Jリーガーの平均引退年齢は、およそ26歳から30歳前後と言われている。プロ野球(NPB)が約30歳前後、プロバスケットボールBリーグが約33歳、バレーボールVリーグが35歳前後で、サッカー選手はプロアスリートの中でも現役生活が短いスポーツだ。


引退後のキャリアパスとしては、指導者、解説者、クラブスタッフなどでサッカー界に残る場合や、サッカー以外の分野に挑戦する場合などがある。Jリーグ全60クラブの社長のうち9人が元Jリーガーというデータもあり、クラブ経営に携わる選手も増えているようだ。

しかし、Jクラブ数の増加による指導者のニーズ、サッカーコンテンツの増加による解説者ニーズは増加傾向にあるものの、その座に収まることの出来る元一流選手はほんの一握りだ。

ここでは、サッカー界に縛られない第二の人生を送る元選手の事例を紹介すると共に、多くの選手が抱えるセカンドキャリアの課題について考察する。

セカンドキャリアで輝き続ける元Jリーガーたち5選

中澤佑二氏:サッカーアカデミー、ラクロス指導者

元日本代表DFの中澤佑二氏は、横浜F・マリノス時代(2002-2018)から地域の子どもたちとの交流を重視。2018年の引退後も「中澤佑二サッカーアカデミー」を通じて、子どもたちにサッカーの楽しさを伝えている。

しかも中澤氏は引退後、ラクロスの日本代表歴がある2人の実娘の影響でラクロスに興味を持ち、猛勉強の末にラクロス指導者の道に進んだ。現役時代の晩年は「引退後はノープランだった」と言うが、今では、2028年ロサンゼルス五輪の正式競技として復活したラクロスで、娘たちの五輪出場とメダル獲得を目指しているという。

巻誠一郎氏:障がい者支援事業、様々な社会活動

元日本代表FWの巻誠一郎氏は、2018年にロアッソ熊本(2014-2018)で現役を引退。現役時代から熊本でサッカー施設とサッカースクールを運営していたが、引退後にNPO法人を設立し、障がいを持つ子どもたちの放課後デイサービス施設を運営している。また、障がい者の就労支援や農業と福祉を結びつける事業に関わっている。

活動はそれだけにはとどまらず、2016年に発生した熊本地震や、2020年の豪雨災害でも復興支援活動を行うなど、様々な社会活動に尽力。2021年に公開の某インタビューでは「サッカーで得た影響力を、困っている人たちのために使いたい」と語り、被災地の子どもたちにサッカー教室を開くなど、継続的な支援を続けている。

セカンドキャリアで輝き続ける元Jリーガーたち5選

李忠成氏:個人投資家、整骨院経営

元日本代表FW李忠成氏は、2023年にアルビレックス新潟シンガポール(2022-2023)で引退した後、そのままシンガポールに滞在し個人投資家として活動。現役時代から経営していた整骨院も含め、ビジネス的に成功している。


李氏は、サウサンプトン(当時イングランド2部)所属時(2012-2014)、当時リーガーの多くが練習の空き時間にパチンコなどに興じているのに対し、チームメイトが副業ビジネスをしている姿に感化されたという。

整骨院を開業したのは浦和レッズ(2014-2018)に移籍した2014年だが、当時のミハイロ・ペトロヴィッチ監督とフロントに呼び出され、「ピッチ上のことに集中しろ」と注意されたことを明かしている。現役時代からセカンドキャリアを構築する難しさを示すエピソードだ。

ちなみに李氏の副業の成功は、チームメイトに好影響を与えた。興梠慎三氏(2024年引退)は2019年にローストチキン店を関東に出店し、同年に槙野智章氏(2022年引退)は整髪料をプロデュース。一方で李氏は、次代を担うストライカーの育成などにも注力しているようだ。

那須大亮氏:YouTuber

那須大亮氏は2019年にヴィッセル神戸(2018-2019)で現役を引退した後、YouTuberとして活動を開始。サッカー界の裏話などを配信し、若者からの支持を集めている。

