明治安田J3リーグの2月、3月度のKONAMI月間MVP(4月15日発表)で、栃木シティの31歳FW田中パウロ淳一が初選出された。J昇格初年度にリーグ10試合を終え6勝3分け1敗で2位につけるチームをけん引する活躍が評価された格好だ。
田中は「栃木シティの代表としてもらった」と語り、賞金の10万円は「子どもたちをスタジアムに招待するために使う」という。

4月22日には自身のXを更新し、前日の「急上昇スポーツ選手」ランキングで大谷翔平(ロサンゼルス・ドジャース)に次ぐ2位だったことを明かした田中。「この先こんな事無いので自慢させてください」と書き出した田中は「昨日の急上昇スポーツ選手で大谷選手に続いて2位でした!サッカー選手では1位」と綴り、長女誕生が話題の大谷に続き、2位に名前が挙がったスクリーンショットの画像をアップした。

さらに久保建英(レアル・ソシエダ)や三笘薫(ブライトン)を抑えて1位になった「急上昇中のサッカー選手」のランキングの写真も投稿した上で、「意味がわからない…頭が追いついてない…」と、困惑を隠せない心境を綴り、「注目・応援くれる事が本当に嬉しくて、今こそ僕みたいな奴でも這い上がれるぞってとこを子供達に見せれるようにもっと頑張ります」と、意気込んだ。

田中はこれまでリーグ戦4得点でランキング5位につけているだけではなく、インスタグラムのフォロワー数は7万人、Xでは4万人を超えるインフルエンサーとしての一面も持っている。ここでは、そんな“パウロ”の人気の秘訣と、その波乱万丈な足跡を深堀りしたい。

31歳で初の月間MVP!田中パウロ淳一の波乱万丈過ぎるサッカー人生

期待すらされていないと悟った川崎時代

田中は1993年、兵庫県出身。日本人の父とスペイン系フィリピン人の母の間に生まれた。大阪桐蔭高校に進学し、2年生時の2011年、フランスへの遠征中に元フランス代表FWティエリ・アンリやニコラ・アネルカを育てた国立サッカーアカデミークロード・デュソー所長の目に留まり、リーグ・アンのボルドーのトップチームに練習参加。そのドリブルが高い評価を受けたものの、契約には至らなかった。ちなみに高校の1学年下には、野球部のエースとして甲子園春夏制覇を成し遂げた藤浪晋太郎(マリナーズ傘下3A)がいた。

高校卒業後の2012年、J1川崎フロンターレに入団。貴重なレフティーとして期待されていたものの、与えられたポジションは左サイドバックの控え。
2シーズン所属したが出場機会には恵まれず、2013シーズン終了とともに退団。2013年は欧州への移籍を模索し、フランス、ドイツ、オランダのクラブのテストを受ける。しかし契約に至らないまま、浪人生活を送ることになる。

2024年5月に公開されたインタビューの中で、川崎時代パスミスを連発する田中に対し、中村憲剛氏(現川崎Fリレーションズオーガナイザー)から「俺にパスしたら大丈夫」と告げられ、逆に怒られなかったことにショックを受けたことを語っている田中。「俺、相当下手なんやな」と期待すらされていないと悟ったのだという。決して中村氏に悪気はなく、緊張する若手をリラックスさせるための言葉だったのだが、曲解した田中は深く傷ついたようだ。

31歳で初の月間MVP!田中パウロ淳一の波乱万丈過ぎるサッカー人生

誰にも相手されないJ2時代

“無職”のまま帰国した田中は、トライアウトの末、J3ツエーゲン金沢に拾われる形で入団を果たす。心機一転を期す田中はそのタイミングで、高校時代からのアダ名をミドルネームに含め、登録名を「田中パウロ淳一」とした。

同インタビューで、川崎時代から金沢入団に至るまで「メンタルはどん底だった」と振り返っている田中。金沢(2014-2015)ではリーグ24試合に出場し、チームのJ3優勝とJ2昇格に貢献したものの、途中出場が多くレギュラー定着には至らなかった。

