定着し、2016年には外国籍選手として異例の主将にも任命された。低迷したハンブルガーは最終的に2018年にクラブ史上初の2部降格を喫したものの、その中でリーダーシップを発揮し続けた姿勢は一部の現地メディアから評価されたが、同時にチーム成績に伴い一部サポーターの間では批判もあった。
ブンデスリーガ1部での通算成績は、170試合出場2ゴール11アシスト。当時の日本人DFとしては他に類を見ない出場試合数といえるだろう。

4位:原口元気
出場試合数:173
在籍チーム:ヘルタ・ベルリン(2014-2018)、ハノーファー96(2018-2021/※1部在籍は2018-19シーズンまで)、ウニオン・ベルリン(2021-2023)元日本代表のMF原口元気(現・浦和レッズ)は、2014年に浦和からヘルタ・ベルリンへ完全移籍し、ドイツでのキャリアをスタートさせた。ヘルタでは主に左サイドハーフとしてプレーし、2016/17シーズンにはリーグ戦30試合に出場するなど主力として活躍した。
2018年1月には出場機会を求めてドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフへ期限付き移籍し、チームの1部昇格に貢献。同年6月にはハノーファー96へ完全移籍し背番号10を背負った。2018/19シーズンのハノーファーでは28試合に出場したがチームは2部降格。その後も同チームでプレーを続け、2020/21シーズンには2部リーグで9ゴール7アシストを記録するなど攻撃の中心として活躍した。
その活躍が評価され、2021年5月にウニオン・ベルリンへ完全移籍。2021/22シーズンにはリーグ戦30試合に出場し、クラブ史上初のUEFAヨーロッパリーグ(UEL)出場権獲得に貢献した。2023年1月にはシュツットガルトへ移籍したが出場機会は限られ、2024年9月に10年ぶりに浦和へ復帰している。
ブンデスリーガ1部での通算成績は、173試合出場6ゴール20アシスト。豊富な運動量を武器に複数のクラブで主力として活躍し続けた。

3位:大迫勇也
出場試合数:181
在籍チーム:1.FCケルン(2014-2018)、ヴェルダー・ブレーメン(2018-2021)元日本代表のFW大迫勇也(現・ヴィッセル神戸)は、2014年1月に鹿島アントラーズからドイツ2部のTSV1860ミュンヘンへと2013/14シーズン途中に移籍すると、シーズン後半戦15試合に出場して6ゴールを挙げた。2部とはいえ移籍後すぐの活躍は1部クラブでも注目を集め、期待を背負い同年夏には1.FCケルンに移籍し4シーズンにわたってプレー。攻撃的なポジションを幅広くこなし、地道な守備貢献とボールの収まりの良さで評価された。
2018年にはヴェルダー・ブレーメンに移籍。初年度から攻守に関わる役割を担い、トップ下や前線の一角として出場を重ねた。だが3年目の2020/21シーズンにはリーグ戦24試合に出場するも無得点に終わるなどパフォーマンスが低下しポジションを失った。契約満了を待たずして退団を決断。2021年夏に神戸へ移籍し約7年半にわたるドイツでのキャリアに区切りをつけた。
ブンデスリーガ1部に所属した7シーズンを通して、通算181試合出場26ゴール21アシストを記録している。

2位:奥寺康彦
出場試合数:234
在籍チーム:1.FCケルン(1977-1980)、ヴェルダー・ブレーメン(1981-1986)元日本代表のDF奥寺康彦(1988年引退)は1970年から日本サッカーリーグ(JSL)の古河電工に所属していたが、1977年10月にシーズン途中ながら1.FCケルンへ移籍。初年度の1977/78シーズンは第20節からリーグ戦20試合に出場し4得点を挙げ、クラブのリーグ優勝とDFBポカール制覇の二冠に貢献した。ケルンでは3シーズン半の在籍で75試合15ゴール2アシストを記録している。
1980年に2部のヘルタ・ベルリンへシーズン途中で移籍、翌1981年からはヴェルダー・ブレーメンに加入した。在籍5シーズンで、159試合出場11ゴール1アシスト。ブレーメンでも主力としてプレーし、クラブ在籍中にブンデスリーガで3度の2位を経験しており、奥寺はその時期に主力として起用されていた。
ブンデスリーガ1部での通算成績は、9シーズンで234試合出場26ゴール3アシスト。日本人選手が海外で長期にわたって活躍する例が極めて少なかった時代、奥寺の活躍は非常に珍しく、欧州で成功を収めた初の日本人として称賛される存在となった。

1位:長谷部誠
出場試合数:384
在籍チーム:VfLボルフスブルク(2008-2013)、ニュルンベルク(2013-2014)、アイントラハト・フランクフルト(2014-2024)元日本代表のキャプテンMF長谷部誠(2024年引退)は、2008年に浦和レッズからVfLボルフスブルクに加入すると初年度の2007/08シーズンから主力に定着。鬼軍曹として知られるフェリックス・マガト監督の下で堅実な守備と的確なパスを武器に中盤を支え、2008/09シーズンにはクラブ史上初のリーグ優勝に貢献した。
その後、ニュルンベルクを経て2014年にアイントラハト・フランクフルトに移籍。ここでキャリアの転換期を迎える。加入当初は主にボランチとして起用されたが、後にリベロやセンターバックとしても起用され、多様な役割を高水準でこなすユーティリティ性が高く評価された。特にニコ・コバチ監督時代(2016-2018)以降は、戦術理解と統率力でチームの精神的支柱となり、2017/18シーズンのDFBポカール制覇、2021/22シーズンのUEFAヨーロッパリーグ(EL)優勝に貢献。30代半ばを過ぎても高いコンディションを維持し、40歳となる2024年まで第一線でプレーを続けた。
ブンデスリーガ1部通算で384試合に出場し、7ゴール21アシストを記録。この出場記録を破る選手が果たして今後現れるのか。ドイツで16シーズンにわたり築き上げた歩みは、それほどまでに異例かつ重みのあるキャリアとして刻まれている。
2024年5月に現役引退を発表した後もドイツに残り、フランクフルトU-21チームのアシスタントコーチに就任。同年には日本代表のコーチも兼務することが発表され、現役時代同様、冷静かつ知的なアプローチで次世代の育成にも関わっている。