その後、2022年にはアルビレックス新潟バルセロナで、2023年には当時J3のいわてグルージャ盛岡で1試合限定で現役復帰し、話題となった。

セカンドキャリアで輝き続ける元Jリーガーたち5選

中田英寿氏:日本文化の伝承

元選手で、引退後にサッカー界を離れ成功を収めた第一人者は、元日本代表MF中田英寿氏だろう。2006年のFIFAワールドカップ(W杯)ドイツ大会後に電撃的に引退すると、“旅人”として国内外に出たり、財団や会社を設立して社会貢献活動や日本文化の伝承に携わっている。

特には、日本酒の魅力を発信するために2015年に「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。自身のブランドを活用した活動を展開している。


セカンドキャリアで輝き続ける元Jリーガーたち5選

セカンドキャリアは多くの選手にとって大きな課題

前述の元選手は多様な分野で新たなキャリアを築き輝き続けているが、引退後のセカンドキャリアは多くの選手にとって大きな課題だ。プロの世界は競争が厳しく、戦力外通告を受けた選手や怪我で引退を余儀なくされる選手も少なくない。サッカーに関わるキャリアは限られたポジションしかなく、すべての選手が好きな道に進めるわけではない。

一般企業への就職は大きな挑戦だ。プロのアスリートとしての経歴は、努力や忍耐力を示す強みだが、ビジネス経験の不足や社会人としてのスキルの不足が障壁となる。

例えば、大分トリニータや北海道コンサドーレ札幌で活躍したFW内村圭宏氏は、2020年にFC今治から戦力外通告を受けた後、IT企業に転職しITエンジニアになった。今治に在籍していた2019年から「娯楽がなく暇だった」という理由でIT関連の本を読み漁っていたことが、2021年公開のインタビュー記事で明かされている。

名古屋グランパス(2009-2017)などで活躍し、2022年に当時J2の栃木SCで引退した磯村亮太氏は、自身のnoteで「プロ選手の経歴が日本社会で十分に評価されない現実」を指摘。大学卒業後にJリーガーとして3年間プレーした選手が、大学4年生のサッカー部員よりも就職が厳しいと述べた。

JPFAによる引退後のキャリア支援

日本プロサッカー選手会(JPFA)は、そんなサッカー選手の引退後のキャリア支援を後押ししている。JPFAによると、Jリーグから引退する選手は毎年約50~60人。そのうち一般企業に就職する選手は3分の1ほどだという。サッカー関連の仕事に就けるのはおよそ半数だ。約80%のJリーガーが「引退後の生活に不安がある」としており、精神的なサポートやスキル習得の機会が求められている。


JPFAは、契約満了(解雇)になり進路が決まっていない選手たちに連絡し状況を確認する。その時点では「現役を続けたい」「次のクラブを探しています」と返ってくるのが大半で、多くが現役続行のチャンスをギリギリまで待っているという。そして引退を決意したとしても、何らかの形でサッカー界に残ろうと必死に就活を行う元選手がほとんどだ。

これは社会全体においても言えることで、一般のサラリーマンが転職する際、慣れ親しんだ同業種を選ぶ心理に似ている。

「第二のゴール」にこれからも注目

Jリーグ選手の社会貢献活動とセカンドキャリアは、彼らがピッチ外でも「ヒーロー」として輝くための重要な要素だ。地域社会とのつながりを深め新たな挑戦に立ち向かう彼らの姿は、ファンだけでなく多くの人々に勇気を与える。サッカーを通じて培った精神力やリーダーシップを活かし、選手たちは引退後も多様な形で社会に貢献している。

今後、Jリーグや関連団体がセカンドキャリア支援をさらに強化することで、選手たちの可能性はさらに広がるだろう。ピッチ上での華やかなプレーだけでなく、ピッチ外での彼らの努力と挑戦が、日本のサッカー文化をより豊かなものにしている。引退後も輝き続ける元Jリーガーたちの「第二のゴール」に、これからも注目していきたい。
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