翌シーズン、J2のFC岐阜(2016-2018)に移籍し、3年間在籍。一時はレギュラーポジションを奪取したものの、目立った成績を残せずに退団。その後もレノファ山口(2019-2020)、松本山雅(2019-2022)とJ2クラブを渡り歩くが、そこでも十分な出場機会は得られず、「誰にも相手されない時期だった」と田中本人も述懐している。


31歳で初の月間MVP!田中パウロ淳一の波乱万丈過ぎるサッカー人生

「4年間怪我なしの鉄人」栃木シティで開花

再びトライアウトに挑んだ末、2023年当時関東リーグ1部だった栃木シティからオファーを受け入団した田中。SNSを通じて「4年間怪我なしの鉄人」「練習試合得点王」という“ストロングポイント”をアピールしたことも効果を発揮した。

落ちるところまで落ちた感のある移籍だったが、ここから彼の大逆転人生が始まる。栃木シティは2023シーズンで関東リーグ2位となり、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)で優勝。2017シーズン以来のJFL復帰を果たす。田中はこの大会で4得点を挙げ得点王を獲得した。

翌2024シーズン、栃木シティはJFL復帰初年度にして初優勝を飾るとともに、J3クラブライセンスが交付され、昇格条件の観客平均2,000人以上もクリアしたことでJ3昇格が決定。田中も公式戦27試合6得点を記録し、チームに貢献した。

そして再びJの舞台に帰ってきた田中は、J3初参戦の2025シーズン、栃木シティの快進撃を支えている。前述のJ3月間MVP受賞のみならず、独特過ぎるゴールパフォーマンスでも話題だ。チームを盛り立てているだけではなく、今季栃木SCがJ3に降格したことで実現した「栃木ダービー」では強烈なライバル意識を示したことで盛り上げにひと役買い、アウェイ戦(カンセキスタジアムとちぎ/1-1)ながら12,807人もの観衆を集めた。

31歳で初の月間MVP!田中パウロ淳一の波乱万丈過ぎるサッカー人生

SNSでの成功、フォロワー約40万人

田中はJリーガーとしてだけでなく、TikTokやYouTubeでは約40万人のフォロワーを持ち、「パウちゃん」というキャラクターに扮し、プロ選手のプレーを再現する「○○みたいな彼女」シリーズが大ヒット。サッカーを知らない層にも栃木シティやJリーグの魅力を伝え続けている。
チームメイトのMF土佐陸翼が撮影をサポートし、二人三脚で面白コンテンツを作り上げているという。

フランス留学時の高い評価、JFL優勝、J3月間MVP、SNSでの成功は、彼の才能と努力の結晶であり、特に栃木シティでの活躍はキャリアの再起を象徴している。

その原動力となったのは、川崎F時代の屈辱、J2での不振、そして地域リーグへの“都落ち”などの挫折を嫌というほど味わっていることだろう。だからこそ、栃木シティの大栗崇司社長に対しては感謝の言葉を口にしている。

ちなみに、栃木シティのホームスタジアム「CITY FOOTBALL STATION」は、大栗氏が社長を務める日本理化工業所によって建設されたサッカー専用スタジアムで、収容人数は5,085人と規模は小さいものの、J3クラブとしては珍しく民設民営によって運営されているスタジアムだ。このあたりにも、クラブとしての伸びしろを感じさせる。

MVPを受賞した際の公式コメントで「サッカー諦めなくて良かった」と述べ、苦しい時期を乗り越えた経験が現在の活躍につながっていると語っている田中。さらにSNSでは2025シーズンの目標に「J3優勝」と「栃木SCには絶対負けない」ことを掲げ、栃木シティを「栃木県で一番勢いのあるチーム」にすると宣言。チームはその言葉通りの好調ぶりを見せている。

田中のサッカー人生は、早熟な才能が認められた10代、海外移籍の失敗、Jリーグでの苦闘と低迷、そして栃木シティでの再起という、まるで映画のような劇的な展開を辿っているといえよう。ピッチ上でのキレのあるドリブルとゴールパフォーマンス、SNSでのユーモア溢れる発信を通じて、彼はサッカーと地域を盛り上げる存在となっている。数々の挫折を乗り越えた田中のサッカー人生は、多くのファンに感動と勇気を与えると同時に、Jリーガーの生き方の1つを提示しているようにも思えるのだ。